大人になって向き合うこと | 1丁目住人のブログ

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同世代の奴で、新卒でMとかBとかのコンサル会社に入って独立している人をこのところよく見かける。

僕は当時何だか雰囲気が高飛車に感じて、受けもしなかったんだけど、彼らの社会に出てからの初速度や発展性といったら、やはり通常の会社で育つエリートの数倍はパワーもバリエーションもあるように感じる。視野、意識、行動力、コミュニケーション力、いずれも相当高いレベルに若いうちに達する。それだけポテンシャル高い人を摘まんでいるし、日本社会の中の難易度の最も高い経営の第一線で、プロフェッショナルな環境に身を置いていたのだと思う。人の促成栽培だ。

これは僕が取らなかった道であり、彼らが歩んで来た道を素直にとても羨ましく思う。

でも僕は思う。彼らは本当の意味で、社会に出てから自分が何者でもないのではないか?といった絶望と不安の入り混じった感情と共に、打ちひしがれたことがあるのだろうか?と。きっと、誰もが羨む倍率が高くて凄い会社に入れたという実績を手にしてしまうと、そこまでは自己否定に落ちないように思う。

何が言いたいのかと言うと、この一見僻みとも思える、内からこみ上げる感情の上手い方向付けをしたいのである。

今後彼らのようにサラブレッドのように生きることはまあ、できない。これは認めざるを得ない。しかし、彼らのような名目的なトップ層と肩を並べて、彼らから一目置かれることは、まだまだこれからの行い次第で、機会が残っている。

奮い立って結果を急ぐ必要はなく、今までと同様に自己と向き合いながらマイペースで生きるべきであるが、少なくとも僕は、30歳になってこのような人々と多々交流していることにかなり運命を感じ、これからの人生で歩みたい方向に向けて、着実にアクセルを踏んでゆきたいと思っている。

果実を取るか経験を取るか。僕は20代は徹底的に後者を選択した。今は間違ったとは思わないが、途中でそれが間違ったと本気で後悔したし、全て犠牲にしてでも必死に這い上がろうともした。幼い頃から何不自由なくアクシデントもなく育った僕には、それが若いうちに必要だった。

そういった意味で、生まれた時から全てプログラムされていたのかもしれないと誰かが言っても、否定はできない。むしろ、必然性を実感しているからこそ、真実味が高い。

僕は今こうやって、過去を穏やかに振り返れる自分自身を誇りに思い、現状にまだまだ満足できない自分に安らぎを覚え、これからの10年の良いスタートが切れたと、こうやって晴れ晴れしい気持ちでいる。

これからの時代は特に、必ずしも何かを敵対視してそれに勝つ必要はないし、それ自身に意味はない。しかし、負けてはならないというのが今強く決心していることだ。

グローバルとか自己研鑽とか時流のテーマじゃなくて。単純に対自分で突き刺さる言葉、それが「負けないこと」夢を持つこと。思いっきり楽しむこと。30歳という節目を迎えた今だからこそ、必要な合言葉である。

スティーブジョブスはスタンフォード大学の卒業式でこう言った。「stay hungry, stay foolish」

これはスタンフォードの卒業生にだからこそ贈った言葉と解釈する。つまり、彼らはハングリーでもフーリッシュでもないのだ。だからこそ、その言葉を贈った。憎いやつだ。

10代や20代じゃないからこそ、かみしめるべき言葉がある。出会える言葉がある。向き合える自分がいる。若いうちは分からなかったが、人生の進路は単に二次元上の線形の動きは取らない。生きていると色んなことがあり、深みが生まれる。深みを傷にするのも、勲章にするのも自分次第だ。

ゲームとして捉えるほど甘くはないけど、真に受けすぎてもそのはかない理想は壊される。僕にとって現在進行形の人生とは、そーいう塩梅な愛すべき代物なのだ。