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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

僕の住んでいる街に、台湾の素食屋さんがあり、1年くらい前から通っている。といっても、3ヶ月間くらい間が空くこともあるが、すっかり常連という感じである。

外食中心の、味の濃いものや肉などを毎日食べていると明らかに思考が鈍り、集中力が殺がれる。

それに、毎日せかせか仕事や勉強詰めで反復横跳びだと、自分の大きな意味での立ち位置を忘れがちになるようで、この店が僕にとって、自然と良い身体と気分の転換となっていることに気づく。

身を以って学んだことであるが、極端にならずに、世の中とほどほどの距離を保ちながらやっていくことは、個人と全体の両方にとって大事なことである。

僕ももう30歳である。色んなことを体験してきて、世の中のことも少しばかり見通せてきた。今置かれている、家や地域や会社や業界や、はたまた国や世界への、大小さまざまな環境への問題意識も確信レベルも強くなってきているのだか、それに振り回され過ぎないように、気を付けなくてはいけない。

僕が目指すべきは常に本物志向であり、その希望通りの高みにたどりつくためには、ナイーブな硬直した価値観を堅持して心地良いところだけで平泳ぎをしていてもダメで、だからといって果敢に現状や異質を食らい過ぎてもいけないのだと解釈している。

陰と陽のどちら一方でも成り立たなく、その両極生かした、コラボレーションの中に次の次元の答えはある。

これからも少しずつ、達観できるように励みたいものだ。
先日の出張のご縁で、某イスラエル企業の日本支社のCEOかCFOをやるかもしれなくなってきた。あるものを日本で製造し、とある地方都市で展開する構想で。なんとかファンドの仕事も続投できるようなスキームを組みたい。この製品が日本で普及すれば、とても面白いことになると思っている。この春夏はそのことでがんばらなくては。直感的に筋が良いと思える案件であれば、自然と動きは作られていくものだと感じた。逆に、無理にやらなくてはいけないものは、筋が悪く、取り組むべきではない。
起業家からの主に投資家などへのプレゼンのことを、業界ではピッチと呼ぶ。今日は、六本木一丁目の某所で、11社のピッチを受けた。

シンガポールで行われている大規模なピッチイベントの日本サテライトということで、アジアをベースにしている起業家や投資家が集まり、司会進行、ピッチ、交流会は全て英語で行われた。きっと、日本においても、このようなイベントで英語でなされるものが今後増えてくるだろうと予想される。中国人や台湾人といえども、コミュニケーションは英語なのである。

色んな出会いもあり、有意義であった。

不思議なもので、縁があるとトントンと進む。縁と感じているものは、つまりフィーリングのことで、捉え方や肌感覚は近いのだけれど、歩んできた道が違うので、交換する情報の価値が非常に高く、何か一緒にやるときにも基本的な哲学はぶれずとも、バックグラウンドや得意技が違うので、シナジーが高いのだと僕は考えている。

グローバル化はどのような形で速度を落とすのだろうか?

いずれにせよ、今以上の変化の速度を楽しめる自分にバージョンupしておかないと、肩身の狭い30代になってしまう。

がんばろう!
僕の尊敬する先輩が引っ張ってきてくれた案件で、某スタートアップベンチャーのCFO候補として、僕に関心を持ってくれた会社があるらしく、明日面談をすることになった。

正直なところ、行く気はちっともないのだけれども、今の僕のレベルで、どの程度通用しそうなのか、知りたいところではある。

話は逸れるが、僕は結構あらゆる物事に敏感な洞察力を発揮するタイプで、雰囲気の変化や人の本心などを感じとってしまったりする。それは分析やコミュニケーションを行うにおいて紛れもない強みになっているのだけれど、時としてはそれは、自分を追い込むことにもつながる。

そんな時は鈍感な人が心底羨ましい。

感じとったものを真に受けて、動揺しないように、常にその背景や文脈から仮説を導き、納得させるようにしてきた。

またそうやって自力で考えてきたこと自体も、僕の強みの一つになっていると思うのだが、やはり、自分で腑に落ちないと悩んでしまう。頭から中々そのイシューをどかすことができない。悩みが続くことで、日々の生活に支障をきたすのだ。

年に数回、たまーになることなのだが、どうやって対処すべきか、何か良い手はないものか、模索している。
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イスラエルはテルアビブで、Forbes誌で、The King of Africaとの異名を持つ投資家の方とその家族とディナーをご一緒させて頂いた。今年のダボス会議にも呼ばれており、後で分かることになるが、日本の首相くらいしか会えない人だった。僕のような分際が、ふつーはあり得ない話だ。

アフリカ投資を約30年行ってきたパイオニアで、プライベートジェットを持ち、数億円の寄付をポケットマネーでできる、おそらく、というか絶対に、僕が会ってきた中で一番の資産家である。

テルアビブの最高級のホテルの一泊5~8万円はするデラックススイートルームも3泊もプレゼントしてもらい、相変わらずのラッキーボーイぶりである。

静寂かつ、目で動物を殺せるくらいの凄みと慈愛の相反する要素を併せ持つオーラの持ち主で、彼と一緒に時間を過ごしただけでも意味がある。

この国は1人あたりの起業件数、特許件数が世界一だ。アメリカのナスダックに上場しているイスラエル企業は、自国であるアメリカの次に多く、ヨーロッパや中国、日本の合計を足しても届かないレベルだ。それでいて、自国からの投資は少なく、アメリカやヨーロッパからの海外からの直接投資が99%を占める。

兵役もあり、男子は3年、女子は2年、その役目につく。愛国心を強く持ち、母国語のヘブライ語を話さない人はほとんど存在せず、それでいて、英語に老若男女誰として不自由しないくらいの抜群の国際社交性を持つ。

まさに上記の範囲で、日本とは対局にある存在だ。

良くベンチャー業界では、起業が多いことや、投資額やIPO数が多いことが、疑いもなく無条件にポジティブに捉えられることが多いが、僕の印象では、社会においての金や知恵やモノの循環が成立しているということが、一番の見習うべきポイントであると感じる。

単に側面的に見習うと、全体解から外れてゆき、また新たな滞留ポイントが発生する。

きっと投資も循環で、誰もリスクマネーを供給しなかった、日本の不動産バブル崩壊後やリーマンショック後は、リターン度外視で、リスクマネーを供給することに意味があった。社会を良い方向に導くか疑わしいゲーム会社などに単なるリターン目当てで投資するるよりも。

投資で勝つというよりも、循環を生み出すために、負けないことが大事であり、そういった意味においては、現在の日本のスタートアップ業界のやれエコシステムを作ろうだの、グローバルベンチャーを作ろうだのの浮かれた騒ぎは、どうも未だに欲望深いノリが大半を占めており、きな臭く感じる。

実質的な循環を生み出したものにこそ、賞賛が与えられるべきであり、僕はそういう人を見つけてサポートしてゆきたいし、自分も更に考えを深めて、いずれ事業家として勝負したいと思っている。

いい加減、エコシステムとか株主リターン最大化とか何とかの民主化とか、西洋からの借り物の言葉や入れ知恵を愚直に(アホみたいに)再現しようとする敗戦国の癖は捨てなくてはならず、21世紀に相応しい、平和に導く本物の循環を作りだせるか否かが、本当の起業家道であると、僕は確信している。

グローバリズムというのは一つの抗えない世界共通の社会現象であり、それを上手く乗りこなすことがこの時代において勝つということではない。それで社会全体の問題は解決されるどころか、毀損することにも繋がりかねないのだから。

大事なことは、今の世の中のルールを乗りこなしながら(=負けない)、新しい形の循環重視型の秩序を創ることこそが、社会主体において、最もクリエイティブなことだと僕は信じ、何よりもクリエイティブな人生を求める僕は、そういったことを一つ一つ、レンガを積むように実現させてゆきたいと、覚悟と同時に胸を膨らますのだ。