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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

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出張で英国に来ている。
英国王室の資産運用を担当している方とディナーをしたり、チェルシーで行うアートフェアの準備をしたり、以前ホームステイをさせてもらった旧友と会ったり、ロンドンシティを闊歩したり、色んな方面に、日々楽しくやらせてもらっている。

すっかり美味しくなった色んなロンドン食を食べたが、英国給食の革命児、ジェイミーオリバーのハンバーガーはすげえ美味かった。ジューシーさや脂分による旨味ではなく、焼きと香りで勝負している。これこそ次世代のバーガーだろう。

またMBAを取ろうかと思っている大学の視察に、バーミンガムの方に行った。実は、目的地の一つ手前の駅がラグビー発祥の地、ラグビー駅で、大変興奮してしまった。

やはり、社会が成熟しており、日本が目指すべき形も米国よりも近いと感じる。この国で学ぶべきことは広くて深い。来てよかった。

明後日からはパリ、その後はイスラエルへと向かう。

色々と慌ただしくしている中で、また新年を迎えることとなった。

僕の身の回りでは、数年前に立った岐路を経て、その決意や頑張りの結果が出てきている人が多い。

やれ、仕事で駐在だ、昇格だ、結婚だ、出産だなど。新たな門出をそれぞれ迎えている、そんな年頃なのだ。

僕の場合は、脇目も振らず100%ピュアに仕事に取り組んでおり、その環境が益々進化しており、それは自らが望む展開以上のもので、本当にありがたいと思っている。

2014年も速度は落とすつもりはなく、仕事に邁進するつもりなのだが、もう少しフォーカスを絞ろうと思っている。

今まで、あらゆる方向に反復横跳びをやっていたものを、ポイントを減らしての爆走に変更するといった感じで、おそらく、もっと頑張らなくてはならないだろう。大局で見ても、この数年が、その後の自分のポジションを築く正念場と見ている。

かといって、ストイックに行き過ぎず、そろそろ女の子とももう少し遊んだ方が良い気もしていて、走りながらさじ加減を調整してゆくのだろうとおもう。

僕は今年、ファンドで部長職に就き、数億もしかしたら数十億の国内外の投資案件を発掘して実行し、別件での新たな事業を立ち上げて、国際学会のプロジェクトに深く関与し、アナリスト二次試験に合格しなくてはならない。

これでもやることを絞っていて、一件一件がかなりディープであり、考えるとワクワクするのだか、プレッシャーで、今までのようにのんびり過ごしていられない気がしている。

とにかく、目の前にとてつもないチャンスが飛び込んできており、モノにしてゆくのが、今年なのだ。確実に成長期に入った。

今までを振り返ってみても、こんなに大きく開けた時はなく、テレビ出たての若手芸人のように、体という資本に時にはレバレッジをかけて、がむしゃらにやっていかねばなるまい。

皆さんもそれぞれの置かれた環境を楽しんでやっていきましょう。良いお年を。
伊勢の式年遷宮に取材陣としてまぎれ、この目でお祭りをみてきた。

内宮の遷御の際、全国から選ばれた3000人の特別奉拝者しかこの行事をみることができない。皇室をはじめ、現首相や政界や財界や芸能界からの人物がたくさん来ていた。

昼の儀は清らかで神々しいのだが、夜の儀である遷御は静かでとても幻想的であった。3000人が数十分間、無言で神様が旧宮から新宮へ移るのを見守る。1200年間続く、全く同じ行事をみていると、いつの時代に自分が存在しているのか、わからなくなってくる。混乱や錯綜のようなものではなく、心地の良いまどろみのようなものである。

これから新しい日本の20年間が始まる。伊勢神宮の遷御で何かが変わったように思える。

今回分かったことは日本古来の神道とは宗教ではなく、自然崇拝の日本古来の土着信仰であるということだ。神という見えない、人智を超えた、something greatなものを尊び、敬う心を持っていさえすれば、受け入れられる場所なのである。他の宗教に入信していても問題ない。むしろ、神的なものを信じる存在がなくても、優しく抱かれる場所である。もちろん一神教のように、教典もないし、神や神の使者の定義も存在しない。

戦後の日本の教育で、この日本人の精神性の軸を作っていた宗教という危ないものというレッテルをはられ、蓋をされてきてしまった。なので、式年遷宮の意味さえ分からない人がほとんどであったが、今回の式年遷宮は日本人の多くの人の心に、何かが植え付けられたように思う。

20年前である前回の1993年の式年遷宮の時は、バブル崩壊後直後で、いまだ経済大国というもう心的に追い求めてきた幻想から抜けきれずにいた頃である。そして現在、失われた20年を経て、日本は、日本の独自性、つまりアイデンティティを求める体制に入った。

その中で、今回の式年遷宮という儀式は、国民ひとりひとりのアイデンティティを癒す、重要なターニングポイントであったように思う。これは西洋の概念である政教分離で使われるナショナリズムのような言葉ではなく、自分たちの”出生”や”家系図”のようなものである。

また、そこには、日本独自の出生の秘密だけでなく、人類にとって、普遍的な意味が込められていると感じた。それは、感性重視で自然感謝の、形に捕らわれず形のないものを朽ちさせない、真に持続可能な地球哲学のようなものだ。

本当に心から参加できて良かったと思う。おそらく、マスコミの中で僕のような立場で参加したのはただ一人であったように思う。「僕のような立場」とは、ふだんは資本市場や金融の世界というまったく離れた世界で働いていて、式年遷宮にマスコミとして入った人間のことである。招待をされて奉拝席で遷御を見守った人達はすでに団塊以上の人々がほとんどで、たとえば20代の若い人たちは皆無である。

この感覚は、他人に話すことはいくらでもできるが、究極的には、味わった僕にしかわからないことであると思う。特別な立場をもらったことを自覚して、世のために還元してゆきたいと、かなりまじめに思っているのである。
伊勢から京都へ行き、僕が好きな高級チョコレート屋にアポを取って訪問した。

今回は客ではなく、キャピタリストとしてである。

京都では会社設立2年ですでに3店舗出しており、地元の人にも愛され、順調に事業が育ってきている。様々な国際的な舞台でも講演されている。

社長の経歴が面白い。海外一流大学院卒業後、外資系投資銀行のアナリストを経て、ヘッジファンドに勤め、チョコレート屋を起業。コモディティ価格がほぼヘッジファンドにより決定されていることに気づき、カカオ産出国の農家が価格決定権を持ち、産業として発展させ、安定した現地の雇用を作るために起業をした。

一時間半ほど色々と話し、プレゼンをしてもらうように依頼を行った。

と同時に、僕が2年前に客として訪問したことも覚えて下さっており、経営への参加も是非、と言って頂いた。

このビジネスモデルはキャッシュをバカバカ生むものではないと思うが、利害関係者を全員ハッピーにするものであると確信している。

僕はこの事業を心から応援してゆきたい、と感じたのであった。何よりチョコレートが本当に、美味い。

役職については慎重に考えなくてはいけないが、僕が今後独立してやってゆきたいビジネスモデルにも似通っているし、何かと関わってゆければと思っている。

アイルランド人の個展のパーティーに青山に行ったのだが、そこで、有名な外タレの元祖芸能プロモーターと立ち話を長いことした。

とうやら気にいってもらえたようで、僕が英国発信のビジネスレポーティングの仕事をしていると言うと、英国大使を紹介しようか、とか英国貴族を紹介しようか、などとご提案くださる。なんとその方は後期高齢者(女性)である。最近大病を乗り越えられたとかで、とてもエネルギッシュだ。いつもの通り、僕はババアキラーなのであった笑

その他にも有名な漫画家や、省庁の元トップや各国要人などもいたのだが、こういう社交の場には相当慣れてきた感がある。

自己紹介もわかりやすく、盛り上がりやすい、でも嘘ではない、キャッチーな言い回しで言わないといけない。

例えば、大学関連ファンドとかではなく、「日本版ハーバード財団」を目指すとか言うと、異業界の人にはわかりやすく、なんだか凄いと思ってもらえたりする。

こういう場では、無名な人は、有名な人たちのコミュニティにはいるために、肩書きをこのように化粧する必要がある。

有名な人はそんなことは必要ないので、名前すら名乗らない。第一印象やわずかな会話で有名な人たちの何かに引っかかるかどうか、そんな世界である。

僕はやはりこのような世界が居心地が良いわけではないし、好きにはなれないものの、普段接さない人との繋がりが生まれる可能性については否定できない。そして、ただで酒も飲めるし軽食も食えるので、総合的にはプラスの勘定になる。

居心地の良いところばかりいたり、やったりしてても進化がないときがある。

このような社交の場が唯一のソリューションではないが、定期的にこういう場に出向くのは効用が大きいと感じたのであった。

繰り返しだが、あくまで、本業のすべきこと、あっての社交である。人とつながりたいなどと欲張らないで、フィーリングがあえばつながっとこうくらいでいいのだろう。

何事もうがって見ないで、現場を感じて本質に行きつかないといけないのだなぁと思った。