<別居中ー㉖>トラウマ③ 時間が流れる…。

 

夜中に「もう嫌だ」と泣き叫びながら起きた。

いつも傍観的な夢だったので、感情が吹き出し、衝撃が残る。

 

ネットで「夢占い 泣く」と検索。

「泣き叫ぶ夢は、悪いことの予兆のように思えますが違います!
混乱していた問題が解決する兆しの夢なのです。

泣き叫べば叫ぶほど大きく好転するでしょう。」

 

ちょっと、安心した。

泣き叫ぶ程、危機的状況かと思ったが解放しているのか。

夫に責められる恐怖。

泣き叫んで「やめてくれ」と言っても、絶対わからない。

感情を殺し続け、私はどれくらい泣いていなかったのだろう…。

やっと泣けるようになってきた、という事か。

 

アートワークの、「時間が流れる」とは、

こういうことなのか…。

 

夫は私の悪口を子ども達へ言い続けるのだろう。

私の一番の願いは、夫にわかって欲しい、聞いてほしい。

 

書きながら涙がこぼれる。

私はどれくらい、心に蓋をしてきたのだろう。

諦めたと言いながら、諦めきれずにきたのだろう。

「わかってほしい」という、私の執着を手放す事、

カウンセラーか、専門家に相談しよう。

兄や友達では、重すぎる。

 

フッと、以前聞いた事を思い出す。

虐待された子が親の愛情はなくても、

祖父母でも、親戚でも、第三者でも、

誰かの適切な支援があれば育っていけると。

 

夫にわかって欲しい執着を手放す。

わかってくれる人に受け止めてもらう。

何てシンプルな事なのか。

 

次に進まなくちゃ、という感じがする

学生時代に何度もひとり旅をしていて、

このまま放浪し続けたい、という誘惑がよぎる瞬間があった。

でも、帰らなくちゃ、と思えて良かったのを思い出す。

その感覚と似ている。

これまで、心が時間を止めて漂い続けたのだろう。

でも戻らなくちゃ、という感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<別居中ー㉕>トラウマ② 執着を手放す

 

アートセラピー後の帰り道、

過去と現在が行ったり来たりする感覚だった。

モラハラの記憶と共に封印してきた、

X JAPANの歌をYouTubeで何となく見て、涙がこぼれた。

 

私は、泣けるのか…。

いつから、泣いてなかったか。

私が泣くと、夫は「目から水を流す」と皮肉を言った。

トラウマの講義、アートワークで参加者や講師との会話、

私の離人感、解離は、トラウマのせいか…。

夫との関係はトラウマ、心の傷。

 

ぐちゃぐちゃ状態に、やっと名前が付いた。

私は夫との関係に、傷ついた。

かなり深い傷で、精神科医やカウンセラーに通っている。

苦しくて、何とかしたくて、こうして書いている。

 

ネットで検索。

トラウマからの回復の三段階モデル

第一段階:安全の確立

第二段階:想起と服喪追悼

第三段階:通常の生活との再結合

 

今は、第二段階か。

別居して安全が確保され、想起して書いている。

服喪追悼とは、執着と情を手放すことか。

 

喪ったものを悲しみ、悼むのは辛い作業だが、

回復の為に必要な作業で、癒しの重要な部分らしい。

自分の歴史を取り戻し、

希望とエネルギーを新しくしたと感じられたら、

主な作業を完了するらしい。

 

これまでの私だったら、

現状に悲観してネガティブなことしか考えられずに

あの闇に引き寄せられていっただろう。

でもお酒で紛らさせつつ、他の道を探したい。

 

 

 

 

<別居中ー㉔>トラウマ① アートセラピー

 

いろいろ、もがいている。

このぐちゃぐちゃは、何だろう?

言語化したい。

DV・モラハラをネット検索し、電話相談した。

カウンセラーにPTSDではないかと言われていると伝えると、

トラウマのアートセラピーがあるという。

平日だが有休をとって行った。

 

まずトラウマの講義。

 

「心は成長するよりも生存することを求め、時間が止まってしまう。

感情を奪い、人々との繋がりを妨げ、実感を持って生きられない。」

 

いくつか説明がある中の一つで、

「客観的な視点に意識が解離し、常に人や物事を客観的に見てしまう。

人間関係は主観同士でぶつかり合う側面があるが、

その土俵から出てしまい違和感を感じる」

まさに、今の心境を言語化していた。

 

感情を殺し続けた結果として、感情がなくなり客観的に見ている。

講師に「メタ認知を鍛えたのではないか」と質問し、

解離とメタ認知の違いを教えてもらった。

メタ認知は自分がいて、その自分を客観的に見ているが、

解離は自分がいなくて客観的に見ている。

 

夢についても質問した。 

いつも自分が何かをする夢ではなく、

誰かや何かを見ている夢だと言うと、

夢も関係していると言う。

 

夫のモラハラで感情を殺し続けてきたが、

職場で自分を閉じ過ぎて人間関係がギクシャクしてしまった。

自分を閉じ過ぎてきてしまった。

 

講師から、「揺れ幅が大きい」と言われた。

揺れ幅が0から100に極端に行ってしまったのを戻せば良いと。

 

でも、私にとって戻すとは感情を取り戻すという事。

感情を殺す前の、泣き続けるしかなかった自分に戻るのか。

 

次はアートセラピーで、

クレヨンや雑誌の切り抜きを使ったコラージュを作り、発表。

何とも言えない不思議な感覚が残り、講師に質問した。

いつもは使わない感覚が作用している。

参加者それぞれに違いがあるが、

それぞれの滞っている時間を流していくのだと。

 

滞っていた時間を流す。

何となく、次に進まなければ、という感覚。

何だかボーっとし続けた。

 

 

<別居中ー㉓>㉒の続き 発達障害、一線を越えている、その難しさ

 

<別居中ー㉒>の続き。

娘に「親ってズルいよね。

お父さんは、お母さんのようになるなと言う。

お母さんもそう言うよね。」と言われた。

 

私は、「お父さんのようになるな」なんて言ってない。

言葉を選び、自制の自覚はあったが、夫への批判がこぼれる時もあった。

自分から夫の悪口を言わないよう心掛けていた。

だが、娘にとっては50歩100歩か…。

 

でも、やはり違和感が残る。

夫は特性という一線を越えている。でも無自覚。

自分が言った言葉を、どうの様に相手が受け取るのか想像できない。

自分が言った言葉で、どの様な思いをするのかわからない。

だから、自分が言った言葉で相手が嫌な思いをしても、わからない。

 

同じ土俵だけで考えるのは無理がある。

一線を越えている事をわかってほしい。

発達障害、目には見えない理解されづらさは、

この、一線を越えている所だと私は考える。

 

私が疲れ果てて「もうわかった」と自暴自棄になるまで夫は言葉の攻撃をやめない。

私に認めさせて責任を回避する。

言葉の暴力を正当化する。

逆に言うと、夫は責任を回避したいから認めるまで攻撃し続ける。

屁理屈でも、前に言ったことと違っても、論点をずらしてでも、

責任回避の為、自分の非を認める機能がなく私を攻撃し続ける。

家を出た私が悪いと認めさせるまで、子ども達に私の悪口を言い続ける。

 

「非を認めることができないのが特性。

その特性に無自覚で、理不尽な理屈を押し付ける。

それがモラハラであり、言葉の暴力だ」

 

夫が自分の特性に気づかない限り、私は攻撃され続ける。

散々「やめてくれ」「わかってほしい」と訴え続けたが、

夫が自ら動かない限り、夫がわかる事はない。

 

寂しさや孤独感、子ども達と一緒に居たい、

家へ戻りたい思いもある。

しかしそれ以上に、言葉の暴力への恐怖。

夫の嫌味、皮肉、否定、辛辣なこき下ろしを聞く恐怖。

もう、聞きたくない。

私は穏やかに過ごしたい。

 

80才まで生きるとして、30年弱をどう生きていくか。

私に限らず、50代はセカンドライフの準備期間として

今後の人生を考えた方が良い時期らしい。

 

<別居中ー㉒>情を捨て、執着を手放す

 

選挙。勇気を振り絞り、

電話をしてから選挙用紙を取りに家へ行った。

日曜日、夫はリビングで娘と勉強をしていた。

恐怖。「こんにちは」とは言えた。

 

寝室で荷物を片付けながら娘と二人で少し話したが、

夫に「勉強しよう」とリビングから声を掛けられ、

娘が立ち去り際に、

娘「親ってズルいよね。

お父さんは、お母さんのようになるなと言う。

お母さんもそう言うよね。」

 

夫は、私の悪口を言い続けているのだろう。

夫の辛辣なこき下ろしは自制がない。それが特性だ。

聞かされる方も嫌だろうが、私には何もできない。

娘に「ごめんね」としか言えなかった。

 

私が家を出ても、夫は変わらない。私の悪口を言い続ける。

自分も悪かったと思える機能がないから。

自分を顧みる第三者視点がないから。

自分は悪くないと子ども達を洗脳したいから。

自分も悪くなったら責任を取らなければならないから。

必死に自分は悪くないと信じている。

 

家を出てから8か月。

こうして書かざるを得ないぐらいに混乱している。

夫に出会ってから33年、結婚後24年、

簡単には割り切れない。

頭では「無理だ」「諦める」とわかっている。

だがもっと深い所で執着を手放さないと、私はとらわれ続ける…?

 

家を出た一か月後、弁護士相談で言われたのを思い出す。

離婚は結婚の3倍大変、情を捨てろ、と。

これか…、と思う。

夫婦、家族、濃密な関係を断ち切ることは難しい。

意識した事のない執着や情と向き合わざるを得ない。

 

一緒に歴史を作り、いろんな思い出がある。

「夫婦や家族の歴史」との決別、

そりゃあ、決定打があっても迷って当たり前。

法律的にも離婚は3年くらいの別居期間があって認められるらしく、

距離を取り、時間をおく、理にかなっている。

 

これからの人生、私だけでなく、子ども達も夫も、

納得してそれぞれの人生を歩めたら。

できれば死ぬ時に「捨てたものではない」ぐらいに思えたら。

少なくとも「耐え続けた」ではなくなったが…。

<別居中ー㉑>50代、人生の転機

 

②「50代でしなければならない55のこと」中谷彰宏著の解説動画

 

50代にやること、究極のランキング10選とあり、

その3位にスケジュールを詰めないとあった。

50代は人生の転機であり、今後の人生を考えた方が良いという。

投獄や入院と思ってスケジュールを開け、

10年後にやりたいことを考える時間を作る。

私の場合、意図せずの別居で強制的に時間ができてしまった。

今後を考えろということか。

 

<別居中ー⑰>暇と孤独で書いたが、

心理学者マズローの欲求5段階説。

私は今、どこなのか。

 

第3段階の所属と愛の欲求、

転職後で別居という、限りなく不安定だが、

外見上は実現されている?とすると、

第4段階の承認欲求、第5段階の自己実現か?

 

そんな所に、また夫の嫌がらせ。

娘から電話があり、高校受験が終わるまで会えないと夫が言わせている。

日曜日、娘と会う予定が突然無くなり、

このまま家にいたらビールを飲んでダラダラ。

これまでは、自己保存で大混乱を乗り切った。

でも、今それをしたら駄目になる…?危機感がよぎる。

 

とにかく家にいてはいけない。

 

80才まで生きるとして、あと30年弱をどう生きていくか。

定年退職とされる65才まであと13年、4745日。

主婦期間が長く、年金定期便によると、

65才からもらえる年金は月額7万ちょっと。

離婚後の年金分割は不確定。

65才からも働き続けねば。

 

知り合いで、非常勤だが70才過ぎの現役ケアマネがいる。

ケアマネ、人材不足も言われているし、資格として堅実か。

試験勉強で自分を忙しくする、

暇で孤独だからこそできる最たるもの。

でも…これから勉強か…。

 

これまで両親含め、身近な50代で勉強している人を見たのは僅か。

でも、「若くない」を自覚しつつ頑張っている人、

いるのだろうな…。

 

 

 

 

 

<別居中ー⑳>孤独は不幸か?別居はネガティブか?

 

テレビがないのでYouTubeをよく見る。

家を飛び出た直後は「太田上田」を1から見まくった。

お笑いやサスペンスで現実逃避。

カサンドラや精神科医の解説動画も見るが、

今後の人生を考える動画へシフトしてきた。

中でも本の解説動画が多く、孤独や50代などの題名に目が留まる。

 

①「孤独こそ最高の老後」松原惇子著の解説動画

「多くの日本人は、孤独は辛いとか負け組とか思っているが、

孤独のメリットにも注目するべきだ。

日本で老人は寂しそうだが、ドイツでは孤独が当たり前。

自立と孤独はセットだと、小さい頃から教える。」

 

孤独は不幸かなと思っていたけど、日本だけ…?

私の見方が偏っている?

おばさんひとり暮らしのこの状況、

孤独をポジティブに考えることもできるのか…。

 

そこで、ハッとした。

私は別居を不幸とまではいわないけど、ネガティブに思っている。

近しい人に別居を言ったが、職場では言いたくない。

転職して8か月。

職場で必要があれば言わざるを得ないが、必要でなければ言いたくない。

でも、言いたくないと思う事自体、ネガティブ…?

どっちでも良いと思えた方が楽か…?

 

そろそろ年末で年賀状問題、年賀状友達には言ってない。

別居をネガティブに考えると言いたくないが、

オープンに言う事で年賀状だけでなく始まる関係があるかもしれない…?

 

私はどうしたいのか。

10代から20代、学生時代のモラトリアム(猶予期間)で散々考え、

いろいろ決断し、そのまま流れていきたかった。

でもまた自分の人生と直面せざるを得ない。

これが、私の課題か…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<別居中ー⑲>離人感

 

一人で家にいると、いろいろ考えてしまう。

下手の考え休むに似たり。

 

夏が暑すぎたので、水中ウォーキングを始めた。

元々運動の習慣がない。筋力がなく、すぐ疲れる。

都度会員のスポーツクラブのプールで

1回2時間1000円。

泳げずプールを避けてきたが、水中で歩くのは20分だけ。

あとはジャグジーのプールやお風呂でボーっとしている。

これまで肩こりが酷くて整体へ通っていたが、

今は整体へ行くほどでもない。

一応運動している免罪符も付いてくる。

 

料金が高いイメージのスポーツジム、

高齢の方々が泳いだり、水中ダンスやジムで運動、何だか元気そう。

そんな世界もあるのか…。

 

これまで、自分で自分を閉ざし過ぎてきた。

土日の朝に長く寝ていると夫に寝過ぎだと起こされ、

メシを作れと義務で食事を作り続け、

本棚を片付けろ、床が汚い、母親失格、散々責められた。

やっぱりあれは、異常だったよね…?

 

十数年、あまりに長く耐え過ぎた。

これまでの生活と、今の生活のギャップが大き過ぎて離人感。

<別居中ー⑱>「諦」ー明らかに見極める

 

精神科受診。

次の日が休みの時に向精神薬を飲んたが、

朝起きれなくなったことを伝えた。

 

私は適応障害らしい。

仕事には行けているのでうつではないらしい。

 

ひとりで家にいるといろいろ考え、

またあの暗闇を覗こうとしてしまうので、

お酒を飲んで紛らわすと言うと、

お酒を飲まずに抗不安薬を出すから飲んでみてと言う。

お酒は、やめられない…。

 

話は変わるが、

YouTubeで古舘伊知郎さんが仏教を推していると言い、

「人生後半、そろそろ仏教にふれよう」という佐々木閑さんとの対談本を読んだ。

 

日本で信仰されているのは「大乗仏教」で、

釈迦がつくったオリジナルの仏教とは教義の内容が全く異なるらしい。

釈迦の仏教は人助けを目的とする宗教ではない為、

「信じる、信じない」ではないと。

 

キリスト教は、「信じる、信じない」を問われて苦しかった。

息子のアレルギーが重くても受け入れてくれた

プロテスタント系の幼稚園では、

毎週日曜日に子どもとは別に大人の聖書の勉強会があった。

聖書を歴史や物語として学ぶのは楽しかったが、

信仰として学ぶことはできなかった。

どうしても、誰かの考えを100%信じることはできない。

 

釈迦の仏教は自分自身が苦しみから解放される方法を考え、

自分の心を自分で改良していくというのが仏教の基本構造らしい。

 

また、日本語で「諦める」は放棄や断念など、

ネガティブなイメージで使われることが多いが、

仏教では「明らかに見極める」、

「諦」は「真理」の意味があると。

 

夫にわかってほしいと思い続け、

これまでネガティブに諦めてきたが、

「明らかに見極める」、

そんな解釈もあるのか…。

 

「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」

(ブッダのことば スッタニパータ)

孤独を怖れる必要はない。

自分が本当は何を求めているか、

孤独と向き合う時間は貴重であり、

学びや仕事は孤独を支えてくれると。

<別居中ー⑰>暇と孤独

 

人間を蝕むのは暇と孤独。

まさしく今、生活も仕事も落ち着きつつあり、

周りが見えるようになって、暇と孤独に直面している。

次の段階に入りました、という感じ。

 

心理学者マズローの欲求5段階説の様に、

別居にも段階説があるのだろうか。

 

マズローの5段階説でいうと、

第1段階の生理的欲求、第2段階の安全の欲求が満たされ、

第3段階の社会的欲求、所属と愛の欲求へ入ったという事か。

さすがに、ホテルやマンスリーマンション暮らし、

貯金が少ないのに家がないのは危機だった。

 

第1段階ー発作的に家を出て混乱と興奮の時期

ホテルから実家へ。

住む所や今後の心配、疲れもあるが友達に連絡しまくり会って話した。

家を出たら離婚だと思っていたが、別居という名のモラトリアムだった。

 

第1.5段階ー恐怖から夫に連絡できず、精神的逃避の時期

実家からホテル、マンスリーマンションから賃貸と、

賃貸へ落ち着くまでに3か月かかった。

最大の障壁、引っ越すという事は、夫に連絡しなければならない。

引っ越し業者に来てもらう為に、私は家へ行かねばならない。

また責められる、恐怖を乗り越え連絡した。

 

第2段階ー新生活の立ち上げ期

引っ越し後、生活するための環境整備をしつつ、

仕事も大荒れの時期で、疲れ果てて動画を見るか寝るか。

車処分の件で夫へ連絡しなければならず、でもできず鬱々。

自分を閉じ過ぎてきた事から職場でも苦しく、

底つき体験があってか、何とか夫へメールした。

 

第3段階ー落ち着きという名の暇と孤独

職場は何人も同僚が辞めると言い、一抜けで辞めた方が楽かという状況。

転職して6か月しか経ってないのに、職場も大混乱。

これまで閉じ過ぎてきて、どうしたらよいのか八方塞がりだが、

周りが見える余裕が出てきた。

 

本当に、これからどうしたらよいのか、

私はどうしたのか…。