<別居中ー㉜>原点回帰-1

ーこの経験から私は何を学ばなければならないのか気づかなければならない。

それが、過去と現在を受け入れるという事。

 

人生に、どんな意味があったのか、

 

夫に言われたのが、

「飼ってやってる。ぶら下がっている。」

私の経済的、精神的自立の問題。

 

結婚後、夫の仕事の関係で海外生活となり、夫の人生を歩んだ。

出産後、子どものアレルギー、発達障害、

子育てだけではない病気や特性があり、

子どもの事だけで日々が過ぎていった。

その後、夫の仕事が落ち着き、住む場所も定まり、

子ども達も大きくなって病気や特性への対応も減った。

 

家を飛び出たタイミングは、

もう、私はいなくて大丈夫、

夫のモラハラにこれ以上耐えられない、

必然だった。

 

通勤途中、原付バイクを運転しながらフッと思った。

結婚後5年の海外生活、夫と二人で閉じ、苦楽を共にした。

夫と閉じていたかった。

夫と付き合い始めた20代、私は精神的に不安定だった。

揺るがない夫に魅かれた。

一般的に¨親子カプセル¨と言われる状態があるが、

私は¨夫婦カプセル¨の心地よさ、

夫のワールドにいたかった。

 

昔、私が悩んでいると、

夫が「お告げじゃー」と茶化しながら、こうすれば良いと言ってくれた。

夫は、私が悩んでいる相手をこき下ろし、留飲を下げてくれた。

夫に支えてもらい、離れられなかった。

だが…。

こき下ろし、難癖、責め立て、暴言、

敵認定され攻撃先が私になりモラハラ状態になった。

色々な状況下で、夫のモラハラに長年耐え続けた。

 

これまでの経過があっての別居。

アイデンティティークライシス。

どん底。

 

私は、夫とどうしたいのか。

結局、そこだよな…。

 

夫に「わかってほしい」という執着を手放す。

というか、こう書いていること自体、

執着が手放せていないのだろう。

私は、魂の学びにできるのか。

いろいろな意味で、夫と向き合わねばならない。

 

自立の問題、20代の学生時代に散々考えたが、

「ちゃんと学び終えていないと、逃げた先で同じ問題を引き寄せる」

本当にそうだ。30年経って、原点回帰。