<別居中ー⑯>人生の目覚まし時計

 

カウンセラーに言われたが、

モラハラ夫から離れなければ、うつかアル中。

ゆでカエル理論で病んだ。

(カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、

常温の水から徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れ、

生命の危機と気づかず、ゆであがって死んでしまうという話。)

 

感情を殺し続け、お酒で感覚をマヒさせ続けた。

常温の水が、いつのまにか熱すぎた。

しかし、人生の目覚まし時計が鳴った。

 

目覚まし時計、2回鳴った。

1回目は、息子が中学3年生で、夫のモラハラ最高期であり、

3年半務めた事務パートをやめ、常勤で働こうと決めた時。

そして2回目、もう駄目だと思って家を出た時。

 

このままではいけない、と思って行動に出る時、

人生の目覚まし時計が鳴る。

 

だが、しかし…。

 

疲れ果ててネガティブな時は、

寝ていたかった…とも思う。

こんなに大変な思いをするなら、

耐えてうつかアル中でも、今より良かったかもと。

 

気持ちが揺れる。

あの状態ではいられなかったけど、

では、どうしたいの?

 

もしかしたらこれまでも、目覚まし時計が鳴っていたかもしれない。

でも、寝続けて気づかなかったかもしれない。

兄や父に「自分を大切にしろ、子ども達もわかってくれる。」

と言われ続けたが、子どもや経済力を理由に寝続けていたのかもしれない。

 

夫や子ども、仕事、メンタル、これからの生活、

私は今、ピンチ、だよね…。

仕事の忙しさやお酒で紛らせているが、

ふとした瞬間に、あの底なしな暗闇を考え出してしまう。

マズい。

どうしよう、ではなく、どうにかしなければ。

 

 

 

 

 

 

<別居中ー⑮>周りが見えてきた…。

 

特性に気づいてほしい、

 

<2-⑤>でも書いたがジョンレノンの曲、

「I didn’t mean to hurt you
I’m sorry that I made you cry」

 

「傷つけるつもりはなかったけど、

泣かせてしまってごめん」

 

と、言ってほしかった。

わかってほしかった。

私が家を出ることで夫はわかってくれるのではないか、

わかってくれたら戻りたいと思っていた。

 

飛び出してから半年、

職場で苦しい思いの中から、自分が閉じすぎてきた事に気が付いた。

家を出たら生きられないと思ってきたが、今も生きている。

 

兄と父の、「もう、(離婚して)いいんじゃないの?」

¨やれやれ¨¨まだわからないの?¨という言葉や態度、

何となく、わかってきた。

よくまあ、耐えてきた。

感情を殺し続けた生活は、異常だった。

 

夫や、夫に似ている子ども達との生活は、3対1。

私は自分の感覚が正しいのか、おかしいのか、

¨常識¨や考えが揺らぎ続けた。

自分がどうしたいのか、わからなくなっていった。

 

息子が小学1年の時、

「何故宿題をしなければならないのか」と言う。

私は、ビックリした。

 

娘が小学5年生の時、

クラスの子や担任が心配するいじめにあったが、

娘は「私は傷つかない」と言い、気にせず学校へ行った。

私の感覚と違う。鮮明に覚えている。

 

これまでの私は、自分の感覚の延長線上で、

私だったらこう考えると類推したが、それが無意味なのだ。

目には見えずらい発達障害の難しさ。

本を読み、相談し、頭で、知識で、

夫や子ども達との、感覚や考えの違いを理解しようとしてきた。

 

だが、夫も子どもも困らない。

何だか、ズルい…。

私は、理解し続けなければならないのか。

子ども達の事は理解したい。

でも、夫は無理だ。

 

 

 

 

<別居中ー⑭>正義の鉄槌ーその後(別居中ー⑤の後日談)

 

<5別居中ー⑤>の続き。

 

夫の理不尽な嫌がらせで娘に会う機会を奪われた。

私は虚無を見るかのような絶望から、

カウンセラーに精神科受診を勧められた。

 

その後娘から連絡があり、日曜の午後に洋服を見て回った。

私「お父さんは、大丈夫なの?」

やるべき事をやれば大丈夫と言う。

 

前に娘が言っていた。

娘「お父さんの了承なしに(私が娘と)会うのは誘拐なんだって」

私「えっ?」

なに、それ?

 

娘は幼児ではない。中学3年生、意思がある。

夫は私の悪口を吹き込み続けているのだろう。

父親が、母親の悪口を子どもに言うのは、子どもにとって猛毒だ。

私は母から父の悪口を聞き続け、母を支えながら、子どもとして苦しかった。

やめてと何度も言ったが、わかる脳の機能がない。

毒を吐かずにいられない人種だ。

 

その後娘に会い、次に会う約束を決める時、

娘「お父さんが(今日会う時)お母さんと昼食を食べないのか聞いてきた」

私「えっ?土日は一日勉強するから外出できないって、言ったよね?」

娘「んー。今はお兄ちゃんの勉強見るので忙しいからね。

  お母さん、気にしてもしょうがないよ。」

えーーー???

 

これまで、土日の午後に2-3時間の外出すらできない、

受験が終わるまで会えないと娘に言わせたのは、何だったのか?

 

まただ…。

夫は、娘に(私と)会えないと言わせた時と、今が繋がっていない。

言われた方の気持ちを想像できない。

夫には、他人の気持ちをわかる脳の機能がない。

わかってほしいとあがいた十数年、無意味だったと頭ではわかる。

それでも、夫と過ごした年月の重みからわかってほしいと思っていた。

自分に言い聞かせるために、こうして書かざるを得ない。

諦めろ。

 

夫は第三者視点がない。自分を振り返る脳の機能がない。

自分を省みる機能がないから、相手を責める事しかできない。

「言い過ぎたかな?」と、気づく発想が全くない。

夫は、困らない。困ると思える脳の機能がない。

発達障害は目に見えにくい。周りの者が諦めるしかない。

怒りの時期はとうに過ぎ、諦めの時間が長すぎた。

私は感情を捨て続けたこれまでを、今更ながらに気づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<別居中ー⑬>カウンセリング⑵

 

私は、今後の見通しを知りたい。

何となく、生きれる人生ではなくなった。

大海に放り出されてしまったというか、飛び込んだというか。

子ども達の事、経済的自立、表面的な事と共に、

こーゆー状態になるのが怖くて耐えてきたのかもしれない。

孤独、自分の人生と向き合う覚悟、不透明…。

 

エリクソンの心理社会的発達理論には8つの発達段階があるそうだ。

18~40才は結婚や出産の課題、40~65才は中年期の課題、

65才からは定年退職後の人生という、段階ごとに課題がある。

死ぬ時に自分がどういう人間だったか、自己統合できたか絶望か、

私とは何か、というアイデンティティの問題は

死ぬまでずっと問い続けるらしい。

 

アイデンティティ、学生時代に聞き、

カタカナ英語、何それと思ったが、またそれか…。

 

誰しも65才くらい、老いと共に定年退職後の人生という再構築が迫られる。

段階ごとに課題があって、自分の人生を作り続けねばならない。

私は51才の今と、0才~51才の過去しか見えていなかった。

でも、例えば私が80才まで生きるとして、

カウンセラーは80年の中の51年と見ている、と何となく感じた。

大きな流れの中の一地点という捉え方。

大局的に見て、最終的に良かったと思えればそれで良いのではないの?と。

あと29年しかないと思うのか、29年もあると思うのか。

 

私は回復してきていると言う。

私とは何かをつくり続ける、それが回復らしい。

自己を確立する、アイデンティティを作ることが回復らしい。

 

回復の過程で感覚が戻ってくるらしい。

自分を麻痺させるために飲んだお酒、

今は麻痺だけでなく美味しく飲める。

 

今の職場がいつまでもつかわからない。

でも、生きていく為に働き続けなければならず、

自己回復やアイデンティティを作る上で

社会的自己を作っていく事が大事らしい。

 

女性の方が妻や母、嫁など役割が多いそうだ。

私は別居することで、妻の役割から降りた。

母として直接的な役割ができていない焦りはあるが、

母の役割は今後29年続き、今はその中の6か月でしかない。

これから子ども達とどの様な関係を作って行けるのか。

 

エリクソンのモデルとして、

ここで自分と向き合って、何らかの行動をすれば、

死ぬ時に自己統合して良かったと思えるのかもしれない。

何もしなくても、良かったと思えるのかもしれない。

母の様に認知症になったら、考えなくて済むかもしれない。

エリクソンの考えは重い。

人生を俯瞰する視点を教えてもらった、とも思うが…。

51才、本当に疲れる…。

 

<別居中ー⑫>カウンセリング⑴

 

今の、この状況は何なのか。

これからどうしていけば良いのか、途方に暮れている。

別居という名のモラトリアム、学生時代のモラトリアムと違う。

学生時代は友達やボランティア仲間と語り明かす中から、

自分はどうしたいのかを考え続けた。

しかし、今はタイムリーに話せる人がほぼいない。

本でも何かの会でも何でも良いから出会いたい。

 

数年来通うカウンセラーに相談した。

私が知りたい事は、

①今の私の状態、この状況は何なのか

②今後の見通し、別居後どの様な道筋を辿るのか、イメージを持ちたい

 

私はモラハラサバイバーだそうだ。

ジャーニー、難民とも言うという。

 

モラハラ下で理不尽な状況に耐えてきた。

夫のこだわりが強く、根負けして従わざるを得ない。

泣いても、逃げても、夫はわかる機能がないから追ってくる。

耐えるしかないとは、選択肢がないという事。

その耐えるしかない状況から逃げ出した。

あの状況で耐え続けたら、うつかアル中か。

 

夫の言葉の暴力はエネルギーを吸い取る。

私は自分を閉じることでエネルギーを使わず、閉じることでやり過ごした。

自己保存と言うそうだ。

自分を閉じすぎて職場で苦しい状況になり、

そこから閉じ過ぎていたことに気が付いた。

 

引っ越しや仕事の、嵐のような時期が過ぎ、

ちょっと周りが見れるようになってきたという事は、

エネルギーが出てきたという事らしい。

 

カサンドラという、選択肢の無い理不尽な状況に耐えてきた。

逃げ出し、選択肢を持った私は、カサンドラではないらしい。

選択肢を持つことと経済的自立は大きく結びつく。

選択肢を持った上で、パートナーと再構築する人、

選択肢を持ったからこそ、パートナーと関係を断つ人、捨てる人、

再婚する人、起業する人、人それぞれだと言う。

 

そして、カサンドラ状態から抜け出し、

自分の人生に焦点を当てる、次の段階になったらしい。

 

もう戻れないが、

耐え続けたら自分の人生と向き合わずに済んだのか?

学生時代も思ったが、昔は誰かが決めた役割の中で生きる人が多数派だった。

現代は欧米から入ってきた考え方が主流。集団主義ベースの個人主義。

51才で、また自分の人生と向き合わねばならない、

作り直さなければならない、正直シンドイ…。

 

<別居中ー⑪>仕方がない

 

平日の朝、仕事へ行きたくなくて、でも行かねばならず、

テレビがないのでYouTubeを見ている。

 

苦しい時に見ている精神科医益田先生のYouTubeで、

「治療のゴールは「仕方がない」と思える事」

 

ストンと自分の中に落ちた。

「自分を大事にしましょう」「やりたいことをやりましょう」

などは欧米的価値観から来ていて、混乱する人が多かった。

日本の文化や価値観に基づく仏教的用語を探してきたと。

 

「仕方がない」

似た言葉で、10年以上前の言葉だが忘れられない言葉がある。

 

息子のアレルギーが重く、数か所の幼稚園から入園を断られ、

息子が拒絶されたかのような絶望感。

当時、食物アレルギーでの死亡が大々的に取り上げられ、対策がなかった時代。

仏教系お寺の幼稚園で、僧侶である園長先生の奥さんであり年長組担任の先生に、

アレルギーっ子の大変さや、入園を断られてきたことを話した。

 

「しょうがないことって、ありますよね」

 

受け止めてもらって嬉しかった。

先生の経験や価値観、諦念を感じ、

「しょうがないことがある」ことを受け入れた。

 

その仏教系幼稚園で入園できると言ってくれて本当に嬉しかったが、

保育時間の長さ、おやつなど息子には難しく申し込みできなかった。

だが、プロテスタント系の保育時間の短い幼稚園で受け入れると言って頂き、

本当に有難かった。

 

現在、私は仏教信者でもキリスト教信者でもない。

誰かの考え方を100%受け入れられない。

 

夫はある意味、若い頃の私にとって教祖だった。

私は不安定だが、夫は揺るがず凄いと思った。

でも今、夫のワールドを100%受け入れられない。

夫は黒か白か、灰色がない。

話してお互いの妥協点を見つける事はない。

宗教に入るか入らないか、夫の考えを受け入れるか受け入れないか。

宗教は白黒、夫も白黒。しかし人間関係は灰色だ。

私は柔軟に、穏やかに過ごしたい。

 

<別居中ー⑩>精神科受診

 

息子の高校受験で夫のモラハラが最高期の頃、精神科へ通っていた。

それから期間が開いての再受診。

常勤で働き始め、遠くて通えず、近医で睡眠導入剤や安定剤を貰っていた。

 

カウンセラーからPTSD、解離と言われ受診したことを伝えた。

また、現在職場で人間関係的にターゲットになっている、

これまで耐え過ぎて人間関係に支障をきたしている、

仕事へ行くのが毎朝苦しい事を伝えたら、

「1-2か月休みますか?診断書書きますよ。その間傷病手当をとったら」

 

その瞬間、苦しさからすがりそうになった。

でも、1-2か月休んだ後、私はどうしたら良いの?

見通しがが立たないと休めない。

そんな、簡単に(?)休職なんて言わないでよ…。

 

今回初めて向精神薬を出すと言い、飲酒をやめろと言う。

考えるとして、いつもの睡眠導入剤も処方してもらい再診予約をした。

 

出された向精神薬は次の日が休みの日に飲んでみた。

朝のいつもなら起きる時間になっても不可抗力的に起きれない。

平日は飲めない。

3回飲んでみたが、ぐっすり眠れる時とそうでない時と。

私にこの薬は必要なのだろうか…。

 

<別居中ー⑨>自分を閉じすぎてきたー⑷

 

これまで自分を閉じてきた。

夫に何か反応したら、何百倍にもなって言葉の暴力が返ってくる。

自我を殺し続け無感動になった。心を閉ざし耐えた。

 

カウンセラーは解離と言う。

単なる無感動なのか、自分の感情に振り回されなくなった。

その弊害だと思うが、他人とのコミュニケーションがギクシャクする。

昔の私なら感情的な所で人と繋がっていたが、繋がれない。

心を閉じすぎて、他人とのコミュニケーションに支障をきたしている。

 

このままではいけない。自分を閉じたら駄目だ。

あの底なしな暗闇の感覚、こうやって発狂するのかという恐怖、

あの恐怖に比べたら、酔って麻痺した方がマシだ。

あの恐怖を見てしまった。もう、戻りたくない。

では、どうしたら良いか。

それは、自分から話しかける事、心を開く事。

 

カウンセリングの予約を取った。

友達にLINEして、会うことにした。

離婚で検索し、LINEのオープンチャットに参加した。

そして、夫にメールを書かねば。

 

6月の引っ越し時、夫より車の処分について言い渡されていた。

夫の名義だが私が乗っていた為、やらねばと思っていた。

車買取サイトへ登録したら、電話が凄くて怖くなった。

どこも査定で車を見に来ると言う。

別件だがディーラーから電話があり、売却の相談をした。

 

今は9月。ずっと心の重荷だった。

連絡したらまた責められる。でも、このままではいけない。

日本酒の勢いで恐怖を紛らわせ、調べたことを書き、

あとは夫が処分してくれとメールを送信した。

返事はないが、履歴は残る。

 

何となく、私って今、ピンチだよね、と思う。

 

これまでの私は、悲観して自分で自分を追い詰めてきた。

でも今は、他の考え方もできるのではないかと思う。

ピンチをチャンスに変えるって、今の状況で何をすること?

悲観は感情だが、楽観は意思だ。

頭では理解できても、毎朝仕事へ行くのが辛い。

言うは易し、行うは難し…。

 

<別居中ー⑧>自分を閉じすぎてきたー⑶

 

仕事を休んだ月曜日、とりあえずカフェへ行った。

カフェで日記を書きながら、この状況を誰かに話したいと強く思った。

でも、ひとり暮らしで誰にも言えない。

これまではプライベートでも仕事でも自分を閉ざし、

最低限以外は自分から話しかけなかった。

 

すでに、病んでいるのだろうか…。

自分を閉じすぎて、私が限界だ。

プライベートでは発狂する恐怖を感じ、

仕事ではメンタル厳しくなっている。

 

とにかく誰かと話したくて、占いへ行くことにした。

同僚で手相や四柱推命に詳しい人がいて、

私も子どもの頃からいろいろ占いが好きで興味がある。

ネットで調べ、デパート9階の占いコーナーへ。

 

まずは四柱推命で私の資質を言い、何となく警戒心が解かれた。

仕事の事を話し、実はメンタル的に今日休んだことを話した。

次のタロットで、

「今は苦しいだろうから、無理をしてはいけない。

(カードが)正位置だったら辛いだろうから辞めたほうが良いけど、

逆位置だからそこまでではないだろう」と。

 

とても上手く話を聞いてくれて、

今すぐ辞めるつもりはない事を汲んでくれた。

タロットの絵は何だかわからず、

私にカスタマイズした即興ストーリーに聞こえなくもないが、

発作的にメンタル休みをした事を話せて、ちょっと気が楽になった。

 

こうして書きながら、何故占い?と思うが、

あの時は本当に切羽詰まっていた。

明日は仕事へ行かねばならない。

自分を立て直さなければならない。

プライベートもどん底だが、仕事も重なった。

引っ越しをした6月は医療制度改革とともに業務も一新され疲弊。

転職して半年、毎朝、仕事へ行きたくない。本当に、心が重い。

仕事は常に目まぐるしく、こんなことを続けていったら、どこかで破綻する。

行きたくない、でも、もう7時34分。タイムリミットまであと16分…。

 

何とか業務をこなさねば。

通常業務の他に突発的な案件が次々と起こる。

常に頭の中で優先順位、次にやるべき事を考え、黙々とこなす。

気が付くともう16時、あと1時間ちょっとだ。

何とか残業終了まで持ちこたえ、疾走感。

 

とにかく黙々と仕事をし続けたが、

仕事を教えてくれる人の私への言い方がキツく、同僚から心配された。

以前そのキツく言う人のせいで休職した人がいて、

その人の休職前の状況と、今の私の状況が似ていると言う。

 

そんな月曜日の朝、原付バイクのエンジンがかからない。

気が付くと8時7分。

何回やってもエンジンがかからない。

遅刻していくか、午前中休みを取るか、1日休むか。

 

メンタル的に、無理していくより休もうと思った。

ここで頑張って行ったら、もっとメンタルやられる。

 

でも家にいたらビールを飲んでしまうと危機感を感じた。

 

私は今、ピンチ、だよね…。

 

51才のおばさんが、別居中で一人暮らし。

仕事も転職したばかりなのに、メンタルやられそうでもう次を考えている。

友達は仕事も家庭も落ち着いている。

比較してもしょうがないと思うが、それにしても、我ながら、何なのだろう…。