らすログ☆ -14ページ目

無事帰宅

楽しい旅も終了しました
無事帰ってこれてよかったです

旅に出ます

明日から主人の両親と一緒に北海道へ旅行音譜

電車好きの主人&息子のおかげで、いろんな電車に乗れそうです。

いつもお世話になってばっかりなので1つでも親孝行ができたらいいなぁと思います。

以前、お姑さんが「あんたら2人が仲良くしてくれてたら親孝行」と言ってくださったので、仲良く楽しんできますドキドキ

國體護持 第六章 第二節 (動的平衡と雛形理論)-2

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(動的平衡と雛形理論)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10291019999.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (動的平衡と雛形理論)-2



 『大學(学)』でいふ「修身齊(斉)家治國(国)平天下」といふのも同じである。これらは、森羅萬(万)象や社會(会)構造の全てについて、この雛形理論で説明できることを示したものであつて、人の個體(体)、家族、社國(国)家、世界のそれぞれの人類社構造の解明についても、この理論が當(当)然にてはまる。



 また、同じく社會(会)學(学)としてその科的考察を必要とする法律、憲法國(国)の分野においても、同じく「科」である限りは、この雛形理論が適用されることになる。つまり、家と社、民族、部族、家族、個々の民とは、同質性が維持される自己相似の關(関)係にあり、個體(体)の細胞や分子が全く入れ替はつても人格が連續(続)する姿は、皇位が歴代繼(継)承され、民が代々襲しても、それでも連綿として皇統と國體は同一性、同質性を保つて存する家の姿と相似するのである。「」は「家」の雛形的相似象であることから「家」といふのであつて、天皇機説や家法人説も、人家の相似性に着目した説であつた。



 そして、「生體(体)」がその構造と代謝の基本單(単)位である「細胞」で成り立つてゐるのと同樣(様)、「國(国)家」もまたその構造と代謝の基本位である「家族」から成り立つてゐる。家族(細胞)が崩壞(壊)して、ばらばらの個人(分子)では家(生)は死滅するのであり、「個人主義」から脱却して「家族主義」に回歸(帰)しなければ、家も社會(会)も維持できないのである。



 この動的平衡と雛形理論からすると、政治、法律、經濟(経済)などあらゆる分野の構造においてこれが適用されることにより安定化が圖(図)れることになる。それは、生體(体)において、構造と代謝の基本單(単)位が細胞であるのと同樣(様)に、經濟單位が家族位の規模まで極小化することが最も安定することを意味してゐる。家族位まで極小化したものが、さらに個人位まで極小化できるか否かはその後の課題であるが、現在の個人主義的な經濟單位とするグローバルな經濟構造では、あたかも細胞動物の危ふさがある。これまでの經濟構造の歴史的推移は、さながら多細胞動物が徐々に細胞數(数)を減少させ、細胞動物へ退化して行く過程にも似てゐる。これでは、國(国)家や世界の生存が危ふくなる道理である。



 それゆゑ、極小化の限界は、家族といふことになる。しかも、安定性からすれば、大家族といふことになるであらう。



(自立再生社會の概要)-1http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10304854960.html

國體護持 第六章 第二節 (動的平衡と雛形理論)-1

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (動的平衡と雛形理論)-1



 方向貿易理論によつて自給自足體(体)制を確立させて行くことは、確かにこれまでのやうな國(国)家と世界の危機的情況を少しでも是正し改善することになるとしても、この方向をどこまでも突き進むことが果たして家と世界の恒久の安定と平和を實(実)現することになるのか、あるいは、ある程度その方向に進んだ後に、その歩みを止めて、再び逆方向に進むことが家と世界の安定と平和を確たるものにすることになるのか、といふ疑問が起こるであらう。



 そこで、そのことを考察する前提として検討すべきことは、第一章で述べた、動的平衡と雛形理論についてである。



 その概要を再述すると、まづ、動的平衡についてであるが、これはルドルフ・シェーンハイマーの理論である。彼は、昭和十二年に、ネズミを使つた實(実)驗によつて、生命の個體(体)を構成する腦(脳)その他一切の細胞とそのDNAから、これらをさらに構成する分子に至るまで、全て間斷(断)なく連續(続)して物質代謝がなされてゐることを發(発)見した。生命は、「身體(体)構成成分の動的な状態」にあるとし、それでも平衡を保つてゐるとするのである。まさに「動的平衡(dynamic equilibrium)」(福岡伸一)である。唯物論からすれば、人の身が短期間のうちに食物攝(摂)取と呼吸などにより全身の物質代謝が完了して全身の細胞を構成する分子が全て入れ替はれば、物質的には前の個とは全く別の個となり、もはや別人格となるはずである。しかし、それでも「人格の同一性」が保たれてゐる。このことを唯物論では説明不可能である。つまり、このシェーンハイマーの見は、唯物論では生命科學(学)を到底解明できないことが決定した瞬間でもあつた。



 そして、このことと竝(並)んで重要なことは、この極小事象である生命科學(学)における個體(体)の「いのち」から、極大事象である宇宙構造まで、自然界に存在するあらゆる事象には自己相似關(関)係を持つてゐるとするフラクタル構造理論の發(発)見である。フラクタルとは、フランスの數學(数学)者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何の概念であるが、いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で應(応)用されてゐる理論でもある。このフラクタル構造理論(雛形理論)とは、全の構造がそれと相似した小さな構造の繰り返しでできてゐる自己相似構造であること、たとへば、海岸線や天空の雲、樹木、生など自然界に存在する一見不規則で複雜な構造は、どんなに微少な部分であつても全に相似するとするものである。そして、マクロ的な宇宙構造についても、いまやフラクタル構造であることが觀(観)察されてをり、また、恆(恒)星である太陽を中心に地球などの惑星が公轉(転)し、その惑星の周圍(囲)を月などの衞星が回する構造と、原子核の周を電子が回するミクロ的な原子構造とは、極大から極小に至る宇宙組成物質全が自己相似することが解つてゐる。



 このことについては、我が國(国)でも、古來(来)から「雛形」といふものがあり、形代、入れ子の重箱、盆栽、造園などに人や自然の極小化による相似性のある多重構造、入れ子構造を認識してきたのである。そして、『古事記』や『日本書紀』には、この唯心と唯物の世界、形而上(超自然的、理念的なもの)學(学)形而下(時間・空間を基礎的形式とする現象的世界に形をとって存在するもの)學とを統合した大宇宙の壮大な雛形構造の原型が示され、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神(神)が天津神(神)の宣らせ給ひた「修理固成」の御神敕(勅)を受け、天の浮橋に立つて天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出來(来)た島が「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)とは、「地球」のことであつた。「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉であり、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が轉(転)がる樣(様)から生まれた擬音語である。「シマ」といふのは、島宇宙、星のことあり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回してゐる宇宙」、「自島」、つまり「地球」なのである。そして、このオノコロシマから始まるその後の記紀による産みの話は、我がが世界の雛形であることを意味してゐる。また、地球といふ生命體(体)の創造において、天の御柱を二柱のが廻る姿は、個細胞の染色が二重螺旋構造をしてゐることを暗示し、まさに極大から極小に至るまでの相似形象を示す我が傳(伝)統である「雛形理論」を示してゐる。このことからすると、記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、その創世原理としての雛形理論といふ比類なき壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてゐるとともに、我がが世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになる。




(動的平衡と雛形理論)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10291021834.html

たん・たん・たん・たん・たんじょうび~

先週、らすかる☆は36歳の誕生日を迎えました音譜

朝、子供たちに「今日はお母さんのお誕生日で~すビックリマーク」と発表すると「おめでと~音譜」と息子はほっぺに、娘は腕にちゅ~ドキドキってしてくれて、保育園でお誕生日の子がいるときにいつも歌っている「たん・たん・たん・たん・たんじょうび~音譜」の歌も歌ってくれましたニコニコ



夕方、保育園にお迎えに行くと、息子が誕生日プレゼントをくれましたビックリマーク



らすログ☆-誕生日プレゼント


息子は最近、切り紙に凝っているので、切り紙のプレゼントでした。

うちの保育園は母の日の前にお母さんにプレゼントを渡すとかしないので、息子から誕生日プレゼントをもらうのは初めてだったので、とっても嬉しかったです音譜

自分から誕生日プレゼントを渡したいと思ってくれたこともとっても嬉しかったです音譜


夜は主人が誕生日プレゼントにチーズケーキを買ってきてくれましたビックリマーク

らすかる☆は1万2千円もするチーズケーキをお取り寄せしたことあるぐらいチーズケーキが大好きです。

でも子供たちはあんまり好きじゃないので、最近、食べる機会がありませんでした。

「今日は母ちゃんの誕生日やから、子供たちが好きなケーキじゃなくて、母ちゃんの好きなケーキを買ってきた」という主人の心遣いがとっても嬉しかったですラブラブ


毎年、梅雨真っ只中で雨が多く、何かしらトラブルが起きることの多かった誕生日ですが、お天気も晴れで、いろいろサプライズがあって、今までで一番しあわせな誕生日でした音譜

國體護持 第六章 第二節 (交換經濟と自給自足經濟)-2

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(交換經濟と自給自足經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290144993.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (交換經濟と自給自足經濟)-2



 そもそも、株價(価)爲(為)替の變(変)動は、國(国)家や會(会)社の財政状態や經營(経営)成績の動の投影ではなく、これとは無縁の政治的經濟(済)的意圖(図)による實(実)態のないアナウンス效(効)果によつて右往左往してゐるものであることは周知の事なのである。一般に人々の生活が賭博によつて影響されるやうな家や社を擁護する者は、人類の敵であると云つて過言ではない。



 雇用を生み出す會(会)社組織は、投機株主や投資株主のものではない。働く者のものである。株式制度や社制度を廢(廃)止して、經營(経営)者と勞(労)働者の共有といふ企業組織制度を確立すべきである。そして、雛形理論に基づいて、さらにその企業組織制度を家族制度に相似したものとして改革しなければならない。



 ともあれ、このやうな樣(様)々な制度改革を實(実)行して自給率を漸次向上させたとしても、國(国)家によつては、一だけで自給自足が直ちに現しえない事情もある。そのやうな場合は、經濟(経済)ブロックを形成し、經濟家連合を結成することになる。そして、その經濟ブロック内の家間の貿易と、そのブロック外の家との貿易とを區(区)別して、後者から前者へと轉(転)換させる。そして、最終的には、經濟ブロックを解消して、各の自給自足體(体)制を確立させるといふ二段階でこれを現する。



 なほ、基幹物資の中には、石油などのやうに特定地域に偏在してゐるものがあることから、基幹物資ごとに自給自足の經濟(経済)ブロック單(単)位を設定し、その極小化を圖(図)る。勿論、その場合は、新たな代替エネルギーの確保と開發(発)がなされば、除除にその經濟ブロックは縮小し、さらには消滅する。



 ただし、現在のところ、石油に代はる基幹物質は存在しない。石油は、エネルギーとして基幹物質であると同時に、原材料としての基幹物質でもあり、しかも、食料の原價(価)としても組み入れられてゐる。石油は、原的にも技術的にも、産業的汎用性が著しく高い資源である。それは、石油製品が生活の中に入り込んでゐることからも理解できる。多くの製品、商品及び作物などの格は、それを製造し栽培するための石油の原で決定されてゐる。大量消費に向けられた農産物は、原的にみれば、石油製品であり工業生産物と同じである。つまり、石油は、「業」の觀點(観点)からして、原料、製造、物流、生活資材など支配する「國(国)際通貨」と同等の意味がある。消費財ではあるが、生産調整などによつてコントロールされた石油は、經濟(経済)の基軸となつてをり、世界の實體(実体)經濟業)においては「石油本位制」の樣(様)相を呈してゐる。



 それゆゑ、世界の自給自足體(体)制の確立については、この石油に關(関)して特別の配慮がなくてはならない。結論を言へば、石油を「世界の公共財」として、生産國(国)らの所有とさせないことが必要である。勿論、生産の既得權(権)益は認められるべきではあるが、メジャー(major)といふ際石油カルテルや石油輸出機構(OPEC)などによる寡占状態は、戰(戦)後の制に勝るとも劣らない邪惡(悪)で利己的なものであつて、世界を石油基軸のまま自給自足制へと向かはせるのであれば、連などによる制と共に解させなければならない存在である。



 それゆゑ、自給自足體(体)制へと向かふ國(国)家が連合し、連から脱退して新たな際組織を結成し、石油利權(権)の寡占組織との交渉窓口となつて、このやうな寡占状態から世界を解放させ、石油を「際的公共財」とする努力を續(続)けなければならない。



 自給自足體(体)制の確立のためには、このやうな問題があるとしても、方向貿易理論を各國(国)が現實(実)的に政策として數(数)値目標を立てて施して行けば、世界に大きな轉(転)機が生まれ、これに異議を唱へる者に對(対)しては、人類の本能を自覺(覚)させるやうな學(学)習と教育の機會(会)與(与)へられ、世界の人類は、共通した福利の認識に到達する必要がある。




(動的平衡と雛形理論)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10291019999.html

國體護持 第六章 第二節 (交換經濟と自給自足經濟)-1

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (交換經濟と自給自足經濟)-1



 このやうな惡(悪)循環は、飽和絶滅の方向へより加速して行く。現在の社會(会)經濟(経済)などの大きな仕組みが破滅のための仕組みとなつてゐるのである。では、この缺陷(欠陥)のある仕組みとは一體(体)何であらうか。


 それは、繰り返し強調するとほり、賭博經濟(経済)を生んだ土壤である商品經濟と貨幣經濟である。賭博經濟は、この商品經濟と貨幣經濟に寄生して咲き誇つてゐる徒花であり、これだけを驅(駆)除できない事態になつてゐるのである。


 これまでの「商品經濟(経済)」とは、自給自足といふ財の生産と消費の一體(体)性が崩壞(壊)して、生産と消費とが分離され、他者との分業と交換によつて成立した經濟であつて、自給自足經濟對(対)極にあるものである。當(当)初の商品經濟は、「餘(余)剰」の生産物が商品となつたが、資本制經濟による利益追求原理から、商品は「剰生産物」ではなく、明確に「販賣(売)目的」の大量商品となつた。


 交換の媒介として、貨幣を用ゐなくとも商品經濟(経済)は成立するが、例外なく貨幣を用ゐた「交換經濟」となつたことから、貨幣を交換媒介とする「貨幣經濟」は、さらに「商品經濟」の發(発)達を加速した。それは貨幣が交換價(価)値の尺度となり、交換値比較が簡素化し、國(国)内だけに止まらず、貿易決濟(済)にも用ゐられて世界的に擴(拡)大した。そして、貿易と金融といふ實體(実体)經濟の後を追ひかけて、虚業の賭博經濟を蔓延させる結果となつたのである。


 これは、前にも述べたとほり、いきなり商品經濟(経済)や貨幣經濟などを廢(廃)止するといふのではない。商品經濟と貨幣經濟などを自給自足經濟對(対)立させるのではなく、「將來(将来)において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續(継続)する。」のと同樣(様)、「將來において商品經濟や貨幣經濟、そして信用取引をなくす目的のために、その手段として商品經濟や貨幣經濟、信用取引を繼續する。」といふことである。


 基幹物資の「自給率」を向上させる方向を目指すのと同樣(様)に、自給自足經濟(経済)の「普及率」を向上させる方向を目指すのである。さうすれば、貿易依存率も徐々に低下し、海外の金融資本に依存する比率も低下し、その徒花のやうに世界を蠶食し續(続)けてきた賭博資本も消滅して行く。


 マルクスは、この交換經濟(経済)を是正する方法を用意せずして、一擧(挙)に貨幣制度を廢(廃)止しようとした點(点)において、理論的に根本的、致命的な誤りがあつたのである。しかも、貨幣制度を來(来)たるべき社會(会)實(実)現にとつて、不倶戴天(ふぐたいてん・ともにこの世に生きられない、また、生かしてはおけないと思うほど恨み・怒りの深いこと)の敵としてしまつたことに破綻の原因があつた。しかし、方向貿易理論により自給率を向上させる過程において、商品經濟と貨幣經濟は、自給自足經濟を補完し、これと兩(両)立共存しうるにおいて決定的な相違があるのである。


 そして、世界がさういふ方向に動き出せば、金融資本は、國(国)單(単)位で循環することになり、賭博經濟(経済)は次第に失速して、早晩、際的な博打場である外國爲(為)替相場市場は縮小され、「實(実)業」の貿易決だけを行ひ、それも徐々に終息する。勿論、賭博資本は撤退を餘(余)儀なくされ、マネーゲームは終息するのである。そして、賭博經濟は終焉を迎へ、金融商品の先物取引は勿論、投機的な商品の先物取引などの「虚業」は結果的に禁止されるに至るのである。つまり、證(証)券取引所も閉鎖され、株式、社債その他の多くの金融商品の賣(売)買は賭博經濟の終焉と運命を共にする。



(交換經濟と自給自足經濟)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290148054.html

國體護持 第六章 第二節 (方向貿易理論)-3

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(方向貿易理論)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290129292.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (方向貿易理論)-3



 現代の大衆社會(会)において、今まで自由貿易による飽くなき豐(豊)かさの追求をしてきた大多數(数)の無自覺(覚)な人々であつても、このままでは國(国)家と世界は危ふいといふ本能的豫(予)感を感じてゐるはずである。しかし、突如として直ちに自由貿易を廢(廃)止して自給自足をするといふことになり、個々人も耐乏生活を強いられるとしたら、大きな抵抗が生まれる。それは、反グローバル化運動に携はつてゐる人々も例外ではない。その抵抗もまた本能である。本能には、物理學(学)でいふ「慣性の法則」、つまり、物體(体)は外力の作用を受けなければ、現状の状態を維持し續(続)けるといふものである。靜止してゐる物は靜止したまま、あるいは等速度運動をけたままといふことである。生もこれと同樣(様)の原理で支配され、それは物理系に限らず、精神(神)系も相似的な原理で支配してゐるからである。望むと望まざるとにかかはらず、奢侈(しゃし・度を過ぎてぜいたくなこと)に馴致して行くのもこの作用によるものである。それゆゑ、自由貿易の方向へと運動をける人々に、それを止めさせるためには、急激であつてはならず、徐々に摩擦抵抗で自動車が減速して行くやうに、長い距離と時間を必要とする。しかし、自由貿易の方向へは加速してはならないことだけは必要である。「ゆるやかな鎖主義」(大塚勝夫)といふ考へ方とも共通するが、フルセット型産業構造(食料、原材料以外の自給自足制)といふ考へ方は、我がにおいては、『日本とアメリカ合衆との間の相互防衞援助協定』によるMSA(Mutual Security Act)制から脱却するための過渡的なものと限定すれば認めてもよいだらう。


 そして、方向貿易理論に基づいて、各國(国)は、自給率向上のための年次數(数)値目標を立てて具體(体)的に貿易量を減少させるための樣(様)々な政策を打ち出して實(実)施することになる。さうすると、貿易依存の産業は徐々に衰退する反面、自給自足へ向かふ方向の産業が活發(発)となり、産業構造が自給自足制へと次第に轉(転)換して行く方向性が決定する。決して、これは耐乏生活を強いる方向ではない。むしろ、産業構造の換による新たな社會(会)資本の增(増)加や雇用が創出されるなど經濟(経済)は成熟して安定する。


 そして、自由貿易が徐々に減速して行くと、次第に自給率が向上して行く。この進行速度は、基幹物資ごとの性質と事情もあつて一律ではないとしても、自給自足が實(実)現できる地域的、構造的範圍(囲)が次第に縮小して行く。なぜならば、これまで世界の各地域において、自給自足の生活をしてきた人類の過去の記憶が本能的に甦るからである。それは、あたかも既視感(デジャビュ)の如く、本能に導かれて樣(様)々な方策を編み出しながら歩み始める。そして、次第に各國(国)や各地域の一部に、獨(独)立した閉鎖系が生まれ、それが他のと地域に傳(伝)搬していくのである。これは、一個の母細胞が徐々にいくつかの細胞に分裂して增(増)殖して行く姿にも似てゐる。


 ライプニッツは、宇宙の組成單(単)位を物質的ではない靈的な不滅の實體(実体)(モナド)とし、全世界のすべてのモナドの相互關(関)係や統一的な秩序が神(神)(宇宙意志)によつて支配されてゐるとし、それを「豫(予)定調和」としたが、もし、人類が特定の方向にその意志を定めれば、その定調和に向かふといふことになる。このことからすれば、この方向貿易理論に基づき、世界がその意志を共有し、各國(国)が自給率向上政策をそれぞれの事情を踏まへ創意工夫して推進し續(続)ければ、「定調和」として自立再生社會(会)現するといふことになるのである。



(交換經濟と自給自足經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290144993.html

國體護持 第六章 第二節 (方向貿易理論)-2

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(方向貿易理論)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290129292.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (方向貿易理論)-2



 このやうに歴史の經(経)緯から學(学)べば、自給自足體(体)制を確立することが國(国)家と世界の安定と安全を實(実)現することであり、それは、全世界の各地域の多樣(様)傳(伝)統と文化の再生と復權(権)を目的とする世界思想であつて、單(単)なる懷古趣味や復古主義としての「新鎖主義」ではないことが解る。


 これは、極度の民族主義や國(国)家主義の實(実)現のための「手段や目的としての鎖」ではなく、「結果としての鎖」を意味してゐる。これからは、「將來(将来)において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續(継続)する。」といふ方向について世界的な合意がされるべきである。


 この思想には、これまでの思想とは異なる性質がある。前に述べた「世界思想」の構造を見ても解るとほり、一般に、何らかの政治、經濟(経済)的な變(変)革を求める思想には、その確立された一定の具體(体)的な内容があつた。それは目的と手段を示し、それに至る課程を説明するものである。第一章で示した、V字型世界思想構造のとほりである。ところが、「將來(将来)において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續(継続)する。」といふ理論は、いはば「方向」のみを提示し、それによつて到達しうる目的や理想世界を示さない。いはば、これまでの世界思想(理論)が「スカラー(状態量)」の思想(理論)であるのに對(対)し、この理論は「ベクトル(方向量)」の思想(理論)である。そして、この理論を「方向貿易理論」と名付けるとすれば、この理論の利點(点)は二つある。


 一つは、到達點(点)を示すことはその價(価)觀(観)を示すことになり、それが今までの思想對(対)立の主な原因であつたが、この理論ではその問題が少ないといふである。


 二つめは、この理論は、反グローバル化運動や新保護主義、そして、後で述べる「自立再生論」とに共通した手段としての理論であり、これと矛盾しない樣(様)々な思想や理論と連携しうるといふ點(点)である。


 そして、なによりもこの「方向貿易理論」の背景には、自己保存本能、自己防衞本能による世界の國(国)家のすべてが有する「自衞權(権)」が存在し、それは、家の自己保存本能と事故防衞本能、そして世界秩序維持本能、世界秩序防衞本能に基礎付けられてゐるといふことの認識が重要なのである。それは、「宗教」といふスカラー的なものであれば對(対)立を深めるが、「祭祀」といふベクトル的なものであれば融合して行くのと同じであり、ここにも雛形構造が認識できるのである。


 では、これから、方向貿易理論想を共通項として取り入れた私見である「自立再生論」について説明する前に、初めに、結論を云へば、方向貿易理論は、本能の指令によるものであるから、その方向を進めば、その必然的歸(帰)結として「自立再生論」と到達することになるといふことである。つまり、これは、我が國(国)國體(体)であり、それが、すべての家に共通する本能の指令による結であつて、世界の國體であるといふことであり、反グローバル化運動も新保護主義なども、すべてこれに收斂(しゅうれん・集約)されることになる。



(方向貿易理論)-3 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290140659.html

國體護持 第六章 第二節 (方向貿易理論)-1

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html



第六章 萬葉一統

 第二節 自立再生論
  (方向貿易理論)-1



 このやうに、國(国)家の「經濟(経済)的自立」とは、家が生存する上で必要最小限度の基幹物資の自給自足が實(実)現されることを言ふのであり、そのことが眞(真)獨(独)立を意味するとなると、ある家がそのことを自覺(覚)して、これを是としたとしても、そのままでは現在の際分業と相互依存の體(体)制から容易に脱却することはできない。しかし、それでも、世界に抗して、その自給自足體(体)制を確立する努力を續(続)けて行く課程において、この動きに反對(対)する制の反發(発)や他の事情などによつて、自に必要な基幹物資の供給を確保しえない事態に遭遇した場合、立と生存を維持しようとして、他から基幹物資を軍事的に收奪することも、家本能の發(発)動としての「自衞戰爭(戦争)」として理論的に認めざるを得ないことになる。大東亞(亜)戰爭は、まさにこのやうな自存自衞のための戰爭であつた。



 それゆゑ、現在の國(国)體(体)制は、今もなほ、大東亞(亜)戰爭(戦争)と同じやうな自給自足制の確立を目的とした自衞戰爭の再發(発)を防止するためのものであり、そのやうな自衞戰爭の再を恐れるあまり、自由貿易と賭博經濟(経済)によるグローバル化を促進しようとするが、それが却つて(かえって)世界と地球を危機を陷(陥)れることになるのである。



 そもそも、江戸期までの我が國(国)は、鎖政策により自給自足經濟(経済)を確立させ、産業技術、文學(学)藝(芸)術など多方面に創意工夫が施された獨(独)自文化を開花させてきた緯がある。そもそも、「鎖」といふネガティブな言葉は江戸時代には用ゐられてゐない。これは開を正當(当)化するためのデマゴギーとして用ゐられたものである。江戸期の我がは、その民度において明治以降よりも高く、しかも、自給自足が實(実)現できてゐる家であつて、それによつて平和を維持してきたのである。これは、「鎖」といふよりも、自給自足體(体)制を崩壞(壊)させない限度において特定との貿易を許容するといふ制限貿易制度であつた。むしろ、長崎出島にあるオランダ商館付の醫(医)師として來(来)日したケンペルやツンベルグは、このいはゆる「鎖」を高く評価してゐたのである。



 しかし、歐米列強が東亞(亜)國(国)に開を強く迫つた結果、その後は世界の貿易經濟(経済)飮(飲)みこまれ、次第に獨(独)自の文化を崩壞(壊)させて行つた。このことは、南北問題における窮乏家の傳(伝)統破と軌を一にするものである。開して貿易することは活氣(気)のある進歩であるからこれを是とする觀點(観点)からは、鎖は沈滯と怠惰なものであるとの否定的評價(価)でしかない。しかし、「開」か「鎖」かといふ對(対)經濟交流の現象面の選擇(択)に意義があるのではなく、「依存經濟」か「自立經濟」かといふ經濟體(体)制の本質面の選が最も重要な家方針の試金石であつたのである。しかし、そのころの我がを取り卷(巻)く情勢は、生やさしいものではなく、與(与)へられた選肢は、壓(圧)倒的な歐米列強の軍事力を前にして、「立」か「從屬(従属)」かの二者一状況の中での「開」と「鎖」といふ相剋であつた。




※大東亞戰爭=太平洋戦争

(方向貿易理論)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290136298.html