國體護持 第六章 第二節 (經濟的自立)-3
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(經濟的自立)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287750531.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(經濟的自立)-3
第一章で述べたとほり、戰(戦)前、我が國(国)は、食料安全保障の見地から、主として米の確保のために韓半島に近代的農業政策を推進したが、關(関)東大震災、金融恐慌及び世界恐慌で疲弊した農民に追ひ討ちをかけるやうに、内地への米の過剰流入などによる米價(価)の下落を招くこととなり、その結果、内地と韓半島の共倒れ的な農民の疲弊と農村の崩壞(壊)を生んだ。そして、これが、二・二六事件から敗戰に至る遠因でもあつたのである。このことの教訓からしても、休耕田の耕作再開によつて增(増)産される米が、そのまま流通米(消費米)となれば米價の下落を生むことになるが、備蓄米として出荷調整するのであればその影響はなく、農業の維持振興となり、農業人口の減少を阻止し、農業關(関)連の雇用創出に結びつく。むしろ、生産される米は、原則的に籾米として各地の消費地近郊で備蓄し、消費に向ける段階で精米化することにすれば、危險(険)分散と出荷調整による米價の安定が實(実)現できるのである。そして、これと連動して、その他の農業や林業及び漁業の振興策により自給自足體(体)制へ歩み出すことになる。
しかし、このやうな政策轉(転)換により、假(仮)に、自給自足體(体)制を確立してゐたとしても、國(国)家の緊急時(戰爭(戦争)、内亂(乱)など)には、物流の混亂などの影響で安定供給の維持ができなくなるといふ憂ひはある。しかし、その憂ひは、基幹物資の自給率が小さい國家が緊急事態となつた場合と比較して雲泥の差がある。そして、自給自足が確立してゐるか、自給率が大きい場合は、その緊急事態に至る可能性も少ない。なぜならば、内亂はともかく、戰爭の場合、自國と比較して相手國の自給率が小さければ小さいほど、戰爭遂行能力において優位に立てる。勿論、大量破壞(壊)兵器の保有の有無によつて、その樣(様)相に變(変)化を生じさせることになる。それゆゑに、これも世界の不安定化要因の一つとして掲げてゐるのである。しかし、現代の戰爭は、基本的には國家の總(総)力戰(戦)であり、國家の「地力」(高い自給率)が開戰の抑止力と早期停戰講和の推進力となり、戰爭遂行能力を決定付けることに變はりはないのである。
「不虞に備へざれば、以て師すべからず(不備不虞、不可以師)」(左傳(伝))とか、「國(国)に九年の蓄へなきを不足と曰ふ。六年の蓄へなきを急と曰ふ。三年の蓄へなきを國其の國に非ずと曰ふ。」(禮(礼)記)との名言は、このことを教へてくれるものである。
(方向貿易理論)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10290129292.html
國體護持 第六章 第二節 (經濟的自立)-2
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(經濟的自立)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287750531.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(經濟的自立)-2
國(国)際社會(会)の中で、政治と經濟(経済)とは不可分の關(関)係であり、「獨(独)立」について、これまで政治的自立を中心に一般的なことを述べてきたが、眞(真)の獨立を考へるについては、むしろ、この經濟的自立こそが國家の命運を左右することになる。
なぜなら、家族の場合を例にとれば、家族が獨(独)立してゐるといふのは、眞(真)つ先に經濟(経済)的自立、つまり家計が他の家族と獨自に成り立つてゐることを意味し、ある家族が所有する大きな家の離れに、別の家族が一家ごと居候をして生活費のすべてをその家族に面倒を見てもらつてゐる「保護家族」は、家族であつても自立した存在とは誰も思はない。これと同じやうに「保護國(国)」についても獨立してゐるとは云はない。政治的な保護國もあれば、經濟的な保護國もある。
その保護が片面的、一方的な場合であればこのことは當(当)然と思ふであらうが、多くの人は、貿易によつて自給率を下げた程度では、經濟(経済)的自立をしてゐないとは思つてゐない。現に、家族の場合でも、どこからか給料を得て、生活必需品などを購入して生活し、誰にも金銭的援助を受けてゐなければ、その家族は自立してゐると思つてゐる。確かに、平常なときはさうであるが、勤め先の會(会)社が倒産して給料が入らなくなつたとき、一次的には借金をして凌ぐことはできても、再就職して元の給料以上のものが入つてこなかつたら、政府や誰かの援助を受けることになる。そのときは、やはり家族の自立は奪はれる。
このことは、國(国)家も同じであり、平常時は、政治的自立を謳歌してゐたとしても、なんらかの異變(変)によつて基幹物資が調達できなければ、たちどころに國家存亡の危機に直面する。しかし、眞(真)の獨(独)立といふのは、そのやうな局面においても、對處(対処)できるものでなければならない。「備へあれば憂ひなし」といふが、假(仮)に、基幹物資の大量の備蓄があつたとしても憂ひはある。いづれ枯渇するからである。眞の備へとは、基幹物資の自給自足體(体)制の確立しかない。このこそが國防の根幹であり、獨立の眞姿である。
食料危機に備へた食糧備蓄(食料備蓄)についても、我が國(国)において完全自給ができる米(コメ)について、政府の行ふ減反政策は、まさに亡國の政策である。しかも、米を備蓄する政策を全く實(実)施してゐないのである。米の備蓄は、劣化が早い「精米」や「玄米」の状態では不可能であり、種米の確保と食糧米の長期保存備蓄を兩(両)立しうる「籾米」の状態での備蓄でなければならないが、政府にはその認識に基づく政策立案能力がないのである(佐藤剛男)。籾米の備蓄といふ考へは古くからあつた。その昔、加藤清正は熊本城築城において、籠城に備へて壁を籾米を混ぜた土で塗り固めたのである。
稻(稲)作農業は、日々の食糧の供給のみならず、このやうな籾米備蓄による國(国)家緊急時に對應(対応)しうる基幹産業であつて、林業と一體(体)となつて水源を涵養(かんよう・水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること)し治水に貢獻(献)するものであるから、減反政策による休耕田の增(増)加は、食料安保の觀點(観点)からも、將來(将来)において最惡(悪)の結果を招くのである。
(經濟的自立)-3 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287760234.html
國體護持 第六章 第二節 (經濟的自立)-1
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(經濟的自立)-1
このやうな反グローバル化運動とその背景理念となる新保護主義が示唆した方向は正しい。このグローバル化に抵抗する國(国)家や人々がそれぞれの自己保存本能と自己防衞本能などの「本能」に基づくものであることが認められるからである。
歴史的にみても、その正しさは證(証)明されてゐる。イギリスでは、穀物の輸入に高い關(関)税を課す穀物條(条)例が一部の者だけを利するだけで國(国)家全體(体)の利益にならないとのリカードの意見が支配し、穀物條例を廢(廃)止して穀物の輸入自由化に踏み切つた(1846+660)。それまで百パーセント近い小麥(麦)の自給率が十パーセント程度に落ち込み、その結果、二度の大戰(戦)中に食料難となり食料調達に苦しんだのである。そこで、昭和二十二年に『農地法』を成立させて食料自給率の向上を推し進めたのである。このやうに、大きく政策轉(転)換をした結果、イギリスだけでなく、西ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、カナダは、昭和五十七年ころまでに食料自給率を百パーセント以上にまで回復し、完全にリカードからの脱却したのである。ところが、我が國は、前章の「自給率」の項目で述べたとほり、未だにリカードの呪縛から逃れられず、食料自給率は低迷してゐる。
いづれにせよ、リカードの自由貿易主義が世界の不安定化要因であり、世界はこれからの脱却が必要であるとしても、そのことから直ちに、この反グローバル化運動の理念となつてゐる新保護主義の理論が完全に正しいとは云へない。この理論を適用した生活が正しいか否か、實(実)現可能か否か、そして、持續(続)可能か否かを判斷(断)するについては、これまで述べたとほり、個體(体)と家族、地域と國(国)家、それに世界、地球といふ自己相似の連續(続)が動的平衡を保つて存在するといふ雛形構造(フラクタル構造)に適合する無理のない重層構造の世界を構築できるものであるのか、それが「本能」といふ指令に背かないのか、といふ點(点)を檢(検)討することに盡(尽)きる。
そこで、そのことを考へるに先だつて、もう一度、國(国)家の本能がなにゆゑにこのグローバル化に抵抗してゐるのか、その本能の樣(様)相について檢(検)討したい。
思ふに、世界には、大小樣(様)々な獨(独)立國(国)家が存在してゐるが、それらが獨立國家と呼ばれるのは、その國家が獨立を宣言し、それが國際的に承認され、獨自の統治權(権)の行使と貿易における經濟(経済)主體(体)(經濟單(単)位)として認められるといふことである。ところが、賭博經濟が國境を越えて席卷(巻)するやうになり、金融資本もまた國境を越えて流入してくると、經濟主體であるべき獨立國家の性質に變(変)化を生じさせる。
經濟(経済)主體(体)としての國(国)家を考へるとき、完全自給のアウタルキー(自給自足經濟)の國家の場合は、貿易による物流や情報の流入がないので、物理學(学)でいふ「孤立系」に似てゐる。そして、その對(対)極にあるのが、自給率ゼロの國家であり、これは「開放系」といふことになる。つまり、完全にグローバル化した状態である。これは、國家滅亡の一つの形態であり、グローバル化とは、世界均一化といふよりも、世界單(単)一國家化といふことである。
そして、現代の多くの國(国)家は、その中間的な「閉鎖系」に似たものといふことができる。つまり、國民も領土も、國際規範も情報も、そして物資もエネルギーも、他國と相互に交換しうるが、國民と領土については、國際規範や情報、物質とエネルギーほどには流動的ではないからである。
前に述べたとほり、「經濟(経済)」の語源は、「經國(国)濟民」、「經世濟民」であり、國を治め民の苦しみを救ふといふ意味であつて、本來(来)は「政治」の意味であつたことからすれば、政治と經濟とは不可分一體(体)のものと捉へても不自然ではないのである。さういふ觀點(観点)からすると、獨(独)立國とは、政治的自立と經濟的自立の雙(双)方が備はつてゐなければならないと認識することもできる。
(經濟的自立)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287752980.html
國體護持 第六章 第二節 (新保護主義)-1
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(新保護主義)-1
このやうな反グローバル化運動の理念的背景の一つに、新保護主義がある。この新保護主義とは、元グリンピース・インターナショナルの經濟擔當(経済担当)者コリン・ハインズ、ロンドンのテムズ・バレー大學(学)教授ティム・ラングなどが「地域や經濟、生活の保護に對(対)する關(関)心を再び呼び起こすことを狙ひ」として提唱したものである。これは、地元密着型の自給自足經濟を確立し、不必要な貿易や不健全な活動を制限するといふもので、世界經濟のグローバル化は急速に多國(国)籍企業に權(権)力が集中を招いてゐるとしてグローバル化に反對するものである。
そして、具體(体)的には、次の七つの手段を主張してゐる(文獻(献)184)。
①「國(国)家及び地域レベルでの輸出入の制限」
地元で必要な製品やサービスを可能な限り地元で生産し、どうしても地元では手に入らないものは他の地域から調達し、海外貿易は最後の手段とするもの。
②「資本の統制」
資金が地元の投資に使はれるやう、銀行、年金、ミューチュアル・ファンドなどに規制を敷き、「地元を繁榮(栄)させるために地元に投資を」といふ政策を打ち立てるといふもの。
③「多國籍企業の統制」
GATT(WTO)を廢(廃)止してでも、多國籍企業の活動を統制する必要があり、「賣(売)りたい場所に據點(拠点)を置く」企業だけに、經濟(経済)アクセスを與(与)へるといふもの。
④「新競爭(争)政策」
大企業の解體によつて、競爭的状況を作り、製品の改善、資源の效(効)率的利用、選擇(択)肢の提供などを行はせるといふもの。
⑤「自立に向けた貿易と援助」
GATT(關(関)税および貿易に關する一般協定)をGeneral Agreement for Sustainable Trade(持續(続)可能な貿易に關する一般協定)と變(変)へ、地域の自立達成による最大雇用を目標に、地元經濟(経済)の開拓に焦點を當(当)てるといふもの。
⑥「資源税の導入」
環境問題に對應(対応)するために、資源税を導入するといふもの。
⑦「政府の再強化」
これらのことを行ふためには、政府の力を強化しなければならず、國家、地方、地域レベルの政府が市場アクセスに關する統制力を持つやうにするべきである圖(図)主張する。
そして、この新保護主義によれば、イギリスのやうな貿易立國(国)は滅亡するとの反論に對(対)しては、貿易が雇用や賃金の低下を招いてゐる現在ではグローバル化こそ滅亡の道だとの再反論を行ふのであるが、金融危機や景氣(気)大變(変)動が起こると、保護主義的主張は、心情的に大衆の贊同を集め、これに對して、現在の經濟(経済)構造を維持する勢力からは、保護主義的傾向への強い警戒心が叫ばれることになるといふのは、ある意味で象徴的な傾向と云へる。
(經濟的自立)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287750531.html
國體護持 第六章 第二節 (反グローバル化運動)-1
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
第六章 萬葉一統
第二節 自立再生論
(反グローバル化運動)-1
このやうに、生産至上主義による國(国)際自由貿易、國際分業體(体)制が地球と世界及び各國の不安定化要因の元凶であることが明白となつたが、それでも現在は、「國際化」とか「世界化」とか「國際貢獻(献)」とかの呪文にも似た空虚で欺瞞に滿(満)ちた掛け聲(声)が、あたかもそれが國際正義の實(実)現を保障するかのやうに唱へられ、また、「釜中之魚」の如く、世界と地球に危機が迫り來(来)るのも知らずにそれに浮かれて踊らされた多くの人々が自滅の方向へと向かつてゐる。これは、賭博經濟(経済)によつて不正に巨利をむさぼり、世界を階層化、窮乏化させて世界支配を目論む覇權(権)主義、全體主義の謀略であり、地球と世界の壞滅(壊滅)へと導く惡(悪)魔の囁きである。
誰のための「國(国)際化」、「世界化」なのか。そして、何のための「國際貢獻(献)」か。これらの掛け聲(声)が意味するところは、自由貿易、即ち、經濟(経済)交流に力點(点)があり、本音は巨利の追求にあつて、文化と技術の交流ではない。特に、相手國の基幹物資の自給率を高めるための各種の交流ではなく、交換經濟の果ての國際分業による自給率の低下のための交流である。このやうな交流は、「紛爭(争)の國際化」や「國際紛爭貢獻」に過ぎない。決して、各獨(独)立國家の安定と世界人類の福祉のための貢獻ではないのである。
これと同じ問題意識を持つた國(国)際的な運動が反グローバル化運動である。人と物と金(産業資本、銀行資本、投機資金など)が國境を越えて行き交ふ米國主導のグローバル化(globalization)が、貧富の格差を擴(拡)大させ、環境と文化の多樣(様)性を破壞(壊)するとして、これに反對(対)する組織連帶的な運動である。平成十三年七月のイタリアで開催された主要國首腦(脳)會(会)議(ジェノバ・サミット)に、世界各地から集まつた數(数)十萬(万)人の反グローバル化を唱へるデモ隊が終結し、そのうちの先鋭的な團體(団体)が警官隊と衝突して、サミット反對運動では初めての死者まで出る事態となり、その後のサミット開催においては、恆(恒)常的に異例の警備措置がとられるほどの影響を及ぼしてゐる。反グローバル化運動の矛先は、サミット以外にも、世界貿易機關(関)(WTO)、世界復興開發(発)銀行(IBRD)、國際通貨基金(IMF)などの國際經濟(経済)機關に對しても向けられてをり、個別的、具體的な規制の要求や提案を行ふ團體も登場してゐる。
今もなほ繼續(継続)してゐるこのやうな運動がもたらしたものは、持續可能な成長と貧富の格差の是正といふことを世界的な問題として提起した意義はあるものの、平成十三年九月の「九・一一」事件以降は、この運動がテロ活動の温床となるとのすり替へがなされたりして、今後の運動の推進について困難な状況も生まれてゐる。
しかし、サミットにおいて、環境保護やフェアトレード(公正貿易)などを謳(歌)ひ上げたとしても、グローバル化を是とした上で、その表裏の關(関)係にある光と陰とに分けて、陰だけを克服できるといふサミット思想の愚かさに加へ、金融資本主義といふ博打打ちだけに光の當(当)たる制度には未來(来)はないことから、この反グローバリズム運動が終息することはないだらう。
(新保護主義)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287118360.html
國體護持 第六章 第一節 (賭博經濟)-6
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(賭博經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286495292.html
第六章 萬葉一統
第一節 世界的危機の諸相
(賭博經濟)-6
そして、この信用制度がさらに一層擴(拡)大してくると、對(対)面的な取引のやうに、相手方の顏が見える具體(体)的な信用だけでなく、その個別取引による信用を法的に構成した「指名債權(権)」を、第三者へ讓渡しうる流動化を圖(図)り、相手方の顏の見えない抽象的な「證(証)券的債權」へと轉(転)化させ、手形、小切手、抵當(当)證券、金融派生商品(デリバティブ)その他金融樣(様)々な「證券」を出現させて、それが「貨幣代用物」となつて信用取引の主流となる。この貨幣代用物としての機能によつて、通貨總(総)量を超えた假(仮)裝の通貨量となつて過剰流動性を引き起こし、そして、その證券は、さらに樣々で複雑な組み合はせによる金融商品へと變(変)容し擴大して經濟(経済)社會(会)を支配席卷(巻)する。貨幣への信用が極大化して證券化され、先物取引などの時間を超えた未來(来)の取引へと擴大する。ここまで來ると、信用の擴大といふよりは、未來豫測(期待と悲觀(観))の擴大であり賭博である。賭博とはまさに未來の取引なのである。
さらに、消費生活においても、この信用制度が浸透し、信用販賣(売)とローンなどが一般化するクレジット文化を生む。「buy now,pay later(直ぐ買ひなさい。支払ひは後で)」といふアメリカ文化は、フォーディズム(Fordism)による自動車の大衆化(モータリゼーション)と呼應(応)して、大量生産、大量消費による資源浪費、環境破壞(壊)を生み、それが世界に擴(拡)散するとともに、虚業經濟(経済)、さらに、飽くなき欲望の追求による賭博經濟を蔓延させる原動力となつて、大きな弊害を生み出すことになる。
これまで、世界的なバブル經濟(経済)は、オランダのチューリップ・バブル(1637+660)といふ世界初のバブルから、幾度となく繰り返された。ドル安政策に轉(転)ずる昭和六十年のプラザ合意による我が國(国)の内需擴(拡)大政策によつて、昭和六十年代から平成初頭における我が國のバブル景氣(気)とその崩壞(壊)、平成十年前後に起きた米ITバブル、そして、その崩壞に對應(対応)するために平成十三年ころから始まつた政策金利の引き下げなどによる金融緩和によつてサブプライムローンなどの證(証)券化商品への投機流入がなされ、これによる平成十五年から十九年までの米不動産バブル、これと同時進行的に起こつた平成十八年から二十年までの原油などの資源バブル、さらに、これに對應するためになされた金融引き締めと金利上昇による景氣(気)減速によつて一氣にバブルが彈(弾)け、證券化商品の信用崩壞と投資銀行の破綻を招いたが、これらのバブルの發(発)生とその崩壞の周期が短期化し頻繁化してゐる。
國體護持 第六章 第二節 (反グローバル化運動)-
1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10287116571.html
國體護持 第六章 第一節 (賭博經濟)-5
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(賭博經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286495292.html
第六章 萬葉一統
第一節 世界的危機の諸相
(賭博經濟)-5
この賭博經濟(経済)を支へてゐるのは、確かに貨幣制度ではあるが、貨幣制度が賭博經濟を生み出した原因ではない。それは何か。この根本的な原因は、「信用取引」である。物々交換の時代は、交換する物自體(体)が相互の手元に現存することが双方が同時に交換し合ふことの動機付けとなつてゐた。現物取引の時代である。ところが、繼續(継続)的にその取引をすることになると、あるとき、一方の手元に交換物がなくても、これまでの實(実)績を信じて、直ぐに調達することの確約があれば、他方が交換物を先に渡して、事後に引き渡しを受けることが生じる。それが「信用取引」の原型である。これまでは、交換物の「現存性」を踏まへて取引してきたものが、交換物の「未來(来)性」を踏まへて取引するのである。いはば、「現存交換物」の取引から「未來交換物」の取引をするのである。「現在」を賣(売)るのではなく、「未來」を賣る。そして、その「未來」は「豫(予)測」することによつて、いくらでも無限に生まれる。現在は物がなくても、將(将)來これが調達できるとの豫測だけで、「未來」を取引できるのである。その豫測が確實であらうといふのが「信用」である。そして、その信用は、個々の取引の都度に生まれるのではなく、經濟社會(会)において制度化する。たとへば、繼續的取引における掛賣り、掛買ひ、請負代金の後拂(払)ひ、賃金の日給制度から月給後拂制度など、その對價(対価)として貨幣での支拂ひは、對價としての財貨を將來に調達することの見込み(調達可能性)といふ未來豫測に基づくものであつて、すべて「未來」を取引對象としてゐるのである。特に、食料生産物や基幹物資に關(関)しては、實體經濟の基礎は、現在交換物に置かなければならないのに、その未來豫測が樂觀(楽観)的になればなるほど、「現存交換物」の數(数)倍、數十倍、さらに數百倍の「未來交換物」を生み出すことができる。見込み違ひによる調達不能や空約束による破綻の類は、信用取引制度の不可避的な現象であつて、これがバブル經濟を生み出す祖型となつてゐる。
國體護持 第六章 第一節 (賭博經濟)-4
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(賭博經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286495292.html
第六章 萬葉一統
第一節 世界的危機の諸相
(賭博經濟)-4
前章でも述べたが、昭和四十七年にソ連が凶作となり、それが今後慢性化すると豫(予)測したアメリカは、急遽、餘(余)剰穀物を戰(戦)略兵器とする構想に基づき、ソ連へ緊急輸出し始めたが、翌四十八年四月、今度はアメリカが異常氣(気)象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶對(対)的に不足した。その結果、食肉物價(価)の高騰を招き、同年六月二十七日、アメリカは、大豆の我が國(国)向けの輸出を停止したのである。この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、この輸出禁止が長期化すれば、我が國から豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には消えてなくなる運命であつたが、同年九月には、幸ひにも輸出停止が解除となり難を逃れたといふことがあつた。この時、アメリカがソ連に大量の穀物を緊急輸出したときに關與(関与)したのが穀物メジャーであり、その後、その地位を確立して行つたのである。
世界にある食用植物は約三千種類とされてゐるが、そのうち、穀物メジャーが商業主義によるスケールメリットがあるものとして取引對(対)象とするものは、いはゆる「六億トン作物」とされる米(コメ)、小麥(麦)、トウモロコシ、ジャガイモ(根菜類)、大豆の五種類だけである。これが世界の食料生産總(総)量(總供給量)の約四十億トンの約半分を占めてゐる。これまでの農業の歴史は、「植物の單(単)純な相を作ることを目指してきた歴史」(柴田明夫)であり、植物遷移の若い相の特性を利用することで生産性を高めてきた。そのため、自然環境の變(変)化に對しては脆弱となり、雜草と一緒に生産した場合とハイブリッド(高收量品種)の大規模生産の場合とでは氣(気)候變動の影響を受ける程度が異なるのである。
しかも、農畜産物の生産に必要な地球上の淡水量の少なさを考慮すると、ロンドン大學(学)のトニー・アラン教授が提唱した「バーチャルウォーター」(假(仮)想水、間接水)といふ認識が必要となり、これは、水と食料の世界的な爭(争)奪の危險(険)を孕(はら)んでゐることを自覺(覚)せねばならない。そして、この食料のうち、世界の穀物の約半分を穀物メジャーに依存してゐることから、商品取引も賭博經濟(経済)で支配され、石油と同樣(様)に、買い占め、賣(売)り惜しみによる價(価)格の高騰に見舞はれることになるのである。
さらにまた、人口問題の一つである環境問題を過剰に強調して不安を煽り、そこには新たに規制利權(権)を生じさせる。しかし、規制するだけでは根本的な解決案にはならない。温室效(効)果ガスの規制についても、排出權(権)といふ金融商品を生み出してマーケットで取引する。しかも、先物取引などで完全にこれも賭博の對(対)象とするといふ自滅的な強かさである。
また、環境が大變(変)だ大變だと騷ぐ者は多いが、それではどうすればよいのかについて、誰も具體(体)的かつ實(実)現可能な方向性を提示しえない。それ以外の時事問題についても、次から次とモグラたたきのやうに、その都度大騷ぎして追ひかけるだけで、しばらくすれば忘れ去つてしまふ。さうかうしてゐるうちに、事態は一層惡(悪)化するのであるが、それを「持續(続)可能な」といふ呪文にも似た掛け聲(声)だけで誤魔化して終はらせてしまふだけである。
(賭博經濟)-5 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286500681.html
國體護持 第六章 第一節 (賭博經濟)-3
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(賭博經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286495292.html
第六章 萬葉一統
第一節 世界的危機の諸相
(賭博經濟)-3
いづれにせよ、このやうな理不盡(尽)な博打經濟(経済)は、方向貿易理論による自給率向上政策の實(実)施によつて、段階的に終息することになるが、これがなくなつても、博打打ち以外の株主には何の不都合もない。現在のやうな情報化社會(会)にあつては、「投資株」として、あるいは會社經營(営)のための「支配株」の取引は、規制緩和がなされば不都合を生じさせることなく行ふことができるからである。
ただし、「投資」と「投機」の區(区)別については、前者を是とし、後者を非とするやうな單(単)純なものではない。ともに、利益を求めて購買し、その後に利益を得るために賣(売)却することについては共通するからである。當(当)初は長期保有による配當利益を目的としてゐたか(投資)、初めから保有する目的ではなく早期に賣(売)却して利益を獲得する目的があつたか(投機)といふ主觀(観)的事實(実)で區別することは、その認定が困難である。事後の事情變(変)更もありうるからである。それゆゑ、この區別は、ワン・イヤー・ルール(一年基準)といふ客觀(観)的基準によらざるをえない。一年の期間内になされる購買と賣却の事實があれば「投機」として累進課税(懲罰的課税)を行ふことになる。評價(価)規範において、その投機によつてうる利益を認めないといふことであり、實質的な權(権)利否定である。共産主義政策の相續(続)税累進課税と同じ手法でよいのである。
また、これまで證(証)券取引所での取引が會(会)員制といふギルド制であつたことにも問題があり、規制緩和と新規參(参)入を實(実)現するためにも證券取引所などは解體(体)させなければならない。そもそも、證券取引所といふのは「博打場」である。博打打ちは堅氣(気)に迷惑をかけてはいけないといふ規範を再度確立をさせ、博打打ち(投資家)とダフ屋(證券會社、證券マン)と豫(予)想屋(證券アナリスト)に振り回されてゐる「虚業」の經濟(経済)を續(続)けて行けば、全たうな社會全體が崩壞(壊)してしまふとの素朴な危機感がなければ、人類の將來(将来)は危ふいのである。
しかも、この博打場では、株式以外にも、樣(様)々な金融商品を編み出し、先物取引が頻繁になされる。また、穀物、原油などの商品取引所もこれと同樣の「博打場」と化してをり、博打場に出入りして取引をすることを「投機」といふが、この「投機」を容認する經濟(経済)とは、まさに「賭博經濟」なのである。
ましてや、その賭博も、いかさま賭博である。マスコミの取材とインサイダー取引の不可分性、官僚による祕(秘)密漏洩、企業スパイや企業經營(経営)者による情報漏洩によるインサイダー取引などは、不可避的に常に病理的なものとしてつきまとふ。絶對(対)になくならないのである。こんな生き馬の目を拔くやうな賭博に、企業自體(体)が振り回される。いつまで經つても、經濟(済)も精神(神)も健全にはならない。
その上、利益追求のために、商品の僞(偽)裝は宿命的になる。食品僞裝、耐震構造僞裝のみならず、すべての商品の僞裝の原因は、過當(当)競爭(争)とマネーゲームに由來(来)するものであつて、このままでは今後も絶對(対)になくならない。
商品取引所に關(関)して言へば、世界の穀物輸出國(国)(米國、カナダ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチンなど)の穀物の輸出を取り仕切るのは、大手穀物取引商社(穀物メジャー)であり、生産者から海外消費者までの集荷、規格品設定、貯蔵、加工、輸送などの穀物パイプライン全體(体)を支配してゐる。これは、オイル・メジャ(石油メジャー)と類似したものである。ただし、石油メジャーが生産者もこれに加はるのに對(対)し、穀物メジャーはこれに參(参)入してゐない。價(価)格變(変)動や天候異變などによるリスク回避するためとされてゐる。
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國體護持 第六章 第一節 (賭博經濟)-2
はじめに・らすかる☆より http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html
目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html
(賭博經濟)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10286495292.html
第六章 萬葉一統
第一節 世界的危機の諸相
(賭博經濟)-2
そもそも、株式制度を理論的に考察すると、證(証)券取引所で賣(売)買の對(対)象としてゐる株式(株券)とは、會(会)社が既に調達し終はつた資金を株式として表象する有價(価)證券にすぎず、その株式の價格が調達後に變(変)動したとしても、そのことは、會社としては本來(来)なにも關(関)係がない事情なのである。不穩當(穏当)な喩へかも知れないが、離婚した元妻(會社)が慰謝料を支拂(払)つて別れた元夫(株式)の評判を聞くやうな話である。元妻としては痛くも痒くもないはずなのに、その元夫の評判で元妻の評判が決まるやうなものである。株式といふのは、會社にしてみれば、既に資金調達が濟(済)んてしまつたことを示す切れ端で、それを所持してゐる者を會社としては株主として取り扱つたら良いだけである。株主として株主總(総)會に出てきてとやかく言はれたりすることはあつても、それに誠實(実)に對應(応)すればよいだけである。「金を出したから口を出す」といふことなのである。株主がその地位を證明する株券を賣つたりするのは自由であり、その賣買價(価)額をどうするかについても自由ではあるが、そのことは會社側には無關係なことである。會社としては、財務諸表に基づいて算定された株式評價額のみがその株式の評價額である。ところが、財務諸表の内容や利益配當(当)の金額などを基礎として、純資産價額方式や配當還元方式で客觀(観)的に算定される株式評價額とは全く無關係に決まつた「株價」によつて右往左往させられる。それは、その會社が證券取引所といふ賭場に「上場」することによつて、その賭場に出入りしてしまつたことの自業自得ではあるが、會社の財務内容とは無關係に、博打相場で決定した株價によつて會社の評判や値打ちが決まるといふのは極めて理不盡(尽)なことである。ましてや、會社が自社株を保有してゐたとすれば、會社の財政状態には何の變(変)化もないのに、それによつて會社の資産總額が亂(乱)高下するといふのも不可解な話となる。會社の保有する自社株が、會社とは關係のない事情からくる評判の影響で大きく値を下げて會社資産の價額が低下したとしたら、それはまさに「風評被害」の類である。
そして、さらに云へば、この株式取引の前提となつてゐる現在の株式會(会)社制度自體(体)も既に歴史的役割は終はつてゐると云へる。株式會社制度とは、事業實(実)績がないために銀行などの金融機關(関)から大きな資金を借り入れるだけの信用がない起業家が、大衆から廣(広)く薄く資金を集めて、それが大きな資本(自己資本)となつて起業資金を調達し、大きな事業を立ち上げるための制度として發(発)足したものである。ところが、我が國(国)の株式上場に至る現状は、殆どが個人の零細企業から立ち上げ、株式は身内や友人知人に引き受けてもらつて、資金調達は專ら銀行(他人資本)に依賴(頼)して、個人で借り入れし、その後に事業が成功すれば株式上場して、創業者利益として莫大なキャピタルゲインを得るといふサクセス・ストーリーの事例が殆どであつて、本來(来)の制度目的とは餘(余)りにも大きなズレがある。また、ハゲタカが企業買收をしてくる危險(険)から上場會社を防衞するための最強かつ最良の方法は、會社側が株式を買ひ集めて上場基準を滿(満)たさなくして上場廢(廃)止とすることである。世界において眞(真)に優良な企業で「非上場」の會社も多く、その理由は、その方が企業買收がされる危險がないので、その安心と安定が經營(経営)者の活力と勞(労)働者の意欲の源泉となつてゐるからである。そのことからして、我が國のみならず世界において、起業方法としての株式會社制度は、外に樣(様)々な理由も勘案すれば、もはや有害無益となり歴史的役割を終へたと判斷(断)できるからである。
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