Aさんについて
昼に続いて真面目な話。
バイト先のトレーナーについて思うことを書いてみようと思う。
トレーナーの、まあ仮にAさんとするけど、この人は私達短期アルバイトから嫌われている。短期さんだけでなく、長期のアルバイトさんやパートさんたちからも嫌われているらしい。
理由はAさんの言葉の選び方のせい。
いつだって上から目線で、自分が偉いということを主張しようとしているかのようだ。
ある日、Aさんが見るからに重そうに段ボールを押していたことがあった。ちょうど私の近くで、私は親切心から声をかけた。手伝います、と。…するとAさんは顔を歪めてこう言ったのだ。
あんたはさっさと自分の仕事を終わらせて。
私にはその返答は考えられなかった
手伝いがいらないのなら一言だいじょうぶと言えば済む。私のエゴからきた言葉だと感じてカチンときたのかもしれないが、それが30過ぎた大人の対応だろうか。なんて大人げない。というより常識のない対応だろう。
アルバイトさんたちに配布された資料や備品に不備があり、それを伝えたときにもイライラした口調で「それは私が準備したの!本当に確認したの、あなたたち!」と言われた。
Aさんはきっと今までにも多くの店舗のオープンに立ち会っているだろう。どこの店舗でもこのように対応していたのだろうか。
自らのミスを認めない、プライドの高い女はなんて醜いのか。
私も言葉遣いが良いほうではないから、知らず知らずの内にこの女のようにならないように気をつけよう。
10以上年下の小娘にこんなふうに思われる30代になんて、何があってもなりたくないな。
これからの正義の話をしよう2
先程の話を聞いてわたしが思い出したのは、原爆投下に対するアメリカの主張の話だ。
日本では残虐非道な無差別兵器として人類の過ちとみなされている原爆投下が、アメリカでは正義に基づいた正しい行いとする意見が多いことは有名な話。
アメリカ側の主張は、日本に原爆を落としたお陰で戦争終結が早まり、その後の多くの犠牲を減らせた、というもの。
それを聞いた日本人は憤りを感じ、声高に叫ぶ。
当時、日本には戦争を続けていく物資も気力も人も金もなかった。放っておけば勝手に負けたのに、民間人を無差別虐殺する必要はない。ただの原爆実験だろう、と。
このアメリカの主張はアフガニスタンの話に似ている気がする。今目の前の犠牲をとり後に想像される犠牲を減らすか、今目の前の犠牲を止めて不確かな未来を迎えるのか。
私は、アメリカの主張は間違っていないと思う。
民間人の虐殺は戦争のルールに反するだとか言うけど、結局戦争なんて勝者がルール。ルールに則り規則正しい戦争を行いましょうなんて馬鹿けてる。
実験的な側面が全くなかったかと言えば違うと思うが、アメリカ側は考えられる最悪の未来に対して処置を行ったのではないか。
日本は疲弊しきってて何も出来なかったなんて、それは真実だろうがだからといってアメリカ側が日本にあわせて待っている必要があるのか?戦争の相手国の事情を考慮し、遠慮して戦うか?
パールハーバーも向こうがそうなるよう仕向けたなんて、仕向けたとしても立ち上がったのは日本でしょう。自国を守るために立ち上がり、力をだして、日本は負けた。それだけ。
日本だって原爆の開発は行っていたんだし。お遊び程度のものだったみたいだけど、それは国力が足りなかったから。お遊び程度にしかならなかったのは結果論であって、力さえあれば同じことしてたでしょう。
これ以上原爆犠牲を出さないという点は同意するが、アメリカ国民の主張を許せないという日本人はよくわからない。
正義の話から随分逸れてしまったし言いたいこともうまくまとまらない。
つまり、どちらが正義かはわからないということ。
原爆投下をやめていれば、アフガニスタンでのラトレルのようにポール・ティベッツ氏が後悔した未来があったかもしれないということだ。
これからの正義の話をしよう
タイトルは本の題名。
友達が持っていて、いつか借りようと思っていたがいまさら購入してしまった。
自分の手元にあったほうがいい本だと薦められたせいもあるのかも。
すこし長くなるかもしれませんが、序盤を読んだ感想を少し。
一番に話したいのは道徳について。
人道的道徳というのかな。
この本では、いくつかの例をあげて正しい行いについて考えている。
その中から、例をひとつ簡素にまとめてみよう。
アフガニスタンにいた兵士の例だ。
ラトレルという二等兵は、他の兵士3人とともにアフガニスタンにいた。重要な任務を負った秘密の偵察で、アメリカ兵としてこの任務の成否は非常に重いものだった。
しかし、ターゲットのほど近くまで行ったとき、二人の山羊飼いに遭遇してしまう。
そこで兵士たちは選択を迫られる。
山羊飼いを拘束する道具はないし、二人を逃がせばターゲットに自分たちの居場所を知られてしまうかもしれない。
そうなれば当然任務は失敗し、自分たちは死んでしまうだろう。
しかし、二人はターゲットと精通しておらず、任務は滞りなく進むかもしれない。
兵士たちは山羊飼いを逃がすべきか、殺すべきか。
仲間の一人は断固殺すべきだと主張したが、ラトレルは生かすべきと主張した。もう一人の仲間も生かすべきと主張して、残りの仲間は投票を棄権したため、山羊飼いたちは逃がすことになる。
そしてその後、山羊飼いはターゲットに兵士の存在を知らせ、ラトレルの仲間は皆殺されてしまう。救援のために来たアメリカ兵も殺され、ラトレルは一人生き延びて自分の選択を後悔することとなる。
ラトレルのした選択は道徳的にみれば正解かもしれない。
しかし、その後の未来を見れば決して正しい行いとは言い難い。
このような話だ。
長くなったので残りは次の日記で。