セラピーでもセッションでも、
「内観しましょう」と言われることは多いと思います。

自分の内側を観るというのは、心の問題に気づき
解決方法を見出してくれるから…というのは誰もがご存じでしょう。

でも実際に内観すると言われても、
その方法が解らない方も多いのではないでしょうか?

内観とは心理学的にいえば、
自分自身の精神状態を観察することをいいますが、
簡単に言えば、自分の心を深く見つめることです。

この「深く見つめる」というのがやっかいで
なかなか上手くいかない人が多いのです。

左脳で物事を考えてしまう人は、
分析が得意なのでどうしても白黒をつけて答えを出そうとします。

右脳で考えてしまう人、つまり感覚でものを捉える人は
なんとなく解ったんだけど腑に落ちないことも多々あります。

丁度いいのは、物事を順序立てて見ながら
「あ!そうか!」という感覚になるときです。

この、「あ!そうか!」という感覚は、
理解と受容が同時に起こった時に感じます。


問題を理解するには、その問題を順序立てて見なければいけませんね。
起きた出来事の一つ一つを思い出していく作業が必要です。

問題には必ずその時の感情も記憶されています。
問題を思い出すだけでその時の感情が溢れだすこともあります。
ですが、一旦その感情は脇に置いて、
問題の流れだけを見なければ、心を見つめることは出来ません。


問題には、原因があり結果があります。
この「結果」が、今自分が問題としていることなのです。
そしてその結果に関わる感情でもがいているのです。

先ずは問題が起った「原因」をしっかり見極める必要があります。

原因を創り出したのは自分だということを、受け入れなければいけません。
「誰かのせいでこうなった」のではなく、
自分が選択した現実の責任を持たなくてはいけません。


・参考過去記事

責任を持つとは

受け入れるとは


Crystal breath

         ミリオンベルの花言葉は「ありのままの自然な心」
Crystal breath


自分が創り出した現実だと受け入れたら、次は感情の整理です。
一つ一つの感情を見つけ出し、その理由を見つめていきます。

自分は何故怒っているのか。
何故悲しいのか。
どこに不満があって、納得出来ないでいるのかなど。

それらの感情の中に、自分のエゴはありませんか?
自分の欲はないでしょうか?
相手に期待し、叶わなかったと恨んでいませんか?
自分はいい人で、相手は悪い人だと決めていませんか?

繕った感情だけを観ていても答えは得られません。
自分の本心に気づくまで繰り返す。。。
これが「内観」です。


見たくない自分の心の汚れた部分が見えるかもしれません。
まだ痛みの残る傷が浮き上がるかもしれません。
その一つ一つを、しっかりと受け入れなければ
気づきは起こらないのです。


あなたの痛みを受け入れ,あなたの傷を受け入れ、
あるがままの、あなた自身を受けいれる!
自分以外の誰かさん、であるふりをしようとしないで、
自分をそうではないと、見せようとしたりはせずに。

自己本位ではいないように、、、、、、
そして、あなたのハートが泣いているのに、
笑っているかのふりを、続けたりしないように。
あなたの目に涙が一杯ならば、微笑みを浮かべないように。

見せかけではいはいけない、なぜなら、見せかていることで、
あなたは、、ただ、その傷を、保護しているのだ。
それが、癒されることから、、


~OSHO~

見せかけは、その傷が癒されることから保護しているのだと
OSHOは言ってますね。
傷を癒すには、受け入れなければ癒されないのです。

心に絡んだ紐を一本一本解くのは大変な作業です。
だからこそ、感情と出来事を分けて見るほうが解りやすいのです。

内観はいつでも、どこでも出来ます。
問題の大きさは関係ありません。

小さな気づきが自分をどんどん変化さえていくのです。
少し時間があるとき、自分の心を覗いてみてくださいね。




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虹あなたのハートに愛と光を虹
本音を語らなければ『心を開く』ことは出来ないと
以前にも話したと思います。

私達は人間関係をよくしようと、自分の本音を隠して周りに合わせてしまうことは多いですね。

本音を語れば誰かが傷つくかもしれないとか、
自分が嫌われてしまうんじゃないかとか、
話がややこしくなって面倒な展開になるのを避けたいとか。

そういう「恐れ」を感じて、自分の心に蓋をしてしまいます。

そうやって偽った心は、実は自分の心をどんどん傷つけていくのです。


傷ついた自分の本音は、語られることなく心の中で苦しみを生みだします。
それがストレスとなって様々な病気になる人もいるでしょう。

偽った心のままでは、「純真無垢な幼な子」にはなませんから
当然、神の国にも入れませんね。

偽りを言うくちびるは主に憎まれ、真実を行う者は彼に喜ばれる

~箴言 12-22~

自分の立場や周りの状況次第では、誰かが傷つくことがあるかもしれません。
ですが、それはその人の『受け取り方』が問題であって
そういった状況は言葉や態度次第で、いくらでも傷つかないで伝えることは出来るはずです。
そして例えば自分が傷ついたとしても、その中から学ぶこともあるはずです。

人が言葉を与えられているのは、本音を語る為です。
偽りの言葉を並べるためにあるのではないのです。

本音を語らないままでいると、いつしか自分の偽りの言葉が自分の本音だと
勘違いしてしまい、自分の本心にさえ気がつかないようになってしまいます。


恐れることをやめて本音を語る時、
私達の心は純真無垢な幼な子に戻っていけるのです。

Crystal breath

               赤いオダマキの花言葉は「素直」

Crystal breath


偽った心のままでは、自分の気持ちに前向きになることも
自分の中にあるわだかまりを正すことも出来ません。

自分が本心を認めなければ、自己の成長には繋がらないのです。


あらゆる幼い子供を見てごらん。彼は完全に自分を受け容れている。
そこには非難もなく、他の誰かになりたいという欲望もない。
だが成長するにつれて、誰もが心をそらされてしまう。

あなたは自分に戻る勇気を持たなくてはならない。
全社会があなたの邪魔をするだろう。
あなたは非難されるだろう。

だが一生惨めなまま偽物になり、
偽りになって他の誰かの人生を生きるくらいなら、
全世界から非難された方がはるかにましだ。

あなたは至福の人生を送ることが出来る。
そしてそこにはふたつの道はない、ひとつの道しかない。
それは自分が誰であれ、ただ自分自身でなければならないということだ。

そこから、自分自身を深く受け容れることと、
自分自身への尊敬から、あなたは成長し始める。


~OSHO~

偽りの心で生きていても、至福への道に進むことは出来ません。

神の国に入ること、つまり創造主と一つになる為には
本音を語り、自分を受け入れることが大事なのです。




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もみじあなたのハートに愛と光をもみじ
釈迦が弟子にいいました。

「托鉢に回るなら、お金持ちではなく貧乏な人のところを回りなさい。」

釈迦の弟子は驚きました。
裕福な人の所を回ればいいのにと、弟子じゃなくても考えますよね。

寺社や僧侶、貧者に金品を寄付することを「喜捨」と言います。
これは惜しむ心なく喜んで財物を施捨することです。

貧乏だと思う人は喜捨が出来ないから貧困から抜け出せないと釈迦は言いました。
彼らは人に物を分け与える喜びを知らないと。

人に何かを与えた時、自分は分け与える喜びを知り、
分け与えられた者に生まれる信用を得ることができます。
信用を得る喜びも知ることができます。


貧乏を理由に施しをせずにいれば、彼らは喜びを知ることはないでしょう。
だから彼らを救うためにも、托鉢は貧乏な人の所に行くようにお弟子に伝えたのです。

先ず自分から何かを与える。
そうすることによって、自らに与えられる(喜び)というのは
宇宙の法則の一つ「与えたものが自分に与えられる」ことと同じです。


貯め込んでいたり、出し惜しみをしていては、
自分には何も戻らない事を 釈迦は知っていたのですね。

お賽銭やお布施にもそのような事を教える意味があります。
賽銭は願いが叶った時の感謝の印として神仏にお供えする意味もありますが、
その「お願い」のときにも賽銭をお供えしますよね。
まず先に清らかな心で喜捨することを教える意味があるのです。

Crystal breath

              アルメリアの花言葉は「思いやり」

Crystal breath


「与えたものが与えられる」という法則は、お金や物に関する事だけではありません。

人間関係も同じです。

人は、愛が欲しい、愛して欲しいと思う心があります。
愛が欲しいのならば、先に愛を与えることが大切です。
でも愛の与えかたって解りにくいですよね。

「一期一会」と言う言葉があります。

茶の湯の教えを説いた言葉で、
「一期」は一生、「一会」は一度の出会いという意味です。
「人の出会いは一度限りの大切なもの」という意味で使われますね。

茶の湯の教えでは、
「たとえ何度の茶会を開いても、
この茶会と同じ茶会は二度と開くことは出来ないから、
常に人生で一度きりのものと心得、
相手に対して誠心誠意を尽くしましょう」という意味で用いられたそうです。

同じメンバーで会うことはあっても、「今」と言うこの時間は一度きり。
その人達と過ごすこの時間は二度と戻ってこないから、
悔いなく大切にするという心です。

愛が欲しいのなら、その人との時間を悔いなく大切にする。
相手の事を思いやり、自分の出来る誠心誠意を尽くす。

例えばそれが、相手に対する最高の笑顔だっていいのです。
赤ちゃんはいつだって笑顔を与えてくれますよね。
それを見れば幸せな気持ちになるでしょう?
そしてこちらも思わず笑顔になりますね。

それが「愛を与える」なのです。

愛を出し惜しみしていては、いつまで経っても愛は与えられません。
愛は貯め込んでも増えることはないのです。
ケチらずにどんどん与えましょう。
一つ二つと与えるうちに、より多くの愛が自分のもとにやってきますよ。





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ドキドキあなたのハートに愛と光をドキドキ