ギブthanテイク⑤
”だれかのために”って大きなエネルギーを生むよね。
そうやって、「与える側になろう」としたとき、私自身が変わるためのパワーとか、気づきとか、必要性をめっちゃもらったと思う。
そうやって、
「幸せになれる!」って伝えたいから、
幸せになろうって覚悟を決めた。自分が変わるぞ!!って思えた。
子どもから大人になった!!
受けてる側だったら、きっとわからないままだったと思う。
どれだけ受けても受けても、思ってるほどじゃない、足りない足りないって…いつも思ってたから。
本当に不思議なんだけど、与えるほうが、もらうよりも満たされるんだよ。
聖書にも書いてあるんだ。
「主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われた」ってね。(詳しくは、新約聖書の使徒の働き20章35節を読んでね)
本当に不思議…。
でも実際にやってみたら、本当にそうだったんだ。
ギブthanテイク④
振り返ると、私自身も、10代の頃に「自分には価値がない」と話す人とか、
「未来なんていいことない」って感じの大人の言動に傷ついてた。
そういうことばを聞くと、まるで自分の存在に価値がなくて、未来には意味がないと言われているみたいで。
そうやって、傷つけられてきたのに、
今度は自分が傷つける側になるって思ったら、ゾッとした。
大人が、与える側にならないでずっと、「足りない」「足りない」って言い続けるのって、子どもを傷つけるんだよね。不思議だけど…。
逆に、「未来は変えられるよ」「神様から愛されてる」って大人が言ってるのを聞くと、子どもは元気になれる。
「自分が嫌だったような大人に、自分自身はなりたくない!!」
そう思ったことが大きかったかな。
それに気づけたのは、与えることを始めたからだと思う。
もちろん、与える側になるぞー!!って奉仕(ボランティア活動的なことね。クリスチャンとしては神様のためにってのがポイント)を始めたときも、ドキドキした…。
自分にできることあるのかな~って。
まだ、自分もわからないことが多かったから、うまく相談に乗れないかもって不安だったし。
でも、実際に与える側になることで、いろんなことを考えるようになった。すごく!!
そうやって、与える側になる!!って意識がとても大切なんだって、遅かったけどようやく気付いたの。
できるかできないかじゃなくて、ね。
ギブthanテイク③
でも、イエス・キリストが30歳から公生涯を歩んだ(神の救いを語るようになった)っていうのが大きかったかな。
30歳になった時、イエス・キリストがやっていたことを見て、やばい!!!って思うようになって、初めて「与える側になろう」って思ったのです。(かなり遅いけど…笑)
(ひとまず、結婚どうこうじゃなくて、与える側になろうってことね!!)
よし!!下の世代のことを考えようって思ってから、始めて気づいたんだよね。
今まで、与えるってことをしてきてなかったな~って。
もちろんそれまでも、“だれかのため”にしていたことはあったと思うよ。
特に友達関係はめっちゃ大事にしてたし。
でも振り返ると、恋愛では、「私はこんなにしたんだから」「もっと私をわかってほしい」って思いが強かったし、
自分自身が変らなきゃいけないって気づいても「いつかいつか」って後回しにしてることがあった。「自分なんかに、与えることなんかできない」って、自己肯定感がボロボロだったこととかね。
だけど、「与える側」になるぞって、実際に10代のクリスチャンの子たちと話していく中で、「こんな自分ダメだ」って思って生きていることは、相手を“傷つける”って、気づくようになるのです…。