こんにちは。

昨日の夕方、桜島が噴火しましたね😅

ちょうど、仲良しの憑き物落としの友達から「コノハナサクヤヒメの神社をお参りしてね」と言われていて、「こっちはあんまり浅間神社がないから、じゃあ、桜島かな」と答えた翌日に噴火をしました🌋

一昨日から気圧の変動がとても激しく、ビリビリきます。

この暖かさもどうも一時的なようなので、体調などを崩されないようにしてくださいね。

 

 

 

 

さて、今日は日本人が封鎖されている「感覚」についてですが、なかなか現実が思うようにはいっていない…という方は、この五感がどうも鈍いのかもしれないですね😅





感覚が鈍いとどうなるのかというと、肉体の声を無視してしまうので、けっこうしんどくなってくるのです😅

わたしたちが生きている地球🌏というのは、肉体ファーストだからです。



※稲田神社⛩️


 

 

さて、わたしたちの意識は2つあって、ひとつが意識的に行える「顕在意識」、もうひとつが無自覚を司る「無意識」なのですが、

わたしたちがコントロールできるのは、5パーセントと言われる顕在意識だけ、なのですね。

 

 


 

もうひとつの、無自覚を司る95パーセントの「無意識」領域が計り知れないくらい、現実化を押し進めております😅💦

まあ、量的にも恐るべきパワーですよね。

国家プロジェクトならぬ、無意識プロジェクトの秩序によって、わたしたちの人生は成り立っているのです。

 

 


 

ですが、このふたつの意識を同じ方向性にしていくと、望み通りの日常を送ったりできるのです😆✨✨

 

 

 

 

しかし、感覚優先にすると、思わぬ「損」もよく訪れます😅

これは、いわゆる「現実的な損な役回り」ですね。







地の時代だと、こういったものが日陰になっていたのですが、時代がどんどん塗り替わっていますので、「いったん損に見えるけど、自分の感覚に従う」方向性のほうが、が当たってくるのです。

 

 

 

 

「こんなことしたくないのに」と思うことがあると思います。

例えばダイエットの失敗などですね。

甘いものがなかなか絶てない…

よく、テレビでは「ダイエットの神が降りてきた!」と表現していますが、まさにそういった本気でやり抜く実行力というのは、無意識が改革されたとき、なのですね😅

 

 

 

 

さて、先日に「意識を鎮静化できると、肉体と霊体が一体化していて、思わぬパワーが出るよ」という記事を書きました。




いわゆる集中できる冴えている状態が、「ゾーンに入る」というものなのですが、これは脳の使い方が、普段と変わっているからなのです。




 

この、ゾーンに入るときこそ、無意識の領域にアクセスできているのですね。

 

 

 

 

そこから引っ張り上げたものからエゴを取り除いたものこそ、「芸術」なのだと思うのです。

だから、芸術は時代を経ても、心を打つのです。

そういった、本心からの思いや情熱というのは、どんなにつたない言葉でも、心に届くのです。

 

 

 

意味はわからないけれど、心の琴線に響くんだ、

 

 

 

という衝動のほうが、人生を変えていくパワーがあるのですね😆✨





 

実はわたしたちの身体(肉体)というものは、この無意識領域がコントロールしているのです。

だから、「心と身体がバラバラ」というのはあり得る、のですね。

その状態が長く続くと、「症状」となって、身体に異変が表れます。

これが病気です。

 

 

 

病気というのは、その器官の「滞り」なのですが、この正体は「磁気」なのだと思うのです。

病気の磁気がまとわりついているので、血流などが滞ってしまうのです。

 

 


 

だから、アスリートの人たちというのは、肉体の声を聞くのが上手なのです。

それは感覚器官が鍛えられているからなのですね。





 

こういった、「顕在意識」と「無意識」なのですが、感覚器官は五感を通して響くものなので、無意識が司っています。

よって、感覚を鍛え上げていくと、おのずと自分の心の声、つまり本心がわかってくるのですね😅

 

 

 

そこで必要なのが、「意識の鎮静化」だったりします。

意識を上げる、のではなく下げる、のです。

「損得でものを考えない状態」に持っていくのです。




いわゆる寝入りばな、起き抜けのような、ぼうっとした感覚なのですが、それでも意識は覚醒されているのですが、これをコントロールしていくと、覚醒したままゾーンに入ることができる、のですね。

 

 

 

 

この時、脳波がアルファー波~シータ波になっているのですが、実は子供というのは、こういったアルファー波の状態が強いのです。

だから、子供のころの体験というのは、心に残る、のです。

だから、親があれこれ指図をすると、そういった感覚が鈍くなってしまい、その後の人生に影響を与えるのですね。

 

 

 

 

7歳までの自分が、いったい何が好きで、何に惹かれていたのかをなぞっていくと、じわりとした感覚がよみがえり、エネルギーが強くなっていきます。

 

 


 

新時代からは、こういった感覚がどんどん鋭くなっていき、精神性が縄文時代まで回帰していきますよ。




しかし、高度成長期を生き抜いてきた日本人は、戦後教育のために神と分断されており、こういった感覚はスルーしがちです。

「日本人はいったい何者なのか」をすっかり忘れてしまい、誇りを失ってしまっています。

 

 

 

うちの娘も、よく神社参拝にいくのに、「なぜ神社があるのか」すら、わかっていません😅

 

 

 

 

「神社は心のふるさと」というのぼりを、わたしは神社でよく目にするようになりましたが、神社は聖地であり、祀られているのはわたしたちの祖先であるのです。

しかし、神社は宗教だという考えの人も少なくありません。

神社はわたしたちの祈りの結晶、なのですね。

 

 

 

だから、心を打つ。

 

 

 

「そこにいるのは、どなたなのかよくわからないけれど」

 

 

 

「ただ、かたじけなさに、涙がこぼれる」

 

 

 

西行法師が伊勢神宮を参拝したときに詠んだ歌のように、心の声に従ってみると、身体に染み入るような感覚が湧き上がってくるのですね😆✨✨

何度も書きますが、「いったん、損をしているように見える」のですが😅

ようやく心の時代がやってきました✨✨




おそらくそれが、





わたしたちの中にある「宝物」なのでしょう😆✨✨