DNAが語るわたしたち日本人の歴史 | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは😃

先日のブログでも書きましたが、最新のDNAゲノム解析により、わたしたち日本人のルーツがくつがえろうとしているようですよ。




こちらのブログでも書きましたが、現代日本人は最古の縄文人のDNAを保持し、弥生人と古墳時代の渡来人によって成り立っていることがわかりました。



※伊勢神宮内宮



日本人のルーツ=縄文人+弥生人+古墳時代の大量の渡来人





のDNAによって成り立っているということなのです👀

今から、古墳時代にいったい何があったのか、研究されていくと思われます。






これを神話とすり合わせると、





自然の山や木や水を神として崇めていたのが、縄文時代、





スサノオやアマテラスが活躍して国作りが広がっていったのが弥生時代、





神功皇后〜第15代応神天皇が即位して、大量の渡来人が来日したことがわかっていますので、古墳時代のDNAはこの辺りでしょうか。




この中に秦の始皇帝をルーツに持つ、のちの秦氏が数万人を引き連れていたと伝わっております。





さて、中国の歴史書「魏志倭人伝」に、「邪馬台国の卑弥呼」という謎の女王が西暦239年に中国の皇帝に使いを送ったことがわかっています。

この卑弥呼が亡くなったのが、西暦247年。

そこから日本は内乱が激しくなったのですが、

この卑弥呼が天照大御神(アマテラス)なのだと思っておりますよ。





巫女って実は略字なんです。

本来は霊女(みこ)と書くのが正しいのですね😅




アマテラスの本名は大日霊女貴尊(オオヒルメ)だったのですが、おそらく、古代のアマテラスは、日霊女(ヒミコ)だったのですね。





このヒミコが鎮まったときこそ、弥生時代の終わりであり、古墳時代の始まりとなります。





さて、実は日本の古社には、





神宮と大社




がありますが、イザナギから神武天皇まで、神宮だけですべてつながるのですね。





大社というのは、アマテラスの直系以外の神たちが祀られており、いわゆる国津神が祀られております。





この国津神こそ、初期の各地の大王(オオキミ)だったのでしょうね😆✨





古墳時代の始まりは、黎明期のヤマト王権が国を統一するために、吉備津彦が派遣されたり、ヤマトタケルが活躍したのですが、これがおとぎ話である「桃太郎」の伝承なのだと思われます。





そんな弥生時代の大きな事件はこのふたつ。





天岩戸と、





天孫降臨





ですね😅




なんと最新のゲノム解析で、今から1500年前には日本人のDNAができあがっていたことがわかったそうです😅💦





つまり、





そこから大量の渡来人の流入はない、ということで、中世の日本人と現代の日本人は、DNAに大きな変化がないそうなのです。





すると、伊勢の外宮が建立された1500年前というのは、渡来人の流入はほぼ収束されていた頃、ということになります。




なお、古墳時代の渡来人は、ユーラシア大陸のかなり広大な範囲であることもわかっておりますよ。

まさに、人類みな兄弟で間違いないのですね😆✨✨





すると、伊勢神宮の外宮が創建されたのは、21代雄略天皇の時代なので、これが西暦471年頃であると、考古学的にもハッキリと分かっています😆✨




※埼玉の稲荷山古墳から剣が二本出土して、雄略天皇の実在が判明されました。





つまり、弥生時代の後期〜古墳時代には、日常的に言葉が通じないくらいの文化の多様性があったということなのです。





日本人がなぜこんなにも柔軟性があるのか、ひどく納得できますね😅





かまどでお米を炊くようになったのも、機織りの技術も、まさに技術の恩恵なのですね😆✨✨





今から多様性の時代がやってくると言われますが…





日本人、まさに回帰ですね😅





ということで、DNAが語る日本人の起源でした😆✨✨




ちなみに、




このブログは縄文時代〜弥生時代を粛々とやっていきますので、よろしくお願いします😅




もはや、忘れ去られた2000年くらい前にタイムスリップです😅💦