桃太郎とキビツヒコ | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

今日から仕事ですが、2日間くらい大雨で家の中でいたので、久しぶりに外に出られてとっても嬉しいです。

お仕事のかた、頑張ってくださいね✨

 



 

さて、先日に「歴代の卑弥呼たち」についての記事を書きましたが、そこにチラリと書いた、「卑弥呼と桃太郎は姉弟」という記述についてのお話です😅


歴代の卑弥呼たち


※吉備津神社ホームページより





桃太郎伝説というのは日本に伝わるおとぎ話なのですが、これは弥生時代~古墳時代の吉備国制圧がひとつのモデルとなっております。

舞台は広島県福山市~岡山県~播磨(姫路)あたりといった感じでしょうか。

 

 


 

伝承によると、温羅(うら)と呼ばれる鬼が新羅の国から飛来して、製鉄技術を吉備の国にもたらしたのですが、鬼ノ城を拠点にしてあたり一帯を支配したのです。





それを聞いた第10代崇神天皇が、7代孝霊天皇の息子キビツヒコをはじめとする四道将軍を派遣したのが、桃太郎伝説のルーツとなっております。


※吉備津神社⛩

 

 

 

キビツヒコは山陽道を制圧して、鬼の首を取ったのですね。

 

 

 

 

 

ですが…。

 

 

 

 

桃太郎は実はひとりではないのです😅





というのも、古事記と日本書紀で、記述が違っているからです。




 

 

吉備津神社はなんと3つもあるのです😅

すべて一宮であり、広島県~岡山県にまたがっておりますよ。



 

そう、鬼ヶ島伝説でわかるとおり、吉備国は、ものすごく勢力の強い国だったようですね👹

 

 


 

10代崇神天皇の記述は「日本書紀」なのですが、

「古事記」では、7代孝霊天皇のときになっているのです。





つまり、7代天皇~10代にかけて、桃太郎による鬼退治は行われていた、ということにもなるわけです。





その三人の桃太郎はこちらとなります。


※死闘!

 


まず一人目の桃太郎は、第6代孝安天皇の息子、大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)です。

名前がもろ桃太郎!という感じですね😅

ここから吉備国に攻め入ったのでしょうね。

 

 

 

 

実はこのとき、ヤマト国→吉備を制圧していったのではなくて…

 

 

 

 

九州→吉備国を制圧していっているのです😅

 

 

 

 

一度、奈良を撤退しなくてはならないくらい、相当に強かった吉備国は、備前長船という名刀でも名高い、刀剣の産地なのです。

わたくし、実は出雲地方で「刀剣が風景に映り込む」という写真を撮ったことがありますが、けっこう岡山県でも撮れるみたいですよ😅💦





ここは古代の戦場地だったのですね。



※再び死闘!

 

 

さて、二人目の桃太郎はもっとも有名なこのかた、卑弥呼の弟であり、日本書紀でも記述がある、第7代孝霊天皇の皇子、大吉備津彦(オオキビツヒコ)ですね。

日本書紀でのお名前は、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)ですね。

 

 

 

ここで鬼である温羅を制圧したのですが、鬼の首は生気をおびており、なんと13年間も唸り声をあげたのだとか👹





恐らく、なかなか部族を制圧できない、何か大きな事情がこういった吉備津神社の伝来となっているのかもしれないですね。

 

 


 

そこで!

 

 

 


三人目の桃太郎の登場です。

おそらく、最後の桃太郎ですね。

 

 

 

そう、三人目の桃太郎は、二人目の大吉備津彦の息子、若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)ですね。





桃太郎は何代かに渡っており、それは名前に刻まれているのです。

それだけ、吉備国はなかなか平定できない強力な鬼がいたのでしょう👹



※吉備津彦神社⛩

 

 


さて、ご神体である吉備の中山は縄文時代からの聖地なのですが、そこに陣を構えたようですね。

すると、吉備津神社が3つある理由が、なんとなく見えてきますね。

 

 


 

キビツヒコの寿命は、吉備津神社のホームページによると、「281歳」だったそうです😅

この長寿も、数代にわたるキビツヒコの死闘を描いていたのだとすると、なんだかひどく納得します。

 

 


 

実は、岡山にはキビツヒコに関する遺跡よりも、温羅に関する遺跡のほうが多いのです。

真実は土地に沈み込んでおりますが、温羅という鬼は、地元に深く溶け込んだ存在だったのかもしれません。

 

 

 

 

なお、この時期は「欠史八代」に当たります。

 

 

 

 

 

15代応神天皇や神功皇后が活躍するのは、おそらくもっと後、5世紀ころのお話となります。

考古学的にも、応神天皇が実在するとすれば、5世紀ころだろうと予測されておりますが、口伝でもこの辺りとなっているのです。

 

 

 

 

初代神武天皇と、第10代崇神天皇の敬称はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」です。





卑弥呼が亡くなったのは248年。

ヤハタノカミこと応神天皇が誕生するのは、もっと後の話になるのですね。

 

 

 

 

 

さて、二人目のキビツヒコの姉こそ、「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国の卑弥呼、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)ですね。





さすがキビツヒコは、姉がケタ違いの巫女だったので、戦線を切り抜けられたのかもしれません。

なんとなく、ヤマトヒメとヤマトタケルを思い浮かべますね。





そんな倭迹迹日百襲姫のお墓は、箸墓古墳だと伝わっておりますが、大量の桃の種が発掘されました。

弟が桃太郎だとしたら、ここに桃の種が魔除けとしてあるのも、ともに九州から東征したから、かもしれないですね。





しかし、





この箸墓古墳は、当初は卑弥呼の時代(3世紀前半〜中旬)だと言われていたのに、3世紀後半〜4世紀中旬という説になっているのです😅





ですが、天皇(大王)に匹敵するくらいの、当時の最上位の祭祀者を祀っているのだろうと思われます。



 

 

なお、ヤマトタケルは同じく四道将軍の丹波主命の孫となります。

ヤマトタケル自身も、広い目で見れば、桃太郎のひとりだったのかもしれません。

 

 

 

 

なお、キビツヒコと温羅の戦いは、吉備津神社の神事「矢立の神事」で再現されておりますよ。

歴史に沈んだ日本のおとぎ話は、実は密かに史実を伝えている…ということなのかもしれませんね😆

 

 

 

 

と言うわけで桃太郎と3人のキビツヒコでした✨✨





ちなみに、





鬼がなぜトラの皮のパンツを履いているのかというと、鬼門が丑寅だから、なんです😅

鬼を退治する猿と犬とキジなのは、対局にあるのがで、正方向に酉、戌と進むから、なのですね。





まさに陰陽道の源流こそ、桃太郎伝説にひそんでいるのかもですね😆✨





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