弥生時代の終焉 | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

明日は新月🌙です。

20日の金環皆既日食は太平洋側で見られるそうですが、那覇と小笠原諸島だと、けっこう見えるみたいですね👀

 

 

 

 

さて、先日「歴代の卑弥呼たち」という記事を書きましたが、書きながらつくづく思ったのは、「どんな壮絶な苦労があったのだろう…」と痛みを感じたことでした。

 

歴代の卑弥呼たち

 

 

 

 

部族を率いていかなくてはいけない責任と使命、

神と一体化しなければいけないので、身体もガチガチになるでしょうし😅

占いが外れて求心力がなくなると、集団の危機的状況に陥ります。

それはそれは大変な任務だったのでは…と感じられるのです。

 

 

 

 

さて、今日は「弥生時代の終焉がもたらしたもの」について書いていきたいと思います。

 

 

 

 

これは同時に、「縄文時代の終焉と弥生時代の始まり」の話とも平行するのですが、

縄文時代が終焉したのは、なにかが崩壊したのではなく、略奪でもなく、大陸からの渡来人も増え、弥生式の概念が入ってきたことによる価値観の変革だったのかもしれません。

 

 

 

それが、

 

 

 

巫女の始まり

 

 

 

でした。

古代の巫女は弥生時代の始まりでもあったのですね。

 

 

 

弥生時代というのは、大陸からの渡来人が増え、シャーマンの役割を持った女性が現れると、彼女が告げる自然の声に耳を傾け始めました。

この、神と一体化できる、つまり神の言葉を下ろせる役割を持った巫女の神格化が、アマテラスなのですね。

 

 

 

 

天照大御神は縄文晩期に日本に降臨した、とも言えますね。

弥生時代の特徴はたくさんありますが、太陽の女神が登場した、というのが、まさに日の信仰の始まり、だったのでしょうか。

 

 

 

 

なお、弥生時代は今からおおよそ2700年くらい前なのですが、1000年以上続きます。

この時代がいわゆる「神話」となって語り継がれておりますよ。

 

 

 

さて、縄文時代~弥生時代の集落は、神と生活が一体化している構造になっておりました。

ストーンサークルのように中がぽっかりと空いている、神が出現する空間を中心とした環状集落になっていたのです。

 

 

 

 

ところが、京都の碁盤の目を見てもらえればわかるように、規則性を持っていくのですね。

卑弥呼の死の後になにが変わったのかというと、ヤマト朝廷率いる古墳時代が開き、縄文や弥生の聖地からひとびとは離れて暮らし始めたのです。

 

 

 

 

そのあとに開かれたのが飛鳥時代(592~710年)です。

律令国家の成立です。

 

 

 

 

中国の都、長安にならって碁盤の目のように集落構造が変わります。

これは現代に通じる、秩序を保つための組織化構造ですね。

すると、神を迎える必要性が生まれたのです。

 

 

 

 

これが「祭り」の始まりで、「参道」の始まりでもありますね。

 

 

 

 

つまり、卑弥呼の死からなにが大きく変わっていったのかというと、

 

 

 

 

 

日本は、

 

 

 

 

 

神と生活を切り離していった、ということですね。

 

 

 

 

これが霊性の衰え、ともいうのでしょうか😅

霊性と生活の分離の始まり、でもありますね。

 

 

 

 

つまり、「組織化」と「神との暮らし」って対極にあるのです😅💦

そこで、里宮が作られ、祭りの日に神輿を担いて、神を山から下ろしてくる必要があったのです。

 

 

 

 

神さまは神社にいるのではなく、

 

 

 

 

お迎えをする必要があった。

 

 

 

 

縄文時代~弥生時代というのは、精神性と物質性が分離していない生活構造でした。

卑弥呼の死とともに始まったのが、生活の組織化、奈良県での大和朝廷の成立でもありました。

 

 

 

 

平城京、平安京ってなんなのかというと、すごくざっくりいうと、ヤマト朝廷と蘇我氏の連立政権の始まりでもあり、

仏教と神道の交わり、とも言えますし、ここが日本の原点かなあ、とわたしなんぞは思っております。

 

 

 

 

ところがですね、

 

 

 

 

意外や意外?

縄文時代からの聖地は現代でも残されているのですよ。

日本は火山帯の国なので、火山を離れて暮らすには、構造的に難しかったのです。

それが東日本だったのです。

 

東日本

 

 

だから、火山帯を抱え込む東日本というのは、超古代の生活構造を内包しているのですね。

ヤマト朝廷がなかなか支配できずらかった歴史そのものが、まさに古代が引き継ぐ意志、なのかもしれません。

 

 

 

 

そんな東西を合わせて、まさに日本なのです🇯🇵

 

 

 

この人間中心社会の頂点とも言える、物質的繁栄の頂点が2020年でした。

そこから起こったのがコロナウイルスによる世界パンデミックです。

 

 

 

 

急激な価値観の変化をわたしたちは迎えており、同時に深刻な環境破壊を抱えて、ただいま自然が荒ぶっている、という感じです😅

 

 

 

 

おそらく、このまま物質主義を続けていくと、中国大陸からの黄砂でもわかるように、砂漠に覆われ、地球は破壊されつくしてしまうのです。

 

 

 

 

わたしたちは、「今生きている人間だけが生きる権利がある」と思ってやってきたのでしょうが、

実際にわたしたち日本人の祖先は、後世の命を引き継ぐ人たちのために、植林をしたり環境を整えてくれたりしました。

 

 

 

 

この植林を始めたのが、スサノオとも言われておりますね。

 

 

 

 

 

生命連鎖という生態系や自然と共存しつつ、地球にやさしい生活にシフトしていかなくてはならないのかな、と思います😆✨

まさに命の循環、ですね♪

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

初代卑弥呼のような、直感力のある方たちが活躍していくだろうと思われますよ✨✨

 

 

 

年に一度やってくる来訪神

 

 

天体同士が重なる日

 

 

自然からの富を受け取る