東日本における縄文時代からの聖地 | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

いっつも西日本ばかりを紹介しているのですが、今日は縄文時代大国である東日本をご紹介したいと思います。

さて、日本の縄文時代の集落にはいくつか特徴があるのですが、大まかにざっくり書くと、以下のふたつとなります😅

 

 

 

 

・清らかな湧き水がある

 

 

 

 

火山帯

 

 

 


ざっくりすぎますが😅💦

生命をおびやかす火山の近くをわざわざ選んで、縄文時代の人々は暮らしていたのですね。



※高千穂峡



カルデラが作る人口の湖やダム、そして貴重な湧き水、たくさんの鉱物などが理由だったのだとは思いますが、

東日本のほうが、西日本よりも縄文時代の遺跡が多く残されているのです。



※nippn.comさんより

 


上の図は気象庁が提供してくれている活火山分布図なのですが、この日本列島には大きく分けてふたつの火山帯があります。

 

 

 

 

北海道~伊豆諸島に抜ける火山帯

 

 

 

 

九州~鳥取県大山にかけての火山帯

 

 

 

 

そう、つまりそれに沿って縄文時代からの聖地、何より古社が多く残されているのですね。


 

 

 

 

なお、わたしは先週に阿蘇山~高千穂を旅してきたのですが、ここでとてもわかったのは、ニニギノミコトは阿蘇周辺に降臨しております。




つまり、彼が降臨してきたのは、ここが「火山帯」だったからなのですね。

宮崎県高千穂町というのは、超巨大噴火で形成された火砕流台地なのです。

 

 

 

 

ニニギノミコトと結婚したのは、富士山の象徴といわれるコノハナサクヤヒメで、火の中で子供を産みます。

この子供こそ、今日の日本の天皇家の始祖にあたるのですね。

ここからが弥生時代の幕開けとなります。

だから、神武天皇の名前は「彦火火出見(ひこほほでみ)」ですね。



 

 

「火」は「日」であり、日本🇯🇵はヒノモトにある。

 

 

 

 

縄文時代から弥生時代にかけて、信仰は、火→日へと移っているのです。

だから高千穂は「ミズホの国」なのですね。

 

 

 

 

そして弥生時代からの日本の人々は、

 

 


 

そう、

 

 

 

 

火山帯から離れて暮らし始めるのです。



 

 

分布図を見てもらえればわかるように、関西や四国というのは、活火山がありません。

関西などは皆無になるのです😅💦





稲作水田には火山は脅威であった、だから遠ざけた…ということでもありますし、

古代ヤマト国が奈良県に築かれたのは、ふたつの火山帯からちょうど離れていたから、なのですね。

 

 

 


 

火の信仰→日(太陽)の信仰と移ったのが、縄文時代→弥生時代の移行でもありました。

その発端となっているのが、ニニギノミコトだということです。





日本の夜明け。





つまり、神武天皇九州→関西に移ってきている、のですね。

なお、ふたつの火山帯の象徴だったのが、

 

 


 

阿蘇山と富士山

 

 

 

 

なのですが、この象徴がニニギノミコトとコノハナサクヤヒメです。

少なくとも、古代の人はそう信じていた、ということなのです。





このふたつのルートを結ぶと、ちょうど真ん中に、淡路島のおのころ島があり、この線上に橿原神宮は存在します。

神武天皇より4代前の先祖を結ぶルートの上に、飛鳥も藤原京も存在する、のです。



 

 

ですが、日本列島は山岳地帯がとても多く、古代は重機などを所有していませんので、なかなか開拓などはできませんでした。

つまり、北海道や東北地方、中部エリアの東日本というのは、縄文時代からの風習が根強く残った地域なのだと思っております。





これをアニメ化したのが、「もののけ姫」ですね。

主人公アシタカはエミシ出身です。



※もののけ姫より

 


 

蝦夷(エミシ)

 

 

 

 

北海道~青森、宮城などの東北を結ぶルートには、古代からの社がずらずらと並んでいるのですが、おそらく、この古社に本来祀られていたのは、縄文の神だと思います。

 

 

 

 

縄文の神

 

 

 

 

火山の神、





塞の神、でもありますね。

 

 

 

 

もうひとつの火山帯は、九州~島根の三瓶山~鳥取の大山にかけての火山帯ですが、こちらには古事記でもおなじみ、ニニギノミコトやオオクニヌシが活躍する出雲神話につながります。

「そういえば神話って西日本ばっかり出てくるなあ」と思われたのは、編纂したのが、ヤマト朝廷だからです😅💦



 

では、北海道や東北エリアにはどのような神話があったのでしょうか?

 

 

 

 

 

実はですね、この日本列島って、東西に分断されているのですよ😅

今では軽々と超えられてますが、古代は難しかったのではないでしょうか。

そう、それがフォッサ・マグナ(糸魚川静岡構造線)です。

 

 

 

 

 

そしてエミシにはがたくさんとれるところがありました。

これに目を付けたのが、ヤマト朝廷だったのです。

事実、奈良の大仏の黄金は東北から運ばれているのです。

 

 

 

 

具体的に何をしたのかというと、宮城県の多賀城に陸奥国府を置いたのです😅

文化や風土が違う、縄文時代からの流れを汲むエミシの人たちを支配下に置こうとしたのです。

 

 

 

 

 

ですが、

 

 

 

 

東北が誇るエミシの若きヒーロー、

 

 

 

 

アテルイが立ちはだかったのです。



※アテルイ

 

 

朝廷は蝦夷討伐のために、征夷大将軍を任命しました。

その最初の征夷大将軍こそ、坂上田村麻呂ですね。

アテルイ率いる数百名のエミシたちは、十万の朝廷軍に対して勝利をおさめ、そこから22年間、一度も敗北しなかったのです。

 

 

 


 

ですが、アテルイは、

 

 

 

 

これから100年後の蝦夷を守り抜こうとして、子孫と故郷を守るために投降したのです。

ここからは涙なくしては語れません。







降伏したのが802年4月15日。

坂上田村麻呂が平城京にアテルイを連れて凱旋したのが、7月10日。

坂上田村麻呂は、「アテルイに東北を任せるべきだ」と進言したのですが、平安京の貴族たちは効く耳を持ちません。

アテルイが処刑されたのが8月13日。

彼らの鎮魂のために、坂上田村麻呂と縁の深い京都の清水寺に石碑が建てられたのが、1994年。

 

 

 

まさかの1200年後!




 

奈良時代~平安時代というのは、噴火も相次いでいて、仏教による肥大化も問題になっていたのです。

アテルイばかり書きましたが😅💦

アテルイに関しては、高橋克彦さん著「火怨」を検索してみてくださいね。


 

 

 

 

古代の最先端は確かに淀川付近と京都の丹後ではあったのですが、北海道や東北、関東、中部エリアというのは縄文大国の文明や風習が根強く残っていたのです。

 



 

 

日本を東西に分断していたのは、フォッサマグナと呼ばれる巨大な溝と、中央構造線なのですね。

このクロスライン上にある、伊勢神宮、諏訪大社、鹿島神宮はまったく同じ距離で点在しているのです。




古代の脅威は地震と噴火だった。

古代の日本人はこれをとして崇め、諌めようとしたのですね。




 

おっと、北陸ルート(越の国)はですね、縄文時代からの最古の王朝、ヒスイ王朝なるものがあって、大陸(朝鮮半島)との交流もとても盛んだったので、早くから栄えていた国となります。

水田稲作も早くから入っていたのです。


名前を失った女神


 

それとともに、

 

 

 

 

大陸からあらゆる風習が入ってきたため、





白山のククリヒメが石川県にいらっしゃるのですね。

 

 

 

 

 

ということで、日本って決してひとつの権力が支配していた国ではないのです。

なかなか統一できなかった国、というのでしょうか。

だから神さまも唯一神ではなく、仏教やキリスト教も伝来して多神教となっているのですね。

だから、日本って「帝国」なのですよ。

 

 

 

 

というわけで、縄文時代が非常に長く続いたのは、やはり火山の恩恵が大きかったから、かもしれないですね✨

なお、阿蘇山の黄土は「おうどいろ」のルーツとなっており、この鉄を含んだ黄土は、消臭剤として、全国の下水処理施設で使われているそうですよ。

 

 

 

 

ということで、素晴らしき火山大国ニッポン、でした‼️





阿蘇の御神体


ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ


弘法大師空海