こんにちは。
なんだか広島駅の警察官の数が増えつつあります😅
サミットの一か月前なのですが、不穏ですよね💦
さて、きっしーこと岸田総理は、国会の答弁で、
「わたし自身もニューヨークで小学生時代、マイノリティとして過ごした」
と答えておりましたが、この答弁はけっこう意外でした👀
岸田総理は間違いなく、マジョリティなのですよね😅
この日本には古代から、少数派、つまり異形の人々を神としてもてなす、「まれびと信仰」というものが根付いておりました。
とっても珍しい異形の方々を、「客としてもてなしていた」文化があったのです。
わたしは日本誕生のルーツを探る旅をやっておりますが、なんと一番大好きだった神さまが、おそらくたぶん「まれびと」であることを突き止めてしまいました😅
まれびと=来訪神
氏神にあらず
それを言うと、サルタヒコやニニギノミコトもまれびとであることは間違いないですね😅
さて、「日本の来訪神」は2018年にユネスコ無形文化遺産に登録されております。
このまれびとは、民俗学の巨匠、折口信夫さんの研究で構築された日本文化のルーツなのですが、
神は他界からやってくる、
という考えが古代からあり、「稀に訪れる人」を「神」として宿を貸したり、食事やお酒をふるまっていたのですね。
おとぎ話や昔話に出てくる「鬼」「座敷童子」「天狗」「かかし」なども、もちろんまれびとです。
こういった客にいかに喜んでもらえるかどうか、というおもてなし文化の発展した形が「茶道」なのですね。
なお、文化遺産に登録された10の来訪神は以下の通りです。
・吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
・米川の水かぶり(宮城県登米市)
・男鹿のナマハゲ (秋田県男鹿市
・遊佐の小正月行事 (山形県飽海郡遊佐町)
・能登のアマメハギ (石川県輪島市/能登町)
・見島のカセドリ (佐賀県佐賀市)
・甑島のトシドン (鹿児島県薩摩川内市/下甑島)
・薩摩硫黄島のメンドン (鹿児島県鹿児島郡三島村/薩摩硫黄島)
・悪石島のボゼ (鹿児島県鹿児島郡十島村/悪石島)
・宮古島のパーントゥ (沖縄県宮古島市/宮古島)
いやー、見事に、日本海側と南九州に偏っております😅💦
まさにまれびとの玄関は「海」なのですね。
※桜島
海には「常世の国」にはあると言われ、折口信夫は岬の灯台の先に立ったとき、「海のかなたに自分の魂のふるさとがある」と感じられたのだそうです。
そのまれびとのもてなし方から、様々な習慣や文化が生まれました。
そしてその神を、村の境界線に祀ったのですね。
岸田総理は「ニューヨークではマイノリティだった」と自身を評しておりますが、実際に彼は日本では、「マジョリティ」です。
中央なのか、境界線なのか。
わたしたちが抜け出なければいけない、「多数派」からの脱却、
これこそが日本🇯🇵のテーマなのかもしれません。
マイノリティは神だった、
日本は戦後に神と分断をして、マジョリティに加入しようとしましたが、
文化のルーツをたどると、マイノリティを神として崇めている歴史が根強くあり、なかなか馴染むことができず、マジョリティからの離脱者が相次いでいる、という感じでしょうか。
わたし個人もマイノリティなのですが😅
この折口信夫さんの「まれびと」信仰と出会って、なんだかしっとりと受容してもらえた気持ちになりました。
さて、このブログはマジョリティの人々はまず読んでいないでしょう。
マジョリティとマイノリティとはなにか?
それと神がなぜ関係があるのか?
を説明していきたいと思います。
マジョリティの人々は町の真ん中に住み、群れを好むからです。
町の中心人物となり、国の政治に携わるような仕事についていたり、「競争をして上を目指す」ことを好みます。
大切なのは秩序を保つこと、
そして頂点に目指すこと。
責任感と階級社会を生き抜く考えがベースとしてあります。
そのために必要なのは「適応力」ですね。
自我が強すぎると、なかなかこのマジョリティの規律の中になじむことはできません。
自分という人格を落とし込むことを求められます。
産業革命以降、日本でも多くの人が資本主義社会のなかでマジョリティとして適応してきました。
・欲しいものはお金で買わなければ手に入らない
・物の価値、給料の高さは人の価値につながる
・自分が誰であるのかは、そんなに関係ない
・みんな同じような顔をしている
・競争するのが好き
古代から、マジョリティの方々は垂直方向を目指して中央に住んでおり、その社会的方向性にアイデンティティを見出しておりました。
つまりマジョリティとは、「定型」の人々ですね。
いっぽう、
まれびとであるマイノリティは「非定型」の人々で、バリエーションに富んでおります。
出世には興味がなく(というか向かない)、
個性を発揮する方向性にアイデンティティを見出します。
・価値は独自の判断に基づく
・差別を受けやすい
・競争を好まない
・独自の世界に住むことを好む
・干渉されるのが嫌い
・評価を気にしない
・ものづくりが得意
・物は捨てて、また工夫して作る
彼らは古代から「周縁」に住んでおりました。
いわゆる町の境界線です。
境界線を越えると、恐ろしい魔物や動物が表れるかもしれませんが、町の真ん中より窮屈な思いをしなくて済むので、好んで町はずれに住んでいたのです。
なので、魔物がやってきたら、まっさきにやられてしまいます😅
だから、
境界線には塞の神を祀る、
塞の神=まれびとなのですね。
日本という国はもともと、本当は独自のクニが無数にあって、それぞれ風土が違うのですよね。
そういった異界からのまれびとを受け入れてもてなす文化から、「茶道」などは生まれたのです。
しかし戦争に負けて、経済を立て直すためにどんどん受け入れてしまった結果、自分が何者かよくわからなくなった。
マジョリティを装ったマイノリティの国、
それが日本なのかもしれないですね。
こういった折口信夫が唱えた「まれびと」の世界観に、
また日本は戻ってくるのかなあ、と感じております😆
「みんな同じじゃないとおかしい!」
というマジョリティを装った方々は、実はマイノリティの個性にあこがれを抱いている、とも言えるのですね。
ということで、窮屈な思いをされているかたも多いと思いますが、もういっそ、「わたしはまれびとだ!」とあきらめて過ごすと、なんだか楽しくわくわくしてくるかもね、というお話でした😅
早いともう小学生で「自分はまれびとだ、がーん」と気が付きますね😅