こんにちは。
先々週の出雲の神在祭に、わたしは伊邪那美(イザナミ)に会いに揖夜神社〜黄泉比良坂を巡ってきました。
古事記にて、イザナギとイザナミが永遠の別れを決意した黄泉比良坂(よもつひらさか)の入り口に建っております。
突然、明日に行こう!
と決意したのは、自分が書いた出雲の紹介記事に触発されてのことだったのです😅
2020年のこのブログの始まりは、このイザナミルートをめぐっており、ついにイザナミのお墓まで辿り着いたのは、良い思い出です😅
※揖夜神社
この東出雲にある揖夜(いや)神社は、出雲でも熊野大社と並んで古い歴史を持ち、
未だにミステリアスな謎が多く、創建時期もわかっておりません😅
主祭神はイザナミで、黄泉の国を司っており、黄泉津大神とも呼ばれておりますよ。
今は国道9号線で分断されておりますが、この神社から黄泉比良坂には道がありまして、
この道を、
夜見路超え
と言いますよ。
よって、黄泉比良坂に行くときには、必ず揖屋にある、揖夜神社を先に参拝なさってから、向かってくださいね。
※ね♪
晴天に恵まれ、さあ今から参拝だわ!
と、ひとりでるんるんと随身門をくぐると、
神職さんから声をかけられました。
「御朱印書かれますか?」
と聞かれたので、せっかくなので、書いてもらうことにしました。
そこで、神職さんとまさかの会話をすることになるのですが、
この内容こそ、古代ヤマトと古代出雲をつなぐ鍵となるのです😅
いやー、
人生ってすごいですね…。
こちらの拝殿には壁がなく、珍しい作りになっているのです。
なんとこちら、玉垣の内側に入ることができるのです❗️
おにわふみ〜ありがたいですね😆✨
さて、こちらからなんと目の前に本殿が見られますよ。
素晴らしい‼️
しばしこのエリアでぼうっとします。
娘がいないので、好きに時間を過ごせて、とっても清々しいです🤣
ご神体の向きは出雲大社と逆で、右方向を向いているので、ここて手を合わせますよ。
千木も内削ぎなので、女神さまを祀る神殿、ですね。
左右の摂社には、それぞれ須佐之男命と、三穂津姫がご鎮座されています。
拝殿前に戻ると、とても立派な恵美須社が二つも迎えてくれます。
エビス…
事代主…。
そう言えば、わたしの講座のリピーターさんが、島根県が主催するバスツアーに参加されたようで、
その方が、
「事代主は揖屋に通っていた」
とおっしゃっていたのです。
なるほど、と思いました。
コトシロヌシの妻は揖屋にいたので、拝殿前に恵美須社がふたつもあるのだわ。
社務所に行くと、神職さんにそれを告げました。
「ここはコトシロヌシが通っていた場所なのですね?」
神職さんはびっくりしたように、
「そうなんです。美保神社とここは縁が深いのです」
とそこで、美保神社の氏子さんの話で盛り上がります。
わたし、NHKスペシャル番組でそれを知っていたのです😅
凄まじい制約の中で生活をしなければならないのですよ。
すると、神社さんが、「今朝もNHKでやってましたよ!」
と教えてくれました。
しばし盛り上がる、美保神社の氏子さんのお話。
美保神社の氏子さんは、よなよな毎晩、美保神社の周りをゲタで巡礼するのです。
「この地域では、ニワトリを食べないのですよ」
と、神職さんがおっしゃってました。
そう、美保神社の氏子さんも同じ制約があります。
揖屋の女神に通っていたコトシロヌシは、ニワトリが夜明け前に鳴いたために、慌てて美保関に帰ろうとして、
足で海の中を掻いていたら、サメに襲われてしまったのです。
※エビスビール
だから、
エビスさまは、片足が浮いているのです。
不具の足だから、ですね。
美保関の美保神社というのは、
コトシロヌシが呪いの逆さ柏手を打って、身を投げた場所なのです。
死して数千年…
それでも氏子さんたちがその怨霊を鎮めている場所でもあります。
これこそが、国譲りの事実であり、
そしてそのコトシロヌシが、この揖屋の女神さまとの間にできた女神こそが、
初代天皇、神武天皇の妻となった、姫踏韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)ですね。
古代出雲の王はコトシロヌシであり、古代ヤマトへとつながる場所が、この揖屋であります。
この揖夜神社には、荒神社と呼ばれるエリアがあり、異彩を放っております。
出雲は稲作が広まった地域であり、稲穂の神=台所の神さまでもあるのですね。
蛇神に見立てているのかもしれないですね✨✨
あっ❗️
カエルが見えた🐸
わかりますか??
ということで、ミステリアスなエビスさまとも縁が深い揖夜神社でした⛩
古代の歴史が沈む場所、出雲の東方面にも来てみてくださいね✨