神が宿る精神領域 | 運の良い座敷童子的な生き方

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運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

こんにちは。

今日はとっても気持ちが良いくらい暑いです😅

座敷童子的マンツーマン講座ですが、最初に始まるかたの日付が決まりつつあります😆✨

中には星読み師、yujiさんのセッションを受けられているかたがいらっしゃるのに、それでもわたしの講座を受けようと希望されているかたがいて、とても嬉しかったです✨

yujiさんと擦り合わせができますね😅←それよ

 

 

 

 

さて、今日は神が宿る精神領域です。

以前に、「すきまにはが宿る」という記事を書きましたが、これとよく似ています。


神はすきまに入ってくる


 

これは「何も考えていない思考」には、すきまが生まれて、そこに新たなものが降ってくるのです。




思考がとっちらかると、このすきまがないため、なかなかインスピレーションやひらめきが降ってきません。

 

 


 

というのも、わたしたちの精神領域には脳波がかなり関係しているからです。

霊能の発揮にも脳波が関係しております。


脳波について


つまり、「ある状態」にそれを持っていくと、その領域には神が宿る、のですね。



「何か一つのことをやりとげよう」としているときには、能動的に気が注がれている状態で、その意識が拡大され、脳波が変化をします。

 

 


 

音楽を作る、絵を描く、楽器を弾く、文章を書く…など、もちろん仕事の作業などでもかまいません。




何かの作業を一心にしている状態。

つまり、「深く集中しているとき」ですね。

 

 

 

 

このとき、「時間」の経過を感じられなくなります。

それどころか、「肉体」の重みすら感じられなくなり、飲食も飛ばせるほどの集中力が生まれます。



 

これが「無我の境地」であり、意識が一点に集中し、精神状態が深まり切った状態となります。

自意識という壁がなくなり、意識が肉体を飛び越えて、はるか空の上に到達しているのですね。

 

 

 

これがいわゆるサンクスリット語でいわれる、「三昧(さんまい)」という状態になります。

 

 

 

 

三昧に入る、

 

 

 


仏教やヒンズー教でいわれる「瞑想」と同じ脳波になっているのです。

意識が宇宙と調和して、脳が覚醒し、本来の実力よりも、真価が発揮できるのです。



 

自然霊の天狗と繋がった修行僧というのは、このような感じなのでしょうか😅

修験道の修行をしている僧侶は、無我夢中で山を歩いていると、やがて天狗と呼ばれるエネルギー体とつながり、肉体の重みや足腰の痛みなどを感じなくなっていくのです。


天狗系


 

山と一体化する、とでもいうのでしょうか。

 

 

 

と通じるとき。

 

 

 

意識は拡大されて、地球の重力から解放され、その精神領域に神が宿る、のですね😆✨


 

 

 

「細部に神は宿る」と言いますが、一心不乱に行った作業には、神秘的なエネルギーが入り込むのかもしれません。



この効率的なやりかたが、国が勧める「働き方改革」でもあるのかな、と勝手にわたしは思っています😅




長時間労働は心身を消耗していきますが、しっかり休んだ肉体と精神は真価を発揮して、長時間労働をするよりも効率よく仕事をこなすことができる。

というわけで週休3日は欲しいなとわたしなんぞは思っております😆✨


 

 

 

ただですね、これの課題が、「集中できるような好きなことを見つけ出すこと」なのですね😅

そう、集中できるような環境づくり、もとても大切ですし、

「一心不乱に集中できるものを見つける」ことこそが、人生の課題でもあります。

 

 

 

 

わたしたちが瞑想を自己流でやるのはなかなか難しいのですが、

自分が好きなものに没頭することは、わりと容易いです。

問題は、没頭するくらいの宝物を見つけ出すこと、でしょうか。

 

 

 

つまり、

 

 

 

自分が集中できる何かを見つけ出して、それに没頭していくと、やがてそこに神が下りてくる、というわけですね✨

 

 

 

魂の道を歩んだ時に、人生の追い風が吹いてくるのです😆

 

 

 

というわけで、ぜひ、能動的に気を注げるなにか、を見つけ出してくださいね♪

ちなみに、「気が散る」ときは、「気を取られている」状態なので、その逆となっています😅💦




霊的エネルギー状態


現代にひそむ武内宿禰について


霊感スポット