こんにちは。
さて、わたしは今月の三連休に山口県下関市にある、長門国一宮、住吉神社へと行ってまいりました。
本当は3月の宇佐神宮への旅の帰りに寄ろうと思っていた住吉神社だったのですが、
わたしが宇佐神宮でハッスルしてしまったため、大幅に時間がずれて、寄れなかったのです😅
ようやく来れました‼️
お目当ては、武内宿禰(たけのうちのすくね)の霊木。
わたしは、武内宿禰ファンなのです😆
今日はこの武内宿禰のブログとなっております😅
7月は豪雨続きの毎日だったのですが、なんとこの日はこのあとに晴れることになるのですよ☀️
長門国一宮、住吉神社は日本三大住吉のひとつで、本殿は国宝に指定されており、1370年に守護大名だった大内氏によって再建されています。
※ようこそのお参りだ!
恐らく、西暦200年からこの地に祀られているようで、
この神社の見どころは、奥に聳え立つ、武内宿禰(たけのうちのすくね)の霊木で、樹齢2000年。
山口県によって天然記念物とされています✨
太陽が真上に来ると、このようにキラキラと光を見せてくれますよ✨
※武内宿禰の霊木
この霊木をはじめとして、住吉神社は迫力のある樹林があります。
いわゆる鎮守の森、ですね。
2000年ものあいだ、下関を守ってきたのです。
※本殿
この本殿で祀られている住吉大神は、勝利をもたらす荒魂はこちらに祀られ、徳を備えて平和をもたらす和魂(にぎみたま)は大阪の住吉大社で祀られておりますよ。
さて、この本殿には、武内宿禰が祀られています。
武内宿禰ってだあれ?
と説明しますと、
日本紙幣の肖像画にもなっているのですが、古事記にもその名前が載っているかたで、
ヤマトタケルのお父様である景行天皇(12代)〜
海を渡って新羅親征をなしとげた神功皇后(14代仲哀天皇の妻)〜
宇佐神宮の応神天皇(15代)〜
仁徳天皇陵でも有名な仁徳天皇(16代)までの、
すべての天皇に仕えた伝説の忠臣なのです。
仕事の神さまですね✨
え?
寿命が長すぎる😅?
そうです、武内宿禰というのは、代々名前を襲名しているのです。
わたしがこの武内宿禰が好きな理由は、現代の武内宿禰のファンだからなのです‼️
※第73世武内宿禰 竹内睦泰さん
そう、現代の武内宿禰は、第73世武内宿禰こと、竹内睦泰さんです。
通称、むっちゃんと呼ばれています。
(むっちゃんは右ですよ)←わかるわよ
残念ながら、むっちゃん(愛称)は2020年に、53歳の若さで病気で亡くなってしまいました…。
そう、もう跡を継ぐ人はいないのです。
武内宿禰は、73代を持って2000年の歴史に終わりを告げてしまったのです。
しかし、
むっちゃんはとんでもない偉業をやってのけたのです。
そう、竹内文書を世に出してくれたのです‼️
これがいわゆる、正統派竹内文書です。
というと、
口伝による、神代からの歴史書となります。
そう、口伝バージョンの古事記なのです😆
わたし、実はとある神宮の神職に代々伝わる口伝を知ったのですが…
※読者さんから直接うかがいました。
そのために、読者さんに会いに行きました。
その口伝の威力たるや、すぐに歴代の歴史作家の作品をずらずらと確認しましたが、
口伝を知っている一部の考古学者、歴史学者と、
まったく知らない考古学者、歴史学者にハッキリと分かれていたのです😅
その口伝を裏付ける書物まで見つけ出すことができ、それはすべて宮内庁によって隠されたタブーとなっているようです。
このブログではお伝えできませんが、口伝はそれくらい威力のある、伝承された秘密なのです。
真実かどうかはさておきですよ😅💦
口伝というのは歴史をひっくり返す威力があるのです😅
この口伝もひとつの解釈として楽しむことをおススメします。
真実は誰にもわかりませんし、
ひとつの解釈として読めば、腑に落ちる点があったり、
そうやって歴史の可能性に思いを馳せるのが楽しいのですよね✨
※鎮守の森
というわけで、現代によみがえった武内宿禰のご冥福をお祈りしながら…
2000年の歴史をつむいでいく住吉神社⛩でした‼️