こんにちは。
息子が滑り止めの私学に合格しました✨✨
滑り止めといえども、難関コースだったので、本人は前日から落ち込んでいたのですが、今日は人が変わったように晴れやかな顔をしています✨
とりあえず、進学先が見つかってわたしもホッとしてます♪♪
さて、昨日の天皇誕生日に、わたしは安芸の宮島、厳島神社を参拝いたしました⛩
相変わらず美しい社殿にうっとりしながら、この海上神殿に隠された秘密をのぞいてみたいと思います。
※大鳥居は工事中
厳島神社は「神を斎(いつ)き祀る島」という言い伝えがあり、設計造営したのは、かの平清盛ですよ。
平清盛が日栄貿易の活性化のため、海路の重要拠点である宮島に社殿を建てたのは、安芸守だったころの1168年、平安時代の末期ですね。
それよりももっとはるか前の古墳時代に、この宮島はもともと聖域として「伊都伎嶋大明神」が祀られていたのです。
古代から島そのものが神として信仰されていたのですね✨✨
この大明神は女神さまですよ。
宗像三女神の一人である市杵島姫命(イチキシマヒメ)と名前が似ていたことから、同じ航海の神として習合したようですね。
つまり、厳島神社は主祭神の名称が変わっているかもしれないのですが、
海路の神として女神さまを祀っていることは、古代から変わっていないのです。
平清盛はさらに、浄土信仰に倣って、ここに極楽浄土を建立しようとしました。
浄土信仰というのは、「来世では極楽浄土に生まれ変わりたい」という願いのことですね。
厳島神社とはつまり、仏閣として建てられたもので、その証拠に、
一間に8枚の板が108間、
回廊の屋根を支える柱の数も108本、
煩悩の数と同じ108という数字に非常にこだわった作りとなっております。
そして、厳島神社にはモデルとなった神殿があったのです。
そう、それは…
宇治にある平等院鳳凰堂です。
平等院鳳凰堂も同じく極楽浄土を模して造られた神殿で、厳島神社よりも100年ほど前に建てられました。
並べてみると、確かに似ていますね。
※平等院鳳凰堂
※厳島神社
厳島神社が左右対称ではない(アシンメトリー)なのは、もともと厳島神社に祀られていたのが仏像だったからです。
なお、その仏像は、大願寺と大聖院にそれぞれ移動しております。
※わたしですよ…
※わたしもよ…
神仏分離の令に関して、撤去しましたので、拝殿を作り替えたのだろう、とわたしは思っております😅
それだけ、厳島神社は時代の波に翻弄され続けながら、時の権力者に崇拝されて生き永らえた、大変貴重な建造物なのです。
平清盛が建立したにも関わらず、鎌倉時代すらも生き抜いた、麗しき海上の女神たち。
※大国神社
それだけこの場所が海路として重要拠点であった証拠であり、古代から祈りの場として斎き祀られていたからでしょう。
そして、なんと建立してから1000年以上の間、自然災害で崩壊したことはないのです!
海の上に建っているというのに!
それは、
岩盤の上に立っているからなのです。
そう、厳島神社というのは、巨大な磐座(いわくら)の上に建てられているのです。
※弥山山頂
弥山にはゴロゴロと巨石がありますので、
厳島神社の真下にあってもおかしくないのかな、と思います。
だから、倒壊することはないのです。
まさに、これこそ神の島たる所以ですね😆✨✨
なお、あまり知られておりませんが、厳島神社は出雲大社を追い抜いて、日本一大きな本殿を持っております。
なんとなく、出雲大社のほうが大きいイメージがあるのですが😅💦
なんと、厳島神社の本殿は、拝殿も含めて、日本一の広さを誇るのです。
※本殿
なお、ご利益は、わたしは海路の安全以外に、「縁結び」だろうと思っております。
厳島神社での婚礼では、ここから必ず始まるといわれる、大国神社で儀式が始まります。
ここは、大国主さまが祀られており、大国主さまの妻には宗像三女神の一柱、タギリヒメがいらっしゃいます。
この大国神社からは、厳島神社の本殿と、その後ろにある禁足地である森が見えますよ。
わたしはどちらかというと、表よりも、こちらの裏側にいつも滞在をしてしまいますね😆✨✨
※禁足地
ということで、ぜひ平清盛が思い描いた極楽浄土を見に来てくださいね♪