稲荷信仰の起源について | 運の良い座敷童子的な生き方

運の良い座敷童子的な生き方

運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

こんにちは。

このブログは不思議なことを呟いたり、参拝日記を書いておりますよ。


前回はこちらから。



さて、今日のテーマは稲荷信仰の起源についてです。

稲荷信仰といえば、おキツネさまですね。



おキツネ様といえば、自然霊としてのお稲荷さんの記事は先日書きました。



自然霊としてのお稲荷さん



さて、お稲荷さんは二種類に分かれます。





古事記にも出ていた、素戔嗚の娘でもある宇迦之御魂神(ウカノミタマ)という女神さまか、





インドのヒンズー教の荼枳尼天(ダキニテン)という女神さまです。





稲荷信仰で有名なのはおキツネさまと千本鳥居なのですが、千本鳥居の由来は分かっていないのです。




江戸時代にこぞってブームとなったみたいですね。



さて、日本で最初に稲荷の名前が出てきたのは、

「山城国風土記」という奈良時代の書物ですが、この書物は現存していません。





他の書物で引用という形で残っているので、逸文と呼ばれておりますよ。





この逸文によると、日本最初の社の名前は「伊奈利」であり、それが伏見の里であり、稲荷神は稲の神様だったのです。




これが伏見稲荷大社の起源となっています。




稲とはつまり、食物の頂点に立つとされ、古事記に登場する豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)と同一視されていきました。





豊受大御神は伊勢神宮の外宮の神さまです。

天照大御神の食事や五穀をつかさどる女神さまですね。





そう、食物は人間が生きる上での根源となるものなので、とても尊いものなのです。





つまり、今から1300年以上前にはお稲荷さんは存在していたのです。

しかしブームとなったのは、割と近世なのです。

江戸時代からなのですよ。


※豊川市のいなりん♪



これは稲荷信仰のご利益が絶大だったため、豊穣神として日本各地に拡大されたためです。





更に江戸時代になると、武士が江戸に住むときに、屋敷神として祀るようになったのですね。





それを他の武人が真似をして、商売繁盛のご利益があるとされて、日本各地に無数の稲荷社が建てられたのです。





それが現在の令和でも受け継がれて続いている、というわけです。





そして。

そう、お稲荷さんとして忘れてはいけないのが、荼枳尼天(ダキニテン)です。


※豊川稲荷


なんと荼枳尼天を日本に広めたのは、かの空海なのです。

真言宗の開祖である空海は、816年に紀州の田んぼで、稲荷神と出会います。←すげえ





「日本に密教を広めたいので、東寺に来てくれないか」

とお願いをしたのです。





なんと、かの空海さんもお稲荷さんにお願いしたのですね😅





すると、823年に稲を担いで稲荷神は来てくださったそうですよ✨

空海は歓迎し、伏見稲荷大社に鎮座してもらったのです。


※豊川稲荷




どちらも伏見稲荷‼️

やはり稲荷の起源は伏見の里なのですね✨✨

そして、





空海によって、仏教と稲荷神は結びつけられていきます。






そこでインドのヒンズー教の荼枳尼天が、キツネに乗った姿で描かれていることから、

「喜狐天王(きこてんのう)」

と呼ばれて、稲荷信仰とおキツネ様のイメージが定着していきました。





そう、お稲荷さんのおキツネのイメージが、荼枳尼天を日本のお稲荷さんへと引き寄せたのですね。





これもキツネのご縁なのでしょうね😆✨





と言うことで、伏見稲荷大社は本当の意味でお稲荷の起源であり、空海や荼枳尼天、密教との絡みつきもある、すごい場所なのです。





そして…。

ヒンズー教の荼枳尼天とは、人肉を食らうけっこう厳しい女神さまですので…😅




豊川稲荷の荼枳尼天さまはちょっぴり厳しいと聞いておりますよ😆✨



豊川稲荷も最上稲荷も、ご本尊よりも守護神としての荼枳尼天のほうが有名です😅





そんな仏教とも、古事記とも、縁が深いお稲荷さん。

そのご利益は絶大ですので、ぜひお近くの稲荷社を参ってくださいね♪





と言うことで、稲荷信仰の起源についてでした♪




今回、豊川稲荷やいなりんのお写真はブロ友さんから貸していただきました😆✨



続きはこちらから。






ブログランキング・にほんブログ村へ
※応援していただけると嬉しいです♪




依存的な人に取り憑く魔



他人のエネルギーの取り除きかた



エネルギーの明るさと大きさ