旧熊野大社上の宮は知られざるパワースポットだ! | 運の良い座敷童子的な生き方

運の良い座敷童子的な生き方

運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

こんにちは。

このブログは目に見えない不思議なことを呟いたり、参拝日記を付けておりますよ。


前回はこちらから。


さて、先週の土曜日に私は島根県の熊野大社を訪れました。


★Twitter始めました♪


rankoの呟き

 



こちらは出雲四大神の中の最強神といわれる、熊野大神がいらっしゃいます。

出雲四大神とは、奈良時代に編纂された出雲国風土記において、神々の中で四柱のみ、「大神」と尊称された神のことです。




・天の下造らしし大神(出雲大社)




・熊野大神(熊野大社)




・佐太大神(佐太神社)




・野城大神(社殿が焼失し、現在は能義神社)





数千年が経った今でもその神々を祀る神社は島根県に鎮座しておりますよ。


出雲大社参拝


佐太神社参拝



そんな熊野大社ですが、実は明治四年まで、現在の熊野大社には下の宮がありました。





こちらは伊勢宮と呼ばれていました。





では、もともとの熊野大社はどこに?





そう、この意宇川沿いをてくてくと徒歩15分ほど歩くと、ひっそりと跡地が残っているのです。



こちらです😆♪





もはや歓迎の嵐です♪♪





ずっと何日も降り続いた雨は、ちょうど止んだばかりで、久しぶりの太陽がキラキラと輝いておりますよ。



ここが古代から明治時代まで熊野大社があった本来の場所、旧熊野大社上の宮です。





もはや聖域そのものです。



奥の石段を登ると、最初に見えてくる石碑は「伊邪那美神社跡」です。





そして、その隣にある御神木がすごいのです…❗️



もはや何かが宿っている御神木は、圧巻のエネルギーですよね。





私、ずっとこの木が脳裏をチラついて、夜に眠る時も気になっていました。





私のナンバーワンはずっと山口県の川棚のクスノキのはずなのに…


川棚のクスノキ



こんなに気になる木があるなんて😆←ダジャレ



まあ、木に恋する人間の女がいてもいーと思うのです。




さて、ズラリと並んだ石碑は神社の跡。





そしてこの奥から、



ひっそりと山頂への道が伸びています…❗️





さあ、行きましょう。




熊野大神の御神体である天狗山を拝める山頂へ。



崖に沿って道がすらりと伸びていますが、さっそく見えたのはこの巨石。




ちなみに娘の今日の課題は「服を汚さない」ですよ😅



なんとこの巨石は古代神話から言い伝えが残されている、「明見水」と呼ばれる巨石から滴り落ちるご神水なのです。





この水で目を洗うと、眼病に効くと言われておりますよ。



透き通ったとても冷たい水です。





キツネが見えますね😅




ちょうど2019年2月に網膜剥離になって、完治したので…





今日は目を洗わせてもらいます♪



えー、この裏山の道はですね、とても急で危ないです😅




実は最も危険なのは下りなのですよ。





ものすごい急勾配なので、気をつけてくださいね。



娘は相変わらずマイペースに登っております。




すると巨石に辿り着きました。





ここは「祓所」と書かれています。





娘と祓え詞を3回繰り返します。




祓え〜たまえ〜




清め〜たまえ〜




前回は娘はうまく唱えられなかったのに、今回はサラリと言えるようになっています。




祓え詞で気がつく、我が子の成長。




ああ、素晴らしきかな😆



さて、ここがラストの難所です。




見ての通り、木を乗り越えてこの巨石の上に登るのです😆♪



明るく光が差し込んできました。



着きました。

こちらがさきほどの巨石の真上です。



こちらは天狗山の元宮遥拝所です。




ここから、参道が閉じられてしまった熊野大神の元宮へと祈りを捧げるのです。



あの一番高い山が天狗山で、



山頂の少し下に熊野大神のご神体があるのです。



「ママ、ここに顔が…!」




と言って指差す娘😅




そんな偉大なる熊野大社の旧上の宮ですが、





熊野大社は明治時代になって、下の宮と上の宮を合祀することによって、「熊野大社」という社名を取り戻しました。





戦国時代には出雲大社も熊野大社も、時代の荒波に翻弄され、衰退の一途を辿ったことがあったのです。





熊野大社も、社名が「熊野神社」となっていた時代があるのです。



西暦659年、日本書紀にはこう書かれています。




「この年、出雲国造に命せて厳神之宮(いつかしのかみのみや)を修らしむ」





という記載は、出雲大社をさしているのではなく…





出雲意宇郡に伝わる熊野大社建立のことをさしているのです。





よって、神之宮とは熊野大社のことであり、出雲国の国府はこの場所にあったということです。





つまり、熊野大神が国津神ではなく、天津神に分類されているのは、古くから出雲国の中心地は熊野大社が鎮座していたこの場所なのですね。





時の権力者、応神天皇崩御後の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が、

「この場所を明け渡せ!」と要求してきたとき、

のちの仁徳天皇が間に入り、

「ここは天皇の土地である」

と説得して解決したと伝えられています。





そんな皇位抗争も起こった熊野大社旧上の宮は、神々が集う聖域だったのでしょう。





そんなふうに、古代歴史の中心地に立ち、香りに酔いしれるのも良いかもしれませんね。



以上、偉大なる古代の聖地、知られざるパワースポット熊野大社旧上の宮でした♪




続きはこちらから。






※応援してくださると嬉しいです♪





念はうまく使おう!


高次元にいるもうひとりの自分


霊感とサイキック能力について


第四チャクラを開く方法


除霊ができる家電


2020年目次リストはこちらから。