土曜日に訪れた出雲大社の続きです。
さて、八雲の瀧を出ましたら、出雲大社の拝殿近くまで戻ります。
すると、このような摩訶不思議なものがあります。
この囲いは実はとても大切なもので、暑い夏を無病息災に過ごせるように執り行われる神事に使われます。
真菰(まこも)⁉️
と反応した鬼滅の刃ファンの皆さん、そうなんです。
そう、彼女は神事に使われる神聖な草から名前を取られているのだと思います。
(どうでもいい情報をすみません)
さて、そこから出雲大社を出て、東に向かっててくてく歩くと、境外摂社命主社(いのちぬしのやしろ)があります。
こちらは大国主さまが、お兄ちゃんたちからいじめられていたときに、←表現よ
ここで神さまを二体下ろして難を逃れた神話の舞台となります。
隣にある木がこちら❗️
どーん。
ムクノキの大樹。
もはや妖怪のような風格すら漂いますね😅
さて、ここは1665年、銅戈・勾玉も発掘されていて、これがご神体のようです。
そう、ここは遺跡としても重要な場所です。
真名井遺跡です。
近畿地方と九州地方の文化圏が交わる、まさにここが接点の場所で、考古学的にとても重要な場所となっています。
ここから、再び、出雲大社に向かって歩いていくと…。
山に向かってスラリと道が伸びています。
ここが、禁足地へのもう一つの入り口、山王社(さんのうしゃ)です。
急な石段で、明らかに空気がヒヤリと変わります。
ここは出雲大社の鬼門を守る祠です。
ご祭神は地主之命(おおとこぬしのかみ)。
もののけ姫に出てくる、似たような名前のオットコヌシ(乙事主)さまはシシカミ森の山奥に棲むイノシシの神様でしたね。
この舞台も島根県の出雲国となります。
比婆山辺りだと思います。←あっ
そう、この静まる森こそ、禁じられたもう一つの入り口です。
見てください、木が…うねっております😅
そ、そして出雲大社に向かって道を見つけてしまいました😅
ですが、ここは私有地ですので、道は開かれたとしても、決して進んではいけません。
さあ、戻って今度は出雲国造北島家に向かいましょう。
さて、この滝は北島家が所有する天神社の後ろにあるものです。
出雲大社のパワースポットは、千田家も北島家も多々あるのですが、こちらも随一です。
ご祭神は少名毘古那命(すくなひこなのかみ)です。
大国主さまと一緒に力を合わせて国作りをした神さまで、一寸法師のモデルとされています。
日本の昔話は神さまがモデルが多いですね。
寒いからか、トカゲや亀がいない😅←いつもめっちゃいる。
この北島家も千家家と同様、出雲国造(いずもくにのみやつこ)です。
国造とは、五世紀の頃に各地を統治するために置かれた統治機構のことです。
神武天皇の頃から始まった130もの統治機構は、各地の勢力の強い豪族が占めていました。
(また出た)
かの大化の改新から、その統治権は国に移り、国造は、神事のみを許されるようになったのです。
この国造で現代まで残っているのは、出雲国造の他には、紀伊国造と阿蘇国造だけだと思います。
そんな長い歴史の波に翻弄され、出雲国造は二つに分裂してしまいます。
それが、千家家と北島家です。
さて、こちらにはとっておきの厄祓いがあります。
ブログを始めた初期の頃に書いた、「自宅をパワースポットにする方法」という記事がありました。
その中で紹介した出雲屋敷が、こちらで加入できます。
どうぞ、毎年の旧正月には、家のエネルギーを高くしてお過ごしくださいね。
(旧正月から運気が変わりますよ)
そして、この出雲屋敷で使われたお砂は、日御碕神社で御守りとして売られています。
さて、何となく、出雲大社の歴史を感じ取ってもらえたでしょうか。
神話の時代から、数多くの戦乱期を乗り越え、それでも現代の出雲大社がパワーが溢れるのは、神さまの数が桁違いだからです。
そんな、太陽の道に建つ出雲大社へ、ぜひいらっしゃってくださいね😆
以上、長々と出雲大社の参拝でした。
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