東日本大震災、福島原発事故から10年という歳月が流れようとしています。

私は、震災のあった年の2011年3月22日に最愛の父を亡くし、それがきっかけとなり、東北地方への炊き出し&ボランティア活動を始めました。それまで東北に行ったこともなかった私ですが、その後もご縁が続き、帰還困難区域だった福島県南相馬市小高区での夏祭りや、かつて千人規模の炊き出しに参加させて頂いた避難所の郡山ビッグパレットにて福魂祭という復興支援イベントで歌わせて頂いたり、故郷大分や鎌倉、群馬などでチャリティーコンサートを開催したり、復興ソングを作ったり、気仙沼の児童施設に義援金を届けたりと、微力ながら復興支援の活動を継続してきたこともあり、被災地への思い入れがとても強くあります。


こちらは2011年5月、陸前高田での炊き出し風景。
山田宏巳シェフに声をかけて頂き、今は亡き川島なお美さん、旦那様の鎧塚さん、山下春幸シェフ達とご一緒させていただきました。


陸前高田の奇跡の一本松が遠くに見えます。

震災後、年月を重ねるにつれ、被災地の特集を組むメディアが減り、3.11のその日だけ大々的に取り上げるという現実に毎年もどかしい気持ちでいましたが、今年は多くのテレビ局や報道番組で早い段階から取り上げてくださっていて嬉しく思いました。

ただ、震災10年というのはただの通過点に過ぎません。何年経ったかではなく、過去として語らず、いつまでも忘れないでいることが大切だと思うのです…

死者15900人、行方不明者2525人。まだ仮設住宅の方も多く、行方不明の家族も見つからないまま残されている方々の孤独と悲しみは計り知れません。

全半壊した家屋は40万5161棟。
今も避難する人が全国に41241人。
原発事故によって今も人が住めない地域は、福島県の7市町村337平方キロ。復興庁などによると、避難生活の末に衰弱したり自殺したりした関連死は3775人に達しているそうです。

いまだ故郷に帰れず暮らす人が多い福島。避難指示が解除されない地域では、人々の営みが戻らぬまま時間が経過しています。人が戻れない、戻らない被災地は、10年の歳月を経てもなお復興が途上である現実を突きつけています。

先週末、被災地でお会いした方の「10年節目というけれど、我々に節目はない」という言葉が強く心に残っています。

一生、癒えることのない傷みを抱えていらっしゃる方々がたくさんいる事実。風化させてはいけない。今日だけでなく、ずっとずっと忘れないでいたいです。

当時、被災された皆様にお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた皆様に心からご冥福をお祈り申し上げます。


久しぶりに過去の自分のブログを読み返して、被災地へと想いを馳せました。皆さんにも何か感じ取ってもらえたら嬉しいです。よかったら読んでみてくださいね🌸

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