こんにちは。

楽生きマスターの’むらけん’です。

このブログでは

「何物でもない人間がなんでもない

 毎日を幸せに生きられるようになる

 ストーリー」

をつづっていきます。

 

 

 

 

皆さん、

自分を見失うとき

ってありませんか?

わたしは先日12月21日に発熱し、

インフルエンザに罹患してから、

それまで機嫌よく過ごしていた

毎日がまったくわからなくなっていました。

 

 

 

いつもなら疲れていても

ブログで伝えたいことなどを

書きたい!という気になるのですが

まったくもって何も手につかないのです。

気持ち的には回復していても、

まったく体が反応してくれません。

 

 

 

いよいよ、ヤバいな。

いや、そんなこともあるだろう。

でもなんでだろ…?

いろいろ考えた末行きついた答えが

自分ファーストができていない

という単純なことでした。

 

 

 

わたしの提唱する「楽生きズム」では

①自己受容

②自己愛

③自分ファースト

④望む現実創造

⑤すでにある幸せを味わう

ということをベースに生きることです。

 

 

 

この中の

③自分ファースト

とは

「自分を幸せで満たして、

 そこから溢れた幸せを

 他人に注いで自分の周りを

 幸せにすること」

ということになるのですが、
この10日間ほどは自分を満たす前に
他人のことばかりを考えていました。
 
 
 
発熱4日目にして38℃を切るように
なった矢先、嫁様にわたしのウィルスが
うつってしまったため、
娘と嫁様のお世話となれない家事を
優先的にせざるを得なく
なってしまっていました。
 
 
 
連日の高熱でわたしの幸せの器は
すでに枯渇してしまっていました。
本来、英気を養い、幸せの器を満たしてから
周りの人に奉仕する、というのが
わたしの生きる道なのですが、
その時はそうも言ってられない状況で、
とにかく家庭を維持することしか
考えることができませんでした。
 
 
 
体調は快方に向かっているのに、
心が全く満たされてこない。
おかしい、おかしい、
と思っていた原因はここにあったのです。
生活に近視眼的になってしまい、
毎日が自転車操業でした。
今回は俯瞰でとらえることができなかったので
気づくのに時間がかかってしまいました。
 
 
 
で、ふと思ったのですが
家事や家庭のことで毎日を
目まぐるしく過ごす方々にも
同じような気づきがあるのかもって。
特にシンママシンパパさんは
こういうのが日常なのかなって。
特にわたしは家事が苦手ということもあるけど
それを差し引いたとしても、
これが毎日だと考えると
本当に、本当に、大変だと思います。
 
 
 
きっとそういう方で
現実をもっとよりよく変えたい、
と願っているけど
どうしたらいいかわからない、
いろいろやっているのだけれど
何も変わらない
とおっしゃる方もいると思います。
 
 
 
そういう方に、言いたい。
 
 
 
なんとかして、
1回、自分を満たして
あげてください。
自分を満たしてあげてからの
周りへの対応は
それ以前の対応とは
まったく違うものになります。
 
 
 
満たすといっても、大それたことを
する必要なんてありません。
日常のささいなわがままを
聞いてあげるのです。
いつも、誰かのためにと、
蓋をしてきた自分の
心の声を聞いてあげるのです。
そして、叶えてあげるのです。
 
 
 
ちょっとした時間が欲しい。
このアクセサリーが欲しい。
単純に、寝たい…。
金額なんて関係ありません。
なんでも、いいのです。
 
 
 
自分を満たすと
余裕
というものが生まれます。
その波動が周りにいい影響を与えるのです。
 
 
 
何かを変えたければ、
そのループから抜け出すきっかけがいる。
新しいループは行動から生まれます。
 
 
 
もちろん、人生なんて
放っておけばそれなりに進んでいきます。
でも、どうせならコックピットに座って
自分で操作したいものです。
 
 
 
たまには少しばかり、時間とお金を
ふんぱつしてもいいでしょう。
ご家族に理解を求めてもいいでしょう。
枯渇したら、
まずは自分を満たしましょう。
そうしたほうが、自分にも、周りにも、
結果的に大きな幸せが訪れるのです。ウインク
 
 
 
 
 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

わたしは

楽に生きる

ということをテーマに生きて、発信をしています。

 

めちゃくちゃ心の学問に関して

特別にこのフィールドで

アカデミックに研究してきました!

というのではなく、

いろんなことを

「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう

組み合わせて紹介しています。

 

自己受容、量子力学、心理学、開運方法、

神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他

をわたしの経験と合わせてお伝えし、

楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと

がわたしの幸せです。

 

 

こころの世界はつまるところ

本当の自分を知る

ということです。

このブログを通して、

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 


皆様の毎日が幸せにつつまれ、

さらにその周りの人たちを

幸せにすることが

わたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

よければフォロー、リブログ

お願いしますー照れ

こんにちは。

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約1週間、おひさしブリーフ

のブログの更新です。

12月に入りあまりお休みがなく、

先週は疲れがたまっていたことと、

21日からインフルエンザに罹患していたため

更新ができませんでした。

今もなお療養中です。

 

 

 

・40℃を超える熱

・解熱剤を服用しても

 3日間熱が下がらない

・嘔吐

・めまいと呼吸困難でトイレで倒れる

など、ネットで出てくる症状の

オールインワンパッケージ

みたいな感じでした。

 

 

 

わたくし今まで幾度も

インフルエンザウィルスには

罹患しておりますが、

今回ほど症状がひどいのは初めてでした。

本日は今回の病気から

感じたことをお伝えしていきます。

 

 

 

自分が自分で制御できないことって

生きていてそうないですよね。

こころのヲタクのわたしとしては

朦朧とする意識の中においても

これはチャンスだ

と感じ、自分の心を動きを見て、

それが誰かの役に立てないか、

特に尋常ではない痛みや、

自分が自分でいられなくなるくらいの状況の

人の気持ちに寄り添えるのではないか

と考えました。

 

 

 

39℃くらいの熱はたまに出ますが

大人になってから40℃台ってのは

あまり記憶にありません。

39℃で車を自走してお医者様には行きました。

が、その後帰ってからの40℃越えは

すべてにおいて正常な判断が

できなくなっていました。

 

 
 
意識と行動が合致しないのです。
例えば頭ではたくさん水分をとって
熱を下げたらよいとわかっていても、
飲みたくない、
飲むのが面倒くさい。
とにかく、動きたくない。
という最近経験したことのない感覚でした。
 
 
 
このような一過性のウィルスでなく
もっと重篤な病気で苦しんでいる方も
いらっしゃるでしょう。
 
 
 
そんな方からはそんな程度の経験の
お前のようなものが
わかった口を聞くもんじゃない
とお𠮟りを受けるかもしれませんが、
言わせてください。
 
 
 
人生はものの捉え方で
幸せにも、不幸せにも、
いかようにも変わります。
 
 
 
通常、このような考え方を
お伝えしているのは
デフォルトが元気な方向けです。
今回は体が健康でない方に
このような考え方はいかがでしょう、
という提案です。
 
 
 
プラスに持っていくのではなく、
ゼロに戻すイメージ
です。
 
 
 
 
○世をすねない
今起こっている現実に対して
不平、不満、愚痴、泣き言で
余計な色付けをしないということです。
現実にはそもそも意味がありません。
わたしたちが勝手に意味づけをして
遊んでいるのです。
「なんでこんなことになったんだ」
「なんでわたしだけ?」
「あともう少し遅かったらよかったのに」
なんてネガティブな意味づけをして
イヤな気分になるなら
こういう現実だ
ということを認識するだけでいいのです。
 
もちろん、感じて出てしまった
不平、不満、愚痴泣き言は
仕方ありません。
それも愛おしい自分の一部です。
そんな時は、そのようなことを
言ってしまった自分ごと、
受け入れ、認め、許し、愛して
あげればいいのです。
それが、楽生きズムで大切にしている
自己受容
という考え方です。
 
やり方は簡単です。
「~という自分を
 受け入れ、認め、許し、愛しています」
と言えばいいだけです。
ネガティブはあってもいい。ただ、
自分が採用したくない
ネガティブな感情はこのようにして
浄化すればいいのです。
これは「まなゆい」というメソッドですが、
「ホ・オポノポノ」や同じ類の
メソッドでもOKです。
 
 
 
○意識が崩壊しているなら
 サレンダー(降伏)で
しんどいことの原因を探しても
それは過去の事。
今の状況に憤っても
何も良くはならない。
余計なことは考えない。
あまねくその状況を受け入れる。
時の過行くままに身をゆだねるのです。
人生はなるようにしかなりません。
 
 
 
○元の気に戻る
そんな大変な状況でポジティブになれ、
というのはなかなか厳しい。
無理をすることは自分へのウソになります。
まずはゼロにもどることからです。
それが「元気になる」ということです。
 
 
 
○こんな時こそがんばっている
 体への感謝をする
当たり前ですが体は24時間365日
片時も休まずに働き続けてくれています。
苦しむことも、喜ぶことも
すべてはこの体があってこそです。
魂の乗り物である体に感謝です。
 
 
 
経験という意味では
苦しむことも喜ぶことも
どちらもプラスである
ということが根底にわかっていれば
思い通りにならない現実を
無駄に嘆くことはなくなります。
なぜならわたしたちは
経験をして魂を磨くために
この3次元世界にきているのですから。
 
 
 
困難な状況でも
悪く感じることばかりではありません。
幸せの感度は、通常運転に比べて
自動的に上がります。
小さな幸せが、大きな幸せになる。
日常が、美しく見えるようになる。
ただ、世をすねるような人には
このように感じることはできません。
これは現状に意味づけしないからこそ
いただけるギフトです。
 
 
 
 
病床の小さい窓から見える
空はきれいでした。
雲が流れていく。
いつかはこうやって
わたしも終わりを迎えるかもしれない。
そんな時であれ、わたしは
これから人生を紡いでいく人たちに
考える楽に生きるための考え方
などを発信していきたいと
思いを新たにし、今回の発信となりました。
 
 
 
病気が寛解すればブログの更新の
頻度もあげていきます。
今、わたしは現状を受け入れ、
まずは自分を満たすことからです。
自分ファーストです。
それから、そこからあふれた幸せで
読者様を幸せにできるような発信を
していきたいと思います。ウインク
 
 
 
 
 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

わたしは

楽に生きる

ということをテーマに生きて、発信をしています。

 

めちゃくちゃ心の学問に関して

特別にこのフィールドで

アカデミックに研究してきました!

というのではなく、

いろんなことを

「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう

組み合わせて紹介しています。

 

自己受容、量子力学、心理学、開運方法、

神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他

をわたしの経験と合わせてお伝えし、

楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと

がわたしの幸せです。

 

 

こころの世界はつまるところ

本当の自分を知る

ということです。

このブログを通して、

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 


皆様の毎日が幸せにつつまれ、

さらにその周りの人たちを

幸せにすることが

わたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

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肩書きに人生の言い訳探しを

するのはやめました。

どうも、

元肩書きコンプレックスマン

のむらけんです。

 

 

 

皆様は「肩書き」と聞いて

どんな印象を持たれますでしょうか?

一般的に肩書きとは

①役割の側面

②何者であるかという側面

があります。

 

 

 

①役割とはその名の通り、どこまでいっても

「そういうもの」です。

それ以上でも、それ以下でもありません。

ですが、

②何者であるか、という意味になった途端

見方によってはそこに優劣が生まれます

自分と他人とを無意識に比較してしまって、

無駄に自分を卑下したり、

無駄に優越感に浸ったりします。

 

 

 

わたしは長きにわたって自分という存在を

認めることができずに、

他人との比較の中で自分の存在価値を

見つけて生きてきました。

自分というものがなかったのです。

 

 

 

だから、

社会的に良いとされる肩書きがある、

ということが

正義だと考えていました。

 

 

 

もともと他人との比較が強かったのですが

それを特に助長したのが

45歳の転職活動でした。

 

 

 

45歳ともなると若い人に比べて

転職市場がかなり、かなり、小さい。

定年までの勤務年数が限られること、

給与のベースが若手より高いことから

ハードルが高く設定されます。

また、自分の過去の実績=肩書きが

市場価値に大きく影響します。

わたしが元々働いていた

ブラック企業は流通関係であり、

役職にはついていましたが

特筆するような社会的な肩書きは

持ち合わせていませんでした。

 

 

 

当時、つきつけられる現実は

なかなか厳しかったのですが、

なにかに導かれるように

今の組織に入ることができました。

 

 

 

そんな経験もあって、

わたしは「肩書き」にすがろうとしました。

この先万が一、何かがあっても

市場価値の高い人物になって、

自分は生き残るんだ!

なんて思っていたのです。

 

 

 

わたしは「士業」という

肩書きに魅力があると感じ、

中小企業診断士の資格を取るため

2年間で1300時間の勉強をしました。

結果としては1次試験に1点不足で敗退、

自分の向かう場所はそこではない、

と感じたため潔く撤退しました。

 

 

 

社会的に良い、とされる肩書きがあれば

安心

見栄えがいい

一目置かれる

心理的余裕がある

なんて思ってましたが、

それらはすべて幻想でした。

 

 

 

わたしは自分が

弱くてちっぽけな自分自身を

認められないのにも関わらず

価値のある人間だという

言い訳を言うためだけに

資格を取りたかっただけ

だということがわかりました。

 

 

 

もちろん、高い志をもって

士業に取り組んでらっしゃる方は

リスペクトします。

わたしのような、志のないものが

「肩書き」が欲しいだけのために

時間を費やす必要はないのです。

 

 

 

結局、資格があっても、なくても、

その人がどんな人物であるか

が大切なのです。

 

 

 

ブランドを好んで買う方も、

かつてわたしの考えていた

「肩書き」

にこだわっているのかもしれません。

もちろん、デザインやたたずまいが

自分にフィットする、という方も

多数いらっしゃるとは思いますが。

 

 

 

本当は何者でもない

自分自身こそが

ブランドなのだ

と気づくのに多くの年月を費やしました。

それに、価値をつけるも、つけないも

自分次第なのです。

わたしの「楽生きズム」も

まだ十分に周知はされていませんが

ブランドなのです。

 

 

 

過去のわたしのように

肩書きで相手を判断する人や、

マウントをとってくる人もいるでしょう。

そういう場合は、結局

自分がどう受け取るかだけです。

「俺はこんなにすごいんだ」

オーラを出していても、

それを受け取らなければいいのです。

同じ土俵で相撲を取らない。

気分はどんな時でも、

自分でコントロールできるものです。

 

 

 

肩書きなんて、

ただのアイデンティティ

にすぎません。

 

 

 

また、肩書きコンプレックスに限らず、

すべてのコンプレックスは

自作自演

です。

 

 

 

もう、

自分責めはやめましょう。

 

 

 

他人との比較をやめて、

何者でもない自分を

受け入れることができれば

コンプレックスなどは

なくなっていくのです。ウインク

 

 

 
 
 
 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

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組み合わせて紹介しています。

 

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神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他

をわたしの経験と合わせてお伝えし、

楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと

がわたしの幸せです。

 

 

こころの世界はつまるところ

本当の自分を知る

ということです。

このブログを通して、

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 


皆様の毎日が幸せにつつまれ、

さらにその周りの人たちを

幸せにすることが

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最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

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もうすぐ年末、そして年明けです。

皆様は初詣には行かれますでしょうか。

本日は、そんな初詣につきものの

お賽銭

についてわたしの考えを

お話しさせていただきます。

 

 

 

よくありますよね、

お賽銭いくらがいいのか論争。

5円(ご縁がある)

15円(重々ご縁がある)

いやいや、500円でしょ、

などなど人により様々です。

 

 

 

わたしも神社に

「お願い」をしに行っていたときは

5円とか15円とかを出していました。

 

 

 

こころの勉強をしていくうちにわたしは

神社はお願いをするところではなく

感謝を伝えに行く場所だ

という考えになりました。

 

 

 

幸せをクレクレと願う、

困っていることを

なんとかしてクレクレと願う、

ことから卒業したのです。

 

 

 

ご縁(5円)を願っているのは、

不足感からです。

そういう気持ちから

卒業した途端5円、15円のお賽銭が

セコいな、と思うようになりました。

 

 

 

金額ではありません。

セコいのは、

クレクレと思っている

そのマインドです。

 

 

 

別に小さなお金を

バカにしているわけではございません。

日ごろの感謝の気持ちを伝えるのに

「ご縁(5円)」はいらない。

ご縁はすでにあるのです。

で、あるなら自分が気持ちよく出せる額が

良いのだと感じたのです。

 

 

 

お金のブロックが大きかったときは

お金を所有することが豊かさであると

信じていました。

だから、お賽銭はもったいない、

なんて心のどこかで思ってました。

 

 

 

でも、勉強していくうちに

本当の豊かさとは

こころの豊かさ

であるということに気づきました。

 

 

 

例えば1万円を持っていて自由に使える、

という豊かさではなく、

1万円を誰かの幸せを願って使える、

というこころの豊かさです。

 

 

 

これは

自分が幸せである、

と感じている

ということが大前提となってきます。

 

 

 

いやだ、いやだと感じながら

1万円を誰かのために使うのなら

よしたほうがいい。

そうであるなら、その1万円で

まずは自分を満たせばいい。

他人よりも

自分ファースト

で満たして、余った余裕を

誰かに分ければいい。

 

 

 

お金を出すときも、

行動するときも、

その瞬間の気分が最も大切

なのです。

 

 

 

いつまでたっても

こころが満たせない。

自分のわがままを聞いてあげても

こころが満たせない。

そんな方は、

ありのままの自分を

認められていないのです。

 

 

 

いくら物質で自分を満たそうとしても、

本当の自分を満たすことはできません。

自分で自分を満たすことができないのは、

自分というものがあるようで、ないのです。

 

 

 

それは

自分という器に穴が開いているのです。

「自分はダメだ」、という穴です。

ダメだ、と感じている自分を

そのまま、丸ごと認めてしまえば、

その穴は塞がります。

その穴は、思い込みです。

本当はそんなのは、ないのです。

その穴を塞いでから

自分を満たして、

溢れた幸せを周りに分けていきましょう。

 

 

 

 

お金のブロックがあったわたしは

最初は1000円から始めてみました。

それでも、勇気がいりました。

 
 
 
お賽銭に限らず
お金を出すことを覚えると
こころが豊かになってきます。
 
 
 
わたしは、ちょっと自分ではこわいな、
と思う金額をお賽銭として
出してみることをおすすめします。
「あー、出しちゃったー!」
と思うことはあっても、
「やっちまったー!!!」
にはなりません。
 
 
 
期待はしない方がいいですが
何かしらのギフトはいただけます。
それらは割と
プライスレス
なものなのだと思います。
 
 
 
わたしはお金を出すと
そのエネルギーが回りまわって
自分に返ってくるということを
経験として学びました。
 
 
 
新しく年が明けようとしています。
来年の自分を豊かにするきっかけとして
この機会に自分なりのお賽銭のありかたを
考えてみてはいかがでしょうか?ウインク
 
 
 
 
 

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

わたしは

楽に生きる

ということをテーマに生きて、発信をしています。

 

めちゃくちゃ心の学問に関して

特別にこのフィールドで

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というのではなく、

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「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう

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神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他

をわたしの経験と合わせてお伝えし、

楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと

がわたしの幸せです。

 

 

こころの世界はつまるところ

本当の自分を知る

ということです。

このブログを通して、

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 


皆様の毎日が幸せにつつまれ、

さらにその周りの人たちを

幸せにすることが

わたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

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楽生きマスターの’むらけん’です。

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早いものでもうすぐ2024年が終わります。

皆様は年末に

お墓参り

には行かれますでしょうか?

 

 

 

本日はお墓参りに関するお話です。

 

 

 

 

一般的に年末には1年の感謝を伝えに

お墓参りに行くのが良い、

とされています。

 

 


でもお仕事の関係や、旅行、

病気、個人の都合で

行きたくても行けない方もいらっしゃいます。

また、

「面倒くさい、行って何になるんだ」

という理由で行かない方もいらっしゃるでしょう。

 

 

 

わたし個人の考え方としましては、

ご先祖様というのはわたしたちの命の源なので

リスペクトされる存在だと思っています。

その方たちがいなかったら

命のリレーが途切れて、

今ここに、わたしは存在していないから。

 

 

 

ですので、可能であれば、

ありがとうを伝えに

お墓に行くのが良いと思います。

でも、3次元的な「用事」があれば

それを優先するのもありだと考えます。

 

 

 

それぞれが、それぞれの

都合で行動すればいいのです。

 

 

 

ただ、わたしはどんな形でもいいので、

ご先祖様に対して

愛をもって接する

ことが大切だと考えます。

 

 

 

お墓参りに行けないなら

遠く離れていても、

故人を偲び、敬い、

感謝の念を伝えること。

 

 

 

ご先祖様は魂=波動の存在です。

そもそも太古の昔は

お墓もなかったのだと思います。

そんな時は空を見上げて

故人を偲んでいたんじゃないのでしょうか。

 

 

 

そのような形でも

ご先祖様は喜ぶと思うのです。

 

 

 

わたしたちは「経験」をするために

この世に肉体をもって生まれ落ちました。

だから、あの世より3次元で生きる者の

都合を優先すればいいのだと思います。

 

 

 

ご先祖様はお墓に来てくれたことが

嬉しいのではなく、

行動しようと思った気持ちに

喜びを感じるものだと思います。

 

 

 

すべては、

気持ち、愛

という波動が大切なのです。

 

 

 

だからお墓参りとは

行かなければならないものではなく

ご先祖様とこころを通わすものです。

感謝、尊敬をすれば

形はどうあれ、良いのだと考えます。

 

 

 

逆に自分がご先祖様になった場合

義務感でお墓参りに来てもらっても

苦笑いしかありません。

どうせなら、気持ちよく来てほしいって

思いますよね。

 

 

 

 

そして、お参りの仕方も個人個人で

自由にやればいいのだと思っています。

 

 

 

よくお墓参りや先祖供養の

仕方

にこだわる方がいらっしゃいますが、

なぜ「こうしなければならない」

というようにおっしゃるのか

わたしには理解できません。

 

 

 

きっと大昔にはルールなんて

なかったのだと思うのです。

 

 

 

きっとその

「ねばならない」「仕方」とは

エゴで誰かが誰かを

コントロールしようとした

思い込みなだけのこと

なのではないでしょうか?

それを信じて、

守ってらっしゃるのだと思うのです。

 

 

 

そのような世界観、宗教観を

信じてらっしゃる方がいることは否定しません。

それが幸せと感じるなら、

それでいいのだと思います。

それが、その人の世界なのですから。

 

 

 

 

ただ、本来わたしたちは

生まれながらに

どこまでも自由な存在

です。

 

 

 

そう考えるのであれば

すべてを、もっと

楽に捉えたら

いいのではないでしょうか。

 

 

 

自分がされて嬉しいことを、

誰かにする。

そんなシンプルなことで

いいのだと思うのです。

 

 

 

 

自分の中の

「ねばならない」

は争いの源です。

自分の中に疑問を投じて、

「ねばならない」を

ひとつひとつ手放していくことで

もっと楽に生きられるようになるのです。

 

 

 

 

このわたしの考えを採用してもしなくても

どちらでも結構です。

本日のブログで少しでも

お墓参り

に関して記憶のフックがかかれば

わたしは嬉しいです。

 

 

 

これも何かのご縁です。

ここまで読まれたのならこれは

ご先祖様からあなたへのメッセージです。

 

 

 

せっかくなので、

今からご先祖様に感謝してみませんか?

 

 

 

今、ここで。ウインク

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

わたしは

楽に生きる

ということをテーマに生きて、発信をしています。

 

めちゃくちゃ心の学問に関して

特別にこのフィールドで

アカデミックに研究してきました!

というのではなく、

いろんなことを

「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう

組み合わせて紹介しています。

 

自己受容、量子力学、心理学、開運方法、

神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他

をわたしの経験と合わせてお伝えし、

楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと

がわたしの幸せです。

 

 

こころの世界はつまるところ

本当の自分を知る

ということです。

このブログを通して、

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 


皆様の毎日が幸せにつつまれ、

さらにその周りの人たちを

幸せにすることが

わたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

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