ちょっとは空気もいいしましになるかなと思ってたのですが。。
三歳の誕生日を迎えた後すぐに入院をしました。
喘息からくる気管支炎です。
この病院ははっきり言ってヤブと有名の病院なのですが、入院設備のある病院がこの辺りにはここしかなかった。

しかも小児病棟もなく、内科といっしょで、老人も一緒なのです。
部屋は子供だけですが、小児病棟ではないのでプレイルームもなく質素なものでした。

そこで一週間入院しましたが、その時に私もやっかいな病気が発覚したのです。
後で分かったのですが椎間板ヘルニアです。

そのヤブ総合病院の整形外科でどうしても腰が痛くて痛くてと言うとシップと腰のサポーターを買わされました。

退院後ちゃんとした整形外科でレントゲンを撮ると椎間板ヘルニア第五腰椎です。

あのヤブ病院め!!子供をそこへかかる事はなるべく避けたい。。切なる願いでした。

なんせ、ナースコール押してから30分以上も来ない病院ですから。。

発作起こして、嘔吐までしてると何度もナースコールで言うのですが、行きます!の返事だけでまったく来てはくれない病院です。

名前をここで晒してやりたいくらい腹が立つ病院です。

それ以来、色んな病院を転々と探し続けました。電話してみたり、友達に聞いてみたり。

いつ入院になってもいいように病院だけは確保しておきたかったのです。

幸いそれが役に立つ事はもうありませんでした。

その入院を最後に今だに入院はしていません。

現在8歳、喘息治療は続いています。風邪を引くと喘鳴が聞こえたりして、吸入に走る事も冬は圧倒的に多いです。

でも、熱を出して、気管支炎、肺炎にまで進行する事はほぼなくなりました。

15歳まで、後7年。。。

発作とさよならできる日がくるのでしょうか??

とりあえず、喘息のお話はこれでおしまいです。
ちょっと私が記憶障害の病気になりまして、当時の事はあまり記憶が定かではないのですが、一度目の入院が終わり、しばらくしてから、別居をしました。

都会ではない所なので空気がいいのか、環境がいいのか、発作という発作は起こりませんでした。熱や、風邪や、嘔吐はありましたが。。

ついでに受けてない予防接種まで受けておいたり。。

定期健診まで受けてみたり。

でもまた事情により自宅へ戻る事に。。

この後、医療費の為には私が働くしかなくなったために保育園へ入れる事にしました。案外店員いっぱいだと言われていた割には、所得が少ない上に医療費もかかるという事で優先順位が上だったのでしょう。すぐに行ける事になったのですが。。。

保育園へ通いだすと避けて通れないのが、風邪。
仕事をしていると風邪くらいだと預けるのが普通です。抵抗力の弱いうちの子はすぐに移り、高熱を出す事が、いっそう多くなりました。

一週間行って、一週間休んで。。

仕事もままならなくなり、とりあえず就労証明書だけ旦那の会社で書いてもらい、できる職を解雇になりながらも次々にしていきました。

病気で保育園を休んでる間は、内職もしました。
テレクラのサクラもしました。自宅で出来る仕事もサブで出来るようにしておいたのです。
ちょっとでもお金になれば何でもよかったんですね。

でも、高熱を出せは二日に一回は病院で一回で2~3千円はかかります。

後で返ってくるといっても申請してから三ヵ月後。。。

長いですよ。戻ってきたお金はまた医療費か生活費かにあっという間になくなります。

子供は入退院を繰り返します。

時によっては15万もかかる時もありました。

ストレスは溜まるいっぽう。旦那は無関心、家にいないので何をしてるかもわからないし、遊んでいたのかもしれない。

他のお父さんは仕事が終わって面会時間終了までいるにもかかわらず、うちのはたまにしか来ませんでした。

もう夫婦間の中は最悪になっていました。

喘息は長い目で見ていかないといけない。

15歳でも治らないのは成人型喘息と言うらしいです。
今は小児喘息です。

お母さん頑張りましょうね!大変ですが頑張りましょう!

そういわれ続けました。

結婚していた所での最後の入院は離婚後すぐです。

子供の苗字は旦那の苗字、私は旧姓に戻っていて、まだ戸籍を移す手続きをする前で、もちろん保険証もややこしい事になっている時です。

もう知っている看護婦さん、先生に説明しなくてはなりません。

離婚した事を告げ、苗字が違うけど保険証も違うけど何とか入院手続きが出来ました。

その時は、また肺炎を併発していたので長期入院でした。
離婚したところだと言うのにまた医療費がかかりました。

これだけは、旦那にどなりつけ、会社にまで連絡し、出させましたが。。

もうこの頃から私は自暴自棄になっていましたね。

どうでもよかった。私なんてどうなってもよかった。
子供さえ元気でいてくれればそれでよかった。

そして、入院していた病院の担当医の先生から紹介状を書いていただき、実家のある土地へ帰る事に。。。

二度目の退院からほんの5日程が過ぎた頃でしょうか?
中程度の発作が起きました。とりあえず熱は38度台でしたが、個人病院へ。

総合病院へ行くのには車が必要な距離だったのです。しかし車は旦那が会社で使っていた為自転車で個人病院へ行くしかなかったのです。

しばらく様子を見ましょうと、吸入を毎日していましたが、よくなる傾向がないので総合病院へこの後行って下さいとの事。

何??あの距離をどうやって。。。寒さが吹き荒れる二月の事でした。

仕方ない。自転車で走りました。思いっきり飛ばしました。45分程で到着する事が出来、そのまままた入院。

いつでも入院OK用の大きな袋は自転車では運べなかったので、子供が寝た隙に自転車で戻り、袋をさげ、また自転車で病院へ。

旦那の助けはまったくありませんでした。入院となれば24時間付き添うのが原則で、私はまた泊り込みです。お風呂に入る事も出来ません。

一緒に入院している子のお母さんの髪の毛もべたべたでした。。
もちろん私も。。。土日のどちらかは一時間程旦那と交代でお風呂にだけ入りに帰ったりもしましたが、その間に旦那が子供を連れて、病室はおろか、病院まで抜け出してコンビニへ行っていたんです。

まったくその神経が信じられませんでした。病棟を出る事も禁じられているのに病院まで抜け出すなんて。。

大馬鹿やろうもいいところです。

私は、あきれ返って何もいえませんでした。後で看護婦さんに私が怒られました。。。

これだけの感覚に入退院を繰り返すのは喘息では珍しい事ではなく、よくある事だそうで、退院後すぐの再入院の子もたくさん見ました。小児病棟があったのでそこから学校へ通ってる子もいました。

喘息ママ友の会みたいなのも出来上がっているくらい顔見知りが増えました。

当時のママ友と言えば、100%病院で知り合ったお母さん達でしたw
でも、それが私にとっては同じ病気を抱える母同士で居心地がいいところでした。
退院の時も、「またね~がなかったらいいけど、またね来たらよろしく~w」と笑って退院したものです。
肺炎が怖い病気という記憶が蘇ってきました。
私の記憶にも残らないほど小さい頃、4つ下の妹が肺炎で入院したそうです。
昔、母親から聞かされました。

初めての入院から10日後、発作もおさまり仮退院となりました。
喘息の子は、家に帰ると発作を起こす率が高いのですぐに退院とはなりませんでした。駄目だった時に戻れるようにベットは確保しておかないといけないのです。。。

土日の仮退院。結果は何とか大丈夫そうでした。

月曜日本退院の手続きをして、金額に驚きました。検査検査、ベット代、食事代、親も24時間付き添いなので簡易ベット代、治療代、、、
10万は超えていました。
乳幼児医療の申請で3ヶ月先には戻ってくるのですが、先払いがきつかったです。。

退院後ももちろん通院で、吸入、発作時のお薬など病院代は増えていく一方。
生活費はすべて病院で消えてしまいどうにもこうにも生活がままならなかった日々が続きます。

私のイライラも募ります。もう払う治療費が残っていない、でも通院が必要。独身時代の微々たる貯蓄もすべて出し切りました。

もう駄目だ。。旦那とも相談しました。でも給料が上がるわけでもなんでもなく、結婚と同時に会社を立ち上げ代表者にはなっていたのですが、薄給です。

私が夜働きに行く事も考えましたが、発作が起きた時旦那ではどうしようもなかったので断念しました。

ありったけのお金を作れるだけ作ったのか旦那はたまにお金を持って帰る日があったのです。
その出所は今でもわかりません。

カードで借りたのか、へそくりだったのか、

そうこうしているうちに、また入院。

私は始めて体温計で42.0という数字を目にしました。

私が生きてきた中で39.6が最高の体温だったのです。

ピピピピ・・・42.0

目を疑いました。もう一度検温しました。。42.0

すぐに病院へ運びました。そのまま入院になり二度目の入院。
診断結果は喘息による肺炎。。。

S先生が担当医に付いてくれました。もしかしたら、、という先生の勘でレントゲンを撮るとしっかり白く写っていました。

さすがS先生!手遅れになる前でした。先生の迅速な処置で5日で仮退院。

そしてそのまま退院へ。。

子供に異変が起きたのは三ヶ月の時、顔、首、腕、足の皮がずるずるにむけて皮膚が見えていました。
血まみれになっていました。

病院へ行くとアトピーでした。ひどかったのでステロイド治療をしました。
ステロイドを塗ると治るけど辞めるとまた血まみれになる。

これの繰り返しでした。

大きくなれば治るだろう。気長に治療しようとその時は思ってました。

生後半年にもなる頃にはアトピーは治っていましたが、風邪がずっと治らない感じで、咳と嘔吐を繰り返すようになりました。

病院へは二日に一度は行っていました。
その病院は保健婦さんから紹介された個人病院でとても人気のある病院で先生も大好きで信頼していました。
アレルギーの専門の先生で、得に喘息を専門としていました。

熱がなかなか下がらない日が続いたりもしました。

どうしてだろう?アレルギー検査をすると陽性の反応がいくつか出ました。

そして、一歳の誕生日に、いつもの小児科から総合病院へ紹介状を書いてもらい初めて入院をしました。

診断の結果は、喘息からくる気管支炎。

喘息??嘘??そんなはずはない。。そう信じたかった。

先生は「残念ながら、お子さんは喘息です。これから長い治療が始まります。お母さんは喘息の知識を持って、頑張って下さい」といわれ、喘息のガイドブックみたいなのが手渡されました。

生活のうえでの注意事項が、山ほど書かれていました。
薬の種類がたくさん載っていました。
発作時の対処の仕方が書いてありました。
発作の種類と特徴が書いてありました。

担当医は有名な喘息専門の先生で、普段通ってる病院の先生が紹介してくれた専門医でした。

S先生というちょっと物言いの怖い先生でした。
お子はその先生を怖がって泣きまくってました。いつもの先生だと喜んで診せているんですが。。。

S先生の診察によると今の段階では、中程度の発作を起こす喘息です。
これを小発作でおさまるように治療していく方針ですとおっしゃいました。

特に注意するのは、風邪!風邪を引くと咳が出る。咳が出ると発作を引き起こすこういう循環になっているのだと。

喘息持ちというのは、気管に常にタンが絡んでいて細くなっているのだそうです。風邪によって痰が増えると細い気管が尚いっそう細くなり空気が送られなくなる為に発作が起き、その発作が気管支炎、肺炎となっていくのだと。。。


ある日、いつもの電話で私の限界を超えました。
もう嫌だ!離婚する!
泣いて実家に電話したのを覚えています。かすかに。。

父親の提案で、旦那と害のない相手の父親に相談に行く事に。

相手のおとーちゃまは、今までの事すべてを私から聞いてびっくりしていました。
自分の知らないところでこんな事になってるなんて思ってもみなかったみたいでした。

自分からも注意してみるとの事でしたが、たぶん奴は変わらないという事を遠まわしに言われました。

ただ、私はもうかかわりたくないので、一切のことをもう放置してくれと言いました。
離婚も考えているとだけ伝えました。

それだけ妊娠中にダメージを受けたこと。

だからこそ、義理でもなんでも母親だとは認めない!
奴だけは認めない!
私の頭の中からだけでも排除する。そうひそかに決めました。

そのままだらだらと結婚生活が始まり、子供が無事産まれました。

片道600キロの距離をかけて相手の両親と弟カップルが病院へ現れました。

ここで私が始めて反撃に出たのです。

チビは奴だけには見せない!抱かせない!

おとーちゃま、弟カップルだけに見せ、いくら頼まれても奴には見せてもやりませんでした。

私のいない間に新生児室から、勝手に見られると嫌なので、自分の病室へ運びました。

そこまで、してやらないと私の気持ちが治まらなかったのです。

結局、自宅へ帰っても一切の連絡を取らず、見せることは一切ありませんでした。

最後まで。。

私的物語をまとめて更新しました。
ついでに何となく日記を書いてみたりww
ほんの気まぐれですので、、、読みたいなら読んでください。
こんな私が嫌いな人は、ポチッと閉じてくれww

私的物語は、なかなか筋がまとまらないので、あっ!と思った時にまとめて書き上げて時間のある時に分けてアップしておりますw

毎日毎日だと、あれ?どこまで書いたっけ?とかその時の気分でうまく書けなかったりするから、自分の言葉が出た時に書き留めることにしています。

だけど、全然自分の思う事をうまく伝える事が出来ない歯がゆさを感じる今日この頃。文章力ないなぁ~と鬱。。

ここ最近は何となく生きていて、何となく生かされている。

楽しくもなければ、嬉しくもない。
悲しくもなければ、苦しくもない。

ただただ、後からあふれ出てくる不安に押しつぶされる心を安定剤で抑えて、じっとくるまってひざをかかえて、生きている。

簡単に言えば薬によって私は生かされている。

生かされてる意味は、子供を育てる為。

子供を育てる為に生きている。だから、生きる為に薬を飲む。

この循環なのです。

もし、子供がいなくなったら、私は死にます!

ここで、このブログを読んでる人の前で断言します!!

私は死にます!子供がいなくなれば私は同じ日に死にます!!

こんな世の中何の未練もありません。

未練どころか開放感さえ感じます。

ただただ、子供の為だけに生きている。
私は感情のないロボット。
子供の成長を見守るロボット。

はい、それだけ。

人間ってさぁ。。受けた傷は覚えてても与えた傷って気付かない事が多いんだよね。。

私も今までに何人もの人たちを傷つけ生きてきた。

心についてる傷と同じくらいの傷を人に付けてきた。

無意識ではなく、意図的に傷をつけ、それが私にとってのたった唯一の仕返しだった。

誰に対しての仕返し?何に対しての仕返し?って思う人もいるだろう。

そんな事、分かる奴だけ分かればいい!
私と同じ経験した事ある人ならいちいち説明しなくてもなるほどなって分かる事だから。

×友たちは、私と同じように世間に対し思い、感じ、同じくらいの憎悪があったり。

そんな事して何になる?

って聞かれた事もある。もちろん未経験者の無知な奴だが。

別に何になるからしてるわけじゃない。

何にもならないけどするのだ。
この気持ちわかんないだろうね~

分かりたければ、旦那に裏切られてみたら?修羅場くぐってみたら?
波乱万丈な人生選んでみたら?そうしたら分かるから。
出来ないだろうけど( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

何に対してこんな事をしていくのか。

あなたたちの疑問がすべて晴れるから。

根性あるならやってみな(笑)

こんな冷酷な人間に変わらざるを得なかった過去。現実。こうでもならないとやりきれない気持ち。やり場のない気持ち。

一人ですべてを背負う事。
迷惑かけないでと突き放される事。
本当の事が言えない事実。
嘘で固めた人生を演じる事。
嘘で固めた幸せを演じる事。
言いたくても理解してもらえない事。
理解してもらいたくても理解の得られない事。
私の人生を否定したような批判。
未来の見えない暗闇。
先のない現実。
見返りのない愛情。
口先だけの愛。


もうさようなら。。。こんな人生楽しくない!
すべてから逃げ出せるならどんなに楽だろう。

でも、人生は残念ながらリセットは出来ないんだね。。

ゲームのように簡単にリセットボタンを押せない。。

そう、私は悪魔になった。。

言葉の刃物で傷を付けていく。
周りのことなんてかまっちゃいねぇ。
人が何を言おうがどうでもいい。
手段なんて選んでられない。

ただ、そんな私を見て、周りのちんけな奴らがうざかった!

同じ環境の同じ境遇の人の意見ならまだしも、離婚もできない、離婚する勇気もない愚痴だらけの主婦に何を言われても説得力なんてありゃしねぇ。

人の生き方を指図する前にてめーがこの状況になって同じ事言えるか試してみやがれ!

出来もしないくせに、人に意見してるんじゃねーよ!

そのくせ旦那の愚痴はいいやがる!
亭主元気で留守がいい??
旦那がいないと楽だわぁ~??
離婚したいよ~でもね。。??
はぁ???おめーふざけんじゃねーよ!

口だけで何も出来もしねぇ弱者が何ほざいてんだよ!
離婚したって、やってく自信がないだけだろよ!
適当に家事して収入がある楽な生活を捨てられないだけだろうよ!

おばはん共は、「今の若い子は我慢が足りないからねぇ~」と口をそろえていいやがる。

弱者の遠吠えにしか聞こえねぇ!
旦那と切り、自由を手にしたうちらへの負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだよ!


我慢が足りないって??我慢してそれでも病気になったから離婚してんだろうがよ!

誰が我慢してねーなんて言ったよ!
てめーらより我慢してんだよ!ふざけた事言ってるその口切り裂いてやろうか??

何も、私が、勝ち組だなんて思ってない。
負け組みかもしれない。いや、負け組みだろう。。

でも、そのばかばかしい思想しかできないおばはん共よりはずっと色んな事を見てきた。感じてきた。経験してきた。
あいつらが一生かかっても、経験出来ないような事を経験したんだ。

頼むから同じレベルで見ないでくれ!!
亭主のいるてめーらと同じレベルにいないって事分かろうよ!

今現在もこの気持ちは変わらない。

いまだに、母子家庭だと分かったら手のひらかえすようなばかばかしい態度をとる馬鹿親がいるけど、そんなのは一切放置!

面倒くさいので、
はぁ?てめーに分かるかよ!!の一言で済ませている。

もちろん同じ母子組みはお友達だ。
同じ穴のむじな。
同じ痛み、辛さを経験した唯一の仲間なんだ。信用のおける友達なんだ。

それがまた馬鹿な奴らが、傷の舐めあいで情けないだとか、それは友達じゃなくてただお互いの傷なめあってるだけの関係だとかほざく奴がいるんだな~

言った本人は馬鹿だから覚えてないだろうけど私はしっかりと心の中に一つの傷として深くしっかり残っている。
だから、そういう奴らは私は絶対この先も信用する事なんてないだろう。

ただ私の中に深い傷を付けた人間として、残るだけの事。。。








別に愛情に飢えていたわけでも何でもない。
育児と家事と仕事で自由な時間があったわけでもない。

忙しくて、しんどくて、でもそんな毎日に疲れはてていた。
男に注ぐ愛情も、時間も心のゆとりもなかった。

でも、来る物は拒まず、去る物は特に追わない。

切るときは、あっさり消滅させた。

愛情がないので、別れたから辛いとか苦しいとか寂しいとかそういう感情さえ私にはなかった。

離婚してから恋愛で一度も泣いた事がない。
それだけ、私には人を好きになれない理由があったのだ。

恋愛の先には、結婚はない。

いくら好きになっても結婚は出来ない。

だから、好きになっても無駄。
ばかばかしい恋愛なんてもういらない。
私が必要なのは、お金。。。

借金を返さないと。。生活をしないと。。子供を生かせないと。。

その生き方がたとえ悪だったとしても、私には子供を背負って一人で生きていかないといけない!!

逆に、子供の為なら自分の体さえも簡単に売る事さえできる。

離婚を決意した時に、この子を守る為になら体さえ売ってもいい。
それで、一般家庭と同じレベルの生活ができるならそれでもいい。

この時点で、きっと病気になっていたんだろう。。
その時は生きる事に精一杯で体の異変には気付かずにいた。

お金は人を変えるというけれど、それが本当に変えてしまうものだと、本当にお金が人をガラリと変えてしまうんだと実感した。

「金」に心を蝕まれた時、人は悪魔にもなれる。