一応鉄道ブログと銘打っているだけに、久しぶりの更新が鉄道以外の話題で申し訳ございません(汗)
先日、東名高速の東京インターの近くを通りかかった際に、こんなものを見つけて撮影しました。
(R2.2.25撮影)
「公団ゴシック」書体の高速道路入り口標識です(写真向かって左側)。
2010年にヒラギノ角ゴ書体を使用した新標識(写真向かって右側の、「横浜・静岡」と書かれた看板もその一つ)が導入された事に伴い、この独特のフォントを使用した標識の撤去・更新が進んでします。そのような状況下で、このような大型の標識で公団ゴシックを使用している例はかなり久し振りに見かけました。
独特の味のある角ばったフォントで書かれた「東京インター」の文字がなんとも誇らしげです。

せっかくの機会ですので、過去に撮影した公団フォント道路標識をいくつかこの記事で紹介します。
(以下、R1/5/23撮影)
第三京浜の京浜川崎インター附近に設置されているこの標識。
「第」の字が略字になっており、インター名にローマ字のルビが振られていないなど、相当にレトロな印象を醸し出しています。
こちらはやや新しい世代のもの。ルビ・ナンバリング番号・第の字の字体など、先ほどの標識とはかなりの差異があります。
こちらは同インターの入り口標識。この標識のように標識の四隅の角が丸いものは公団ゴシック末期に設置された比較的新しいもの。
一般道の道路標識、所謂「青看」にも公団ゴシック。ちなみに高速道路の緑の看板は道路標識マニアの世界(意味不明)では「緑看」と通称されます。背景の「非常電話」にも御注目。
「この先料金所」。これも京浜川崎インター。

同インターの近くにはこんな標識も。なんと道路公団時代の表記がそのまま。
そして極め付けがこれ。
NEXCOマークと公団表記が混在する奇跡の(?)標識。もう最高です(笑)。

所変わってこれは東名高速横浜青葉インターに設置されている高速ゴシック標識。
(R1.4.13撮影)
余談ですが、公団ゴシック標識の英語ルビにはheleveticaというフォントが使用されているケースが多いです。

(以下、H30/7/29撮影・自家用車助手席より撮影)


これらは九州の東九州道に設置されている公団ゴシック標識。3・4枚目の写真を見れば分かるように、大分の「分」の字が独特の崩し方をされています。このように、公団ゴシックは高速道路上での視認性を高めるべく独特の崩し方がなされている文字が多く、同フォントの魅力(?)となっています。

という訳で、今回のブログ記事は公団ゴシック書体を使用した高速道路標識の紹介でした。先述した通り、近年では撤去更新が進んでおりますので、皆様も街角で見かけたら是非カメラを向けてみてはいかがでしょうか。
...って、鉄道ブログで何語っとんねん(汗)


東武亀戸線亀戸水神駅には、レトロなホーロー看板がいくつか残存しています。
そのホーロー看板を撮影しました。
まずは、駅名の書かれた縦型のモノ。
青地に白文字という、かつての東武では標準的だったモノです。

亀戸水神駅は構内踏切が設けられていますが、こちらはその踏切に設置されているもの。
一番線、二番線とフォントなどが異なります。
最後に、「線路内立入禁止」の表記。
これは本線の駅でもそこそこ見かけるさほど珍しく無いものですが、激しい汚れが時代を感じさせます。

最後にオマケで、亀戸水神駅を発車する8000系の写真を。



この日は8570F(標準色)と8575F(西鉄貝塚線色)による運行でした。
それでは。
曽木駅高千穂駅に引き続き、高千穂鉄道駅跡探訪第三弾です。
こちらは槙峰駅。高千穂鉄道運行休止後は暫く、この駅と高千穂駅との間での運行再開が模索されていました。
駅舎。曽木駅と同じく、現在は公民館として使用されています。
国鉄時代からの駅名標が残ります。
こちらは三セク化後の駅名標。味のある(汗)イラストが特徴的。

この駅はなんとホームが残存しています。廃線から10年以上が経過しているとは思えないほど美しい状態に整備されています。

ホーム上に掲げられた時刻表の接続列車案内には、今は亡き寝台特急「彗星」や快速「さわやかライナー」の表記が残存しています。まるでタイムカプセルの様。
線路は撤去されています。
駅の延岡寄りには立派な橋が。ここを列車が通ることはもうありません。

廃駅とは思えないほど綺麗に整備されていたのが印象的でした。
旧国鉄の高千穂線を受け継ぎ、宮崎県でかつて鉄道路線を運行していた高千穂鉄道。
2005年に豪雨被害を受け、復旧もままならないままに2008年に廃線の憂き目に遭いました。
そんな高千穂鉄道ですが、一部の駅施設や線路に関しては撤去されず残存している他(以前、当ブログでも旧曽木駅舎の現状を紹介いたしました。)、中には観光資源として活用の行われている駅も存在します。
かつて終点であった高千穂駅も、その様な観光地として活用されている駅の一つです。
高千穂駅の面構え。
現役時代そのままに保存されています。
当地では廃線跡を走行するスーパーカートの運行や保存活動を行っている「高千穂あまてらす鉄道」が存在し、この駅舎はその本社を兼ねています。

窓口で100円払うと駅構内を見学出来ます。
駅構内は現役時代ほぼそのままに、美しい状態で保存されています。


車庫の中に入ることが出来ます。TR-100形および200形が保存されています。こちらの車両を利用した運転体験も行っているようです。余談ですがTR-200形のうち1両は四国の阿佐海岸鉄道に譲渡され、今なお現役です。
TR-100形に関しては車内を見学出来ます。筆者は現役時代に乗ったことがありますので懐かしい限り。



タブレット閉塞機や電話機なども展示されています。

こちらが目玉の「グランドスーパーカート」。大人1300円で乗車出来、旧天岩戸駅を通って高千穂橋梁までの区間を往復するようです。今回私は乗車しませんでしたが、外国人観光客などを中心に賑わいを見せていました。
高千穂鉄道が廃止されてから早10年以上が経つ中、高千穂駅は現役当時のような雰囲気を残しています。皆様も機会がありましたら訪れてみてはいかがでしょうか。

先日大阪にて大阪メトロ御堂筋線動物園前駅を利用した際、大阪市営地下鉄時代の表記類が数多く残存している事に感激し、幾つか撮影してしまいました。

駅名標
おなじみの案内表示
これもおなじみの切符売り場表記
これもまたおなじみの案内表示たち
トイレ案内
駅名表示
「コマル」マークも残存。
動物のイラストがご愛嬌の出口案内
壁の路線図

その他にも色々とありましたが、ページの尺の都合により割愛。
大阪メトロでは主要駅(なんばなど)でこそサイン更新が進んでいますが、あまり主要ではない駅のサイン更新には今のところ消極的なようです。
しかし、いつ更新が始まるかは分かりませんので撮影したい方はお早めの撮影をお勧めします。
皆さま、あけましておめでとうございます。
今年もこのブログをよろしくお願いします。

さて、先日北陸地方に旅行に行きましたが、その際にJR七尾線で活躍する455系700番台に乗車しましたので、この時の写真などを交えてこの車両を紹介して行こうと思います。

まずは同車の簡単な説明から。
455系700番台(正確にはクハ455形700番台)は、455系サハ455形全8両の内2両を先頭車化改造したもので、クハ455-701および-702の2両が存在します。
急行形電車車体載せ替え車の413系の制御車としての使用を目的に改造されましたが、古い471系・473系をベースとした他の413系の種車と違って種車の経年が浅かったため車体の載せ替えが行われませんでした。
同車は先述の通り413系編成に組み込まれての運用を前提としており、700番台改造後は一貫して413系の編成にクハとして組み込まれて活躍していました。

金沢地区では2015年ごろまで北陸本線を中心に多くの急行形電車が残存していましたが、北陸新幹線金沢開業に伴ってその殆どが置き換えられました。
しかし700番台は先述の通り413系編成に組み込まれての運用されており、そのため置き換えは行われませんでした。
その後、JR西日本所属の413系は全て七尾線に転属し、その中にはクハ455-701および-702も含まれていました。
こうして、同車は急行形電車最後の生き残りとして、七尾線で走っています。

金沢駅に停車中の同車(クハ455-701)
クハ455-701は413系B04編成の金沢方に組み込まれて活躍しています。クハ455-702はB11編成の同じく金沢方に組み込まれて活躍していますが、今回は残念ながら撮影することが出来ませんでした。

521系との並び(金沢駅)
北陸本線の現在の主役である521系との並びも見られました。

車内の様子
車内は近郊化改造によってデッキが撤去されており、また一部座席がロングシート化されていますがそれ以外は元の急行形電車ほぼそのままの仕様となっています。

急行型の特徴である窓側肘掛
急行型電車ですのでボックスシート窓側の肘掛があります。座席自体も近郊型電車のものと比べて横幅およびシートピッチにゆとりがあり、ゆったりと腰掛けられます。

車番
便所知らせ灯が点灯中。

車内の非常用ハシゴ
471系から貰ってきたらしく、「モハ470-7」なる表記がありました。

金沢発車後の車内
急行型電車独特の風情が溢れます。

七尾線能登部駅を発車
一路、七尾へ。

空気バネを採用した同車は乗り心地が非常に良く、快適な旅が楽しめました。隣の電動車から聴こえて来るモーター音も同じく七尾線で活躍する415系800番台と比べて余裕があり、急行型電車の底力を感じられました。
今や貴重な急行型電車の生き残りである同車、皆様も北陸方面へ旅行の際は一度乗りに行ってみてはいかがでしょうか。
それでは。

久しぶりのブログ更新です。果たして待っている人が居るかどうかは微妙ですが(汗)

11月25日に東急7700系のラストランがありました。東急7700系は日本初のオールステンレスカーである7000系を更新改造したもので、7000系時代から通算して56年に渡って東急線上で活躍していましたが、遂にその歴史にピリオドが打たれる事となりました。私個人、多摩川線や池上線で幼い頃から随分とお世話になった車両ですので、学校帰りに最後の見送りをしてきました。
最後まで残ったのは7901F。7901(7045)-7801(7114)-7701(7064)という編成(カッコ内は7000系時代の車番)で、7901は7000系時代に田園都市線開業記念祝賀列車に使用された車両、7701は7000系ラストナンバーであったものが7700系化に伴ってトップナンバーへ奇跡の(?)改番をした車両と、なかなかネタに富んだ編成構成でした。ラストラン列車は抽選制の貸切列車で乗車は出来ず、私は撮影のみ行いました。
まずは沼部駅でのカット。
方向幕と運番幕が復元され、目蒲線・大井町時代を思わせるスタイルに。大井町線の快速種別板を彷彿とさせる丸型のさよならヘッドマークもNice です。
こちらは後追い。なんとビックリ、7000系時代の太帯塗装が復元されていました!雑誌などでしか見る機会の無かった塗装が目の前に。東急サン、粋な計らい(笑)
こちらは一転して池上線内でのカット。久が原〜御嶽山間で撮影。幕が黒色のものになっており、またヘッドマークが付け替えられていました。列車接近直前まで撮影場所が決まらず、慌てましたがなんとか記録できました。

今回のラストラン、危険撮影で列車が非常停止する騒ぎこそあったものの、近年の定番となってしまった罵声大会や目立った迷惑行為は見受けられず、非常に荒れる傾向にある近年のラストランを考えると比較的平和な見送りであったと個人的には感じます。

おまけとして、ラストラン以前に撮影していた7700系の写真をいくつかどうぞ。

ターミナル駅・蒲田駅に到着した7903F。7903Fは編成中全車が1963年製造で、引退までは7700系内、また東急の車両で最古参編成となっていました。前期車特有の銀色ライトケースが美しいですね。

蒲田駅で並ぶ7903Fと7901F。蒲田駅での7700系同士の並びは2014年くらいまではざらに見られ、2018年度初頭時点でも5編成残存していたためラッシュ時などにはそこまで珍しくない光景でした。夏を過ぎたあたりから一気に退役が進み、今では懐かしの光景に。

(池上線旗の台〜戸越銀座間で撮影)
(池上線久が原駅で撮影)
(多摩川線多摩川駅で撮影)
7905・06Fは特に目立った特徴の無いオーディナリーな編成と云った感じでしたが、それでも細かいところを見てみるとボルトや改造跡、車内の仕様などに細かい差があり、観察が楽しいものでした。




7912Fは貫通扉を黒く塗ったいわゆる「歌舞伎」塗装を東急で最後まで残した車両でした。この塗装の車両は数が少なく、まだまだ7700系が沢山いた頃から「来たらアタリ」の車両でした。写真は養老鉄道への譲渡に向け、恩田駅で出発を待つ運用離脱後の姿。同じ塗装の車両では7914Fが末期まで残っていましたがあまり撮影機会に恵まれず、まともな写真がありませんでしたので割愛します。

7000系時代から通算して50数年間の永きに渡って東急線で活躍した7700系。劣化しないステンレス車体のお陰もあってか一部中間車を除いた全編成が岐阜県の養老鉄道へ譲渡される事になりました。これからも譲渡先での新しい人生(車生?)に期待したいですね。

それでは。
久し振りに写真を整理していたら、ちょっと懐かしい写真が出て来ました。
ホリデー快速富士山189系ラストランの日に撮影した写真。
最終日は国鉄特急色のM51編成が充当されました。
国鉄特急色をまとった車両による営業運転は、この日が最後だったようです。
ホリデー快速富士山は気軽に国鉄特急の雰囲気を味わえる列車として毎週のように乗りに行って行った記憶がいまだ新しい列車。思えば赤富士のヘッドマークも誇らしげに中央線を快走する189系の姿ももう過去の光景なんですね。寂しいものです。
今月17日と24日には臨時あずさに189系長野車が充当されますので、私も乗車して久し振りに中央線の189系を味わいたいと思っております。
それでは。
宮崎県延岡市と高千穂市とを結んでいた国鉄高千穂線。
後にJR九州高千穂線、更に高千穂鉄道高千穂線となりましたが、豪雨被害によって2007年に全線廃線の憂き目に遭いました。
その高千穂鉄道の駅であった曽木駅跡の近くを通る機会がありましたので、折角なら、という事で訪れてみました。
こちらがその曽木駅跡です。
ご覧の通り、駅舎が完全な状態で残っております。
この駅舎は現在公民館として再活用が図られており、その為解体等は免れています。
駅舎を近くから。
国鉄が造ったこぢんまりとした木造駅舎で、地方路線らしいのどかな雰囲気。今でも現役の駅の様です。
入り口から中を覗いたところ。 
「曽木駅」の文字が誇らしげ。路線廃止から10年以上が経っているとは思えません。
地元の方のご厚意で、中もちょっとだけ覗かせていただきました。
「危険品にご注意」なる注意書きが残っています。
便所も残存(汗)
裏側から見たところ。
ホームや線路は跡形も有りませんが、ホームへと繋がる道はそのままです。
今は亡き高千穂線を今に伝える貴重な駅舎、どうかいつまでも残っていて欲しいものです。
JR奈良線といえば、数年前までは103系の楽園として知られた路線でした。
現在では阪和線から転入してきた205系による103系の淘汰が進められており、かつての楽園の面影は薄れつつありますが、それでも4両編成4本の合計16両が若い者には負けられんと最後の活躍を見せています。
その中でも特に面白い経歴を持つのが、NS407編成のクハ103-215・216。関東に新製配置された両車は、もと山手線で活躍していた103系としては最後の現役車であるとともに、転属によって思わぬ命拾いをした103系随一の幸運車でもあります。そんな両車の経歴を、この記事では辿って行く事にします。


クハ103-215・216は昭和48年2月10日に日本車輌で落成し、池袋電車区に新製配置。山手線で運用を開始しました。
両車は山手線では初めて新製時から冷房を搭載した車両で、首都圏の鉄道の冷房化に貢献しました。
しかし製造から一年程度で山手線のATC化が決まり、ATCに対応出来ない両車はATC車であるクハ103-277・278と差し替えられ、関西・高槻電車区に転属するハメに。
しかしこの転属は、結果的に両車を救う事となります。
先頭車を差し替えた後、クハ103-277・278を先頭とする山手線編成は1987年まで山手線で活躍。その後黄色に塗り替えられ、ラシ336編成として総武線で活躍を開始しました。
しかし1988年12月5日午前9時30分、東中野駅に停車中のラシ336編成に201系ミツ6編成が追突。
いわゆる「東中野事故」です。
この事故でラシ336編成はメチャメチャな被害を受け、修復可能だったクハ103-278を除いて全車廃車の憂き目に遭いました。
これによってクハ103-215・216が山手線時代に挟んでいた中間車は全滅し、早々と関東を追い出されたクハ103-215・216が幸運にも(皮肉にも?)生き残る事態になりました。
関西に転属した両車は京阪神緩行線で活躍し、その後阪和線などを経て現在は奈良電車区に所属。奈良線で活躍しています。
関西ではもと山手線の103系がまとまった数活躍していましたが後継車の投入で次々と廃車。平成30年1月時点で活躍していたもと山手線の103系はNS407編成の両車、NS409編成のクハ103-225・226、NS410編成のクハ103-229・230(いずれも奈良線で使用)のみに。そして阪和線からの205系転属でNS409・410編成が廃車となったため、クハ103-215・216の両車は現役最後のもと山手線103系となりました。


元祖「みどりの山手線」である103系。クハ103-215・216は、その元祖「みどりの山手線」最後の生き残りです。登場時と同じウグイス色を纏って活躍する両車を見に、皆様も奈良線を訪れてみてはいかがでしょうか。そしてその時は、両車の辿った波瀾万丈な車歴に思いを馳せてみるのもまた一興かも知れません。
The end.