穴と橋とあれやらこれやら -288ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【4】より続く。

 

 

 

 

サクサク歩いて、

スタート地点へ。

 

 

 

 

 

忘れてはいない。

ちゃんと参拝しないとね。

 

久しく(数ヶ月以上は)人の手が入っていないような感じ。辺鄙なところにあるお宮でもしっかり手入れされているケースも多いだけに、ちょっと寂しかった。

 

 

 

 

倒木が寄っかかった石段を登り、

ささやか~な祠へ。

 

連載最初には村社的な、とか書いたが、とてもそんな規模じゃないな。祭神の名前もなく、鳥居に扁額もなく、当然由緒書や案内看板もない。なんとも寂しいのう…。

 

とりあえずいつものようにわずかな賽銭をお供えし、遊ばせていただいた御礼と無事の帰還をお祈りした。

 

 

 

 

 

 

ここからの見おろしが、

探索のシメとして素敵だった。

 

この後、神様への御礼オプション(笑)として、石段に寄っかかった倒木を撤去して差し上げた。

 

 

 

 

 

 

この階段を上ると、

現世へ復帰するわけだが。

 

ここに違和感を感じる。上の林道はずっと近代になって付けられた道であり、それと無理くり接続するためのこの段差だろう。

 

 

 

 

 

 

改めて見る七宗・大柿林道との取り付きは、

こんな感じ。

 

 

 

 

 

 

逆からだと

こうね。

 

 

 

 

 

これやっぱり、元の道はもっと河岸の下の方にあったはずだ。

 

【1】で書いた、往路で道が一段下っていたところ、

あのレベルでずっとこっちまでつながっていたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、唯一の資料らしき資料、明治44年測図・昭和8年要部修正測図の古地図と、再度地理院地図を並べてみる。いずれも★印が現在地。

まず確認として、いずれにも隧道の存在は表記されていない。

 

古地図の方でも、この地域の幹線である国道41号の前身・白川街道は今と同じく左岸に。そして気になるこの点線道も、すでに描かれている。しかも現在よりも先、上麻生ダムのあたりまでは少なくとも延びている。

ちなみに、高山本線のこの区間(上麻生~白川口)が開通したのは1926(大正15)年3月。そして上麻生ダムが完成したのが同年11月。

 

 

ホントはこれらができる前の古地図を見たいところだが、わたくしの拙い机上調査ではこれが限界だった。ちなみにここ、今昔マップではカバーされてないエリアである。

 

 

 

 

 

さてここからは、この右岸歩道がどういう道だったのか、我が仮説…いや、単なる妄想を開陳。

 

 

改めて書く。相当必死でいろいろ検索してみたけど、同業者に限らずマジでこの道と隧道の情報が皆無だ。なので現時点では仮説と妄想しかないったらない(笑)。

 

 

古地図の方、この時代の地図にすでに描かれているということで、やはりここは(前回書いたとおり)白川街道の旧道…だと思いたい。もちろん、鉄道敷設前から歩かれていた、という意味で。

証拠も何もない、単なる願望(笑)。もしそうだとすれば、あの二本の隧道も明治以前の近世に穿たれたものっていう可能性が出てくる。

 

他に考えついた仮説その壱、鉄道の敷設においての作業道説。

柿ヶ野トンネルの掘削において両側から掘り進めるために、かつトンネルから白川口までの区間も先行して工事を進められるように、極力平坦な河岸沿いに作業道をつけた、と。でもわざわざ二本も隧道を掘って、というのは考えにくいか?

 

仮説その弐、上麻生ダム建設に伴う作業道。

…と書きながら、これはちょっと考えづらいかな~とも。前述のように、上麻生ダムの建設と鉄道敷設工事はほぼ同時期に行われていたので、もしこれがダム建設作業道なら大渋滞必至だろうと(笑)。おそらくこの時期には、すでに対岸(左岸)に白川街道があったと思うので、ダム建設においてもそちらが利用されるだろうと思われる。

 

仮説その参、筏流しに関連した道。

飛騨川においても、山中で伐採した材木を運搬する手段としての筏流し(川狩りと呼ばれる)が盛んに行われていて、ここ七宗にはそれら流れてきた材木の一大集積地である「下麻生綱場」が存在した。

だからってこの隧道の中を材木を流してたなんてことではもちろんなく、川狩りの行われる川沿いには、筏師たちの使う「筏道」と呼ばれる道が存在する…こともあるようで(笑)。だからってこれまた「こうだったら面白いな」と思っただけの話。

 

 

 

ああ、もう限界だ(爆)。

 

 

 

 

 

この道のことは、これまでになく本気で調べてみたいと思ってる。なので、これまで試したことないことをしてみようかと。何らかの成果があれば、改めて補足記事を書くことにする。まあ期待せず(マジで期待してほしくない・笑)お待ちを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで〆るとキレイすぎるので(笑)、蛇足。

 

 

 

探索が終わって車に戻り、意気揚々と長靴を脱いだら…

コイツが食いついてやがりました。小さい写真にしたのはわたくしの良心だと思ってたもれ(笑)。

 

幸い吸われる前だったんで、事なきを得ましたが。昔は全然山ビルにやられなかったのに、ある時期からやられまくり…。

 

 

 

 

 

ひとまず、完結。

 

 

【3】より続く。

 

 

 

山側に忽然と現れた、何か。

コンクリート製のそれはしかし、ちっともわたくしを驚かせなかった。ああ、こうなってんのか、と。

 

 

 

 

 

行く手が開け、

見えてきたのは…JR高山本線(まだ見えてないけど・笑)

 

 

 

 

 

そう、アイツはもちろん、

高山本線のトンネル…に付属したロックシェッドである。

 

 

 

 

 

こんな感じの

鉄道設備を通り過ぎて…

 

 

 

 

 

 

ここだ。

ここが、現代におけるこの道の果て。右手の木製床版橋の先にはもしかして巡視路の続き的キャットウォークがあるのかもしれないが、薮に沈んでいる。

 

なんにせよ、ここより先はやはり線路際しか歩ける余地はなさそう。よってここがデッド・エンド。

 

いきなり核心に触れるが、もしもこの道が対岸をゆく国道の前身である白川街道…のさらに旧道であったとしたなら、このまま右岸をゆく道があったのだと思う。もちろん、この区間に線路が敷設された大正15年よりも前の話だ。もしも、の話ね。

 

まあこのへんのことは、次回最終回にまとめて書く(すべて推測・妄想だが)。

 

 

余談ながら、対岸遠くに見える禿げたような絶壁…もしかしてあそこが、バス転落事故の現場じゃないだろうか。天心白菊の塔の300mほど上流だと、ちょうどあそこな気がする。

 

 

 

 

 

このデッド・エンドからの振り返り、

正確には、そこの設備群の裏手あたりが道の終点かな。やっぱこの道の現在の役割は、JRの保線用巡視路で間違いないだろう。

 

 

 

 

 

これを撮ってる時、

背後遠くから列車がやってくる音がした。

 

ささっとこの「柿ヶ野落R1」の背後に隠れたのだが、全然視線を遮れない(笑)。慌てて川側の薮に駆け込んで隠れ、「ワイドビューひだ」をやりすごした。線路内には一切立ち入ってないが、無用なトラブルは招きたくないのだ(笑)。

 

 

 

 

 

さて、もちろん

こちらもチェックしますぞ。

 

 

 

 

 

 

お名前は、

柿ヶ野トンネル。延長は583.40m。

 

 

 

 

 

 

実は、この探索の直前に

柿ヶ野トンネルの反対側(上麻生側)坑口も訪ねていた。

 

 

 

コンクリブロック製かな?

それなりにいい雰囲気のポータルだ。

 

余談終わり。

 

 

 

 

 

で、ロックシェッド奥のポータル脇に…

なんか立ってるね?

 

 

 

 

 

当然見に行ったら、

「みだりに立ち入らないように」とクギを刺された鉄道防備林の標柱だった。

 

こういう山の中にも鉄道防備林ってあるのか~。わたくしのイメージだと、海浜沿いにあるような…あれは防砂林か。勉強不足につき、レアなのかありふれてるのかはわからない。

 

 

 

 

 

これで…全部かな。

楽しかった。ホント楽しかった。

 

 

 

充実感バリバリで撤収~。

 

 

 

 

 

戻りに、2本の隧道の動画を撮りましたのでどうぞ。

 

 

意味不明な動きをしてるところは、蜘蛛の巣に引っ掛かったか、ギリギリでかわしたか、そんな感じと思っていただければ(笑)。

 

 

 

 

 

やっぱ最高なのは、

「二号隧道」の白川側かな~。めっちゃ良くないですかこれ。

 

 

 

「一号隧道」の白川側も

ええやないの~。

 

 

 

 

 

で~、戻ってまいりましたが、

忘れずに参拝しますぞ。

 

 

 

【5】に続く。

 

【2】より続く。

 

 

 

隧道を後に、


進軍再開。

 

素晴らしいオプションにテンションだだ上がり(笑)。

 

 

 

 

 

隧道から先も、

多少の落石は見られつつ、歩くには全然支障なし。現役感は変わらない。

 

最初の写真のようにちょいちょい現われる絶壁も、十分な幅員が確保されている。車道ではないだろうが…荷馬車道?

 

 

 

 

 

道の雰囲気も素晴らしいし、気分は最高!


この上何を望むというんだねキミぃ…って、アレは

 

 

 

 

 

ちょ、マジすか~。

サービス良すぎじゃないのかねキミぃ~(爆)。

 

 

 

 

 

二匹目のドジョウは、いた。

まさかの二本目の隧道、登場。

 

この展開、もうテンションがオーバーフロー気味。こんな素敵な道、なんで誰も気づいてないんだ?わたくしが(業界的に)発見したことにしていいのか?(笑)

 

 

 

 

 

今度の隧道も

硬そうですな~。

 

 

 

 

 

そういえば、この道が面する飛水峡は、

チャートと砂岩でできているという。

 

チャートとは、放散虫という原生生物が(千年で数ミリといわれるほどにゆっくりと)海底に堆積してできた岩石で、水晶と同じ成分を持つ、極めて硬い岩石だという。飛水峡の直上にあるこの隧道が穿たれた岩盤も同じくチャートである可能性は高く、この見るからに硬そうなテイストにも納得。

 

もちろん事後に調べてわかったことだが。

 

 

 

 

 

 

振り返りの、

鉄板の構図。

 

 

 

 

 

そして、

向き直っての二連発。

 

 

 

 

 

この坑口手前なんかも、

硬そう~。

 

でもこの隧道も先の隧道も、発破痕(火薬を詰めた穴)が見当たらないんだな~。見落としたんだろうか?でも手掘りは無理っぽいが…。

 

 

 

 

 

何はともあれ、いやいやいや…

最高ですやん!

 

最高ですやん、この道~。超絶穴場ですやん、穴だけに。

 

二本目が出たからには、これを「大柿二号隧道」と、先のものを「一号隧道」と仮称することとする。

 

 

 

 

 

 

さあ、

おそらく道は最終パートに入った。

 

 

 

 

 

ここまでで最も高い

絶壁あり~の、

 

 

 

 

 

ここまでで最もひどい(といってもカワイイもんだが)、

土砂崩れパートあり~ので。

 

 

 

 

 

ここで対岸に、現在位置がはっきりとわかるものを視認。

あの国道沿いに見えるモニュメントは、「天心白菊の塔」。昭和43年8月に発生した「飛騨川バス転落事故」の犠牲者たちの慰霊のために建てられたものだ。

 

ちなみに実際の事故現場は300mほど上流だったという。事故に関して詳しくは述べないので、気になる方は各自…。

 

 

 

 

で、天心白菊の塔が対岸に見える位置ってことは、やはり…。

 

 

 

そこからはすぐだった。

左手、山側の断崖が途切れて…

 

 

 

 

 

そこに

「何か」が現われた。

 

 

 

【4】に続く。

 

 

 

【1】より続く。

 

 

 

え?え?とか呟きながら

半信半疑で接近し…間違いなし!

 

 

 

 

 

まさかの

隧★道★登★場(久々)

 

たまにこういうのがあるからたまらんのよね~、マジで。事前情報ナッシンでの(自分的に)未知の隧道発見とか、謹慎明けのわたくしには最高のご褒美だ。しかも2日目の午後になって。たまりませぬ。

 

わたくしの見立て通りJRなりなんなりの巡視路だとすれば、仕事でここを通る人たちはもちろんこの隧道を目にしているわけだが、前回書いたとおりこの道とこの隧道についてはネット上で一切情報が得られていない。

もちろんわたくしが調べきれていないだけという可能性も大だが、十二屋さん、うさ★ネコサンドさんといったこのエリアのスペシャリストの先輩方でもここは掲載されていないようだ。これはテンション上がる~!

 

 

 

 

 

ちなみに上の写真を撮ってる足元には、

こんな金具(電柱に巻くようなやつか?)が落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

さて隧道、土被りはこの程度だが、

さりとて、切り通すにはいささかキツイ感じ。

 

隧道の存在には必然性を感じる。ちなみに、川側に旧道の痕跡はなかった。

 

 

 

 

 

 

坑口から真上を見上げてみた。

うわ、思いのほか怖っ。直上の生々しい土が怖っ。

 

 

 

 

 

 

 

さて、では…

おじゃましまっす~(島田一の介ふう)

 

 

 

 

 

 

 

まず目を引くのは、

この、のどちんこみたいな出っ張り。この残り方、よっぽど硬かったんだろうか。

 

ところで、のどちん●こって伏せ字にはしないのね(笑)。線引きはどこにあるんだろう。「よっぽど硬かった」って、なんか話が変わってくるんやけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

振り返り~の、

鉄板の構図。素掘りは表情豊かでよろしいな~。

 

 

 

 

 

 

 

洞内もまた、

 

 

表情豊か。

 

 

 

 

 

 

 

 

これって、

やっぱり発破…かなあ。すっごく硬そうな岩盤だけに。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、こっちも当然

鉄板の構図を。

 

やたら垂直な山側が気になる。ここにうまいこと岩盤の境目があったんだろうか。そこを見極めて掘ったとか。

 

 

 

 

 

 

振り返り。

延長は…15mくらい?

 

 

 

 

 

 

 

 

引きで。

とりあえずこの名称不明隧道、「大柿隧道」と仮称しておこう。

 

しかしこいつは、いつ頃に掘られたんだろうか。

 

それを知るには、この道がどういう道なのかを知るべし、ってことなのか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ともあれ、

道はまだ続く。

 

 

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

 

 

2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目午後。

 

 

今回の隠れメインターゲット探索に臨むべく、

ノートさんを停めた。場所はここ

 

身支度を整え、徒歩で正面の道(「七宗・大柿林道」という標柱が立っていた)へと進んでいく。なんで車で進入しないのか?それはほぼ間違いなく車じゃ無理だと思っていたから(正解だった)。

 

 

 

 

 

建物はそれなりにあるのだが、

この集落(大柿集落か?)、今では無住なんだそうだ。

 

一枚目の写真で手前に写っているプレハブ小屋みたいなのは、この地区のゴミステーションのなれの果て。そこに貼られていた「ごみ袋が変わります」というお知らせ掲示は平成19年初頭のものだった。人がいなくなってある程度経つようだ…。

 

 

 

 

 

さて、この林道は集落はずれから大きなつづら折りとなるが、

その「第一コーナー」外側に、我が目指す「道」がある。

 

 

 

 

 

 

先のゼンリン地図を見ても、そこには何の道も描かれていない。

 

しかしながら地理院地図を見てみると…

飛騨川右岸をなぞって、高山本線のトンネル坑口付近で消えている点線道が描かれているのである(現在位置は★の場所)。

 

以前から、この道が妙に気になっていた。なので今回、ここは絶対に現調すべき場所としてメインターゲットに位置付けていたのだった。

 

 

ではあるものの、探索に先立っては何も調べずに来た。で、探索を終えてから遅ればせながらこの道のことを調べてみて、今のところ何の成果も上がっていない。つまりネット上では何の情報も先人のレポートもない(見つけられていない)。かと言って、誰も知らないような廃道では絶対にないのに…。

 

 

この道がどういう道なのか、自分なりに2~3の仮説は浮かんでいるが、まずは「道そのもの」についてお伝えし、連載の最後に拙い仮説を披露しようと思う。

 


 


 

 

さて、問題の道の入口がこれなのだが…

ヤバいなこれ。

 

これは明らかに、こう…「醸す」ものがある。そして、車道だった感じはまるでない。あそこに見えてる建屋はなんだ?

 

 

 

 

 

 

…って、さんざん地理院地図を見てたから実はわかってた。

それは神社。

 

場所的に集落の村社的な神社だったんじゃないかと想像するのだが、無住状態を反映するように寂しく荒れていた。

 

この道は行き止まりのはずなので、同じ道を戻るピストン探索。無事に戻ったあかつきに、ここに参拝しよう。そう決めて、まずはスルーした。

 

この機会に書いとくと、ほんとはこの道の果てからさらに無理やり進んでいけば上麻生ダムがあり、さらにその上流にはダム管理用の吊り橋が国道から架かっているので、それが使えればとても楽しい周回が可能になるのだが、吊り橋が解放されているわけもなく、さらに高山本線の線路端を歩くことになればいずれにしろ通報されかねない。よってピストン以外には頭になかった。

 

 

 

 

 

 

さあ、念願の道にいよいよ進入だ。

 

一見して、

廃道でないことはわかった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、

決して新しい道ではないことも。この雰囲気、けっこうな古道のそれだ。

 

 

 

 

 

 

 

第一印象のとおり、

決して車道ではなかっただろう。古い時代の歩道…?

 

来歴はともかく、現在のこの道の使われ方にはなんとなく見当がついていたのだが、それはもうちょい後で。

 

 

 

 

 

 

5分ほど進んだところで、道は

唐突に河岸を一段下がったところに移動した。

 

これは振り返っての撮影。じゃっかんつづら折れ気味だった気がするがよく覚えてない。

 

ゼンリン地図をよく見ると、一枚目写真の車を停めたあたりから河岸に沿う細道が描かれているので、もしかすると本来の道筋は上の写真撮影位置から直進方向にあったのかもしれない。このあたりの道筋はちょっと変遷を経ている印象を受けた。

 

 

 

 

 

一段降りたそこは、

飛騨川を見下ろす断崖の上。

 

このあたりは飛水峡と呼ばれる名勝だが、眺望はまったくもって良くない。このことは、少なくともこの道が遊歩道的なものではないことを裏付けている…ように思う。

 

 

 

 

 

 

 

そして現われた、この場所。

簡易ながら現代的な柵(よく見るタイプ)が立てられている。

 

 

 

 

 

確かにここは、

「もし落ちたらヤバい場所」そのものであり、しっかりと管理された道であることは明らかだ。

 

 

 


 

やはり確実にメンテナンスされているこの道。

人の気配は濃厚であり、

 

 

 

 

 

 

 

頻繁に

人が入っていることが感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

神社から歩くこと10分。

2本の大きな電柱が現われた。

 

不覚なことに電柱に何らかの情報を探すことを忘れたが、おそらくはJR関係の電線ではないかと思う。

ひとつにはここの点検のための、そしておそらくはこの道の終端で出会う高山本線の点検・保線のための巡視路。それがこの道の現在の使途ではないか。そう思った。

 

 

 

 

 

この電柱を境に、少しだけ荒れた様相を見せはじめた道。

とはいえ、歩くには全然問題ない。

 

そろそろ半分は進んできたはずだ。ここまでのところ、期待通り楽しめている。そもそも何を期待していたのかよくわからんけど(笑)、どんな道か知りたい、そしてきっと古い道であろうから、その雰囲気を楽しみたいということくらい。

 

 

 

あとは、なにか楽しいオプションがあれば最高なんだが。

 

 

 

 

 

例えば橋とか、あとはまさかのアレとかね…。

 

まあ、そうそうウマイ話が…

…え?

 

 

 

【2】に続く。