【16】より続く。
5号隧道からは、ほんの2~3分。
最奥の6号隧道に、遂に到達した。時刻は16時11分。
大塔川遡上の旅、その起点とも言うべきかつての林鉄起点である広瀬土場を発ったのが、8時25分だった。もちろんこの間、およそ5時間かけた黒蔵谷へなちょこアタックを挟んでいるのだが、それでも遡上(と撮影)だけで2時間50分近くかかったわけだ。
それはもちろん、パンクを恐れて超慎重に進んできたという事情があるんだけど、ともあれ「ようやく!」感は大変強かった。やっと着いた~!
まず往路は無事。が、同じ道のりをまた延々と戻っていくわけだから、復路も緊張を解くことはできない。
まあとりあえずは、ようやくたどり着いた最終ターゲットを愛でよう。
まずはこの断崖っぷりにうっとりしながら、
のぞいた洞内は
当然、完全素掘り。
山深いので、明るさはすでに夕暮れレベル。いや、焦らせないで~。
最奥の、鉄板の構図。
いや~沁みる~。
そして振り返りの、最奥の坑口。
いや~、思えば遠くへ来たもんだ~。
現在地はこのへん。当日はよくわかってなかったが、広瀬土場で通行止めが予告されていた弘法杉林道の分岐まで残すところ約1kmほどのところ。なんとか6本の隧道すべてを押さえることができた。
隧道手前に置きっぱにしていたノートさん。
ハイビームね。このへん、ひときわ薄暗かった気がするな~。
この後ノートさんを動かしてさらにちょっと進み、転回してきた。この「真の最奥到達点」の写真はなし。
最奥記念?この日初めて隧道に入れての記念撮影!よく頑張った。
最後に、奥地方向を一瞥。
消耗したけど楽しかった!
さあ復路。
気を引き締めて戻ろう。時刻は16時18分(ナビの表示との違いは気にしないで)。
もちろん油断することなく、慎重に慎重に戻っていったのだが、ここで、もはやだれ一人覚えてないであろう伏線を回収しよう。時刻は17時8分。
【3】の末尾で書いた、つゞら谷橋たもとでわたくしを抜いていった1台の車。それが、
突如前方に現れた。
わたくしに先行して奥地方向へと向かったはずだが、あの後一度も(というか、いかなる他者とも)出会うことはなかった。それが往路で前に現れたってことは、黒蔵谷へなちょこアタックで車を離れている間に奥地方向から戻ってきていたのに違いない。
まあそれはともかく、けっこうなスロー走行をしていて、1人はそれに伴走するように道を歩いてる。これに追いついた時は、正直「チッ」って思っちゃった。なにをトロトロやっとんねん、こっちは早く人里に帰り着いてホッとひと息入れたいねん、って。
と、伴走していた人がこっちへ向かってきた。おっと…なによ?なんなのよ?と突然ビビり始めるわたくし。しかし、彼の言葉に思わず背筋が凍ったね。
「すいません、
パンクしてしもて~」
あわわわわ…
わたくしがずっと恐れて、精一杯避け続けてきたパンク。やっぱり~。そうなのよ、この道やっぱりヤバかったのよ~。写真ではチョロく見えるんだろうが…。
お気の毒だが向こうは2人おられることだし、わたくしにできることもなさそう。それに、幸いにもすでにだいぶ下ってきており、静川の集落までさほど距離もない。路肩に寄せてくださったので、とりあえず追い抜かせてもらった。どうぞご無事で…。
わたくしがああなっていた可能性も十二分にある。あー怖かった…。
17時13分、無事に旧・静川小学校手前まで戻ってきた(ここ)。
さすがにどこにも立ち寄らなければ、慎重に走っても小一時間。日の長い季節であることも幸いして、全然明るい内にここまで戻ってこれた。パンクに関してはもう安心だろう。広い路肩に停めて、大きくひと息、ふぅ~~っと。
楽しけれども神経摩滅…な大塔川遡上の旅は、何とか無事に終えることができた。
最後に、ご紹介したい記事がある。五位堂さんのサイト「Frost Moon Project」より、「大塔森林鉄道のインクライン跡と大塔支線」。
直接本連載に関係する部分はそれほどないけど、基本情報含めてこの連載で大いに参考にさせていただいた。そうそう、内容はこちらのほうがよほど濃い(笑)。もちろん黒蔵谷の驚くべく情報のことも。感謝。
朝からこの時間まで、大塔川に沿った林道を遡って、多くの橋と隧道を愛でることができた。とにかく楽しかったが、パンクへの恐れからずーっと気は張っていた…が、それでも楽しかった(笑)。
記事にするにあたり、この道程をうまく形容できずに悩んだ結果、こんな変なタイトルになった。ダラダラと長い連載だったがなんとか年内にやり終えることができて良かった。
以上、完結。











