【前篇】より続く。
隧道を抜けてすぐ、両側に倉庫っぽい建屋。
ここには誰もおられなかった。そして…民家へ一直線に伸びた道。ハードル高ぁ。
振り返って、
謎の隧道、デリケートゾーン側(笑)。
こちらは植生もあいまって、ほぼアーチ環しか見えてないような状況だが、
これは扁額か!?
たぶんそう。しかしながら、いくら拡大しても、そもそも文字が刻まれているのかさえも判別不能だった。
さて…。道の先の民家、改めて様子をうかがうものの、人影は見当たらなかった。そうタイミングよくはいかんか。残念!
時刻はまだ朝の7時前。道がどこかへ抜けている可能性はあったものの、さすがにこれ以上の進入は憚られた。撤収。
撤収点から望んだ隧道。
入口と印象がぜんぜん違うが、これまたイイ。
本来そこまで狭小ではないんだが、
いろいろな資材が置かれているため、普通車ギリくらいの幅員となっているな~。
戻ってきた先は、
車が行き交う二車線道路。ギャップが凄い。いや、素晴らしくも謎多き隧道、堪能した…いや、させていただいた。
帰ってから、改めてこの隧道について調べてみたところ、なんとほぼすべての疑問への答えを網羅した記事を発見した!しかもアメブロで。ありがたや!
「kaクンの道路探検隊ブログ」様よりリブログさせていただく。ぜひご覧いただきたい。
こちらの記事情報による重大情報を箇条書き(青字はわたくしの感想)にすると、
・個人所有の、私道の隧道 →やはりな。
・建造は昭和11年~13年にかけて →やはり昭和初期か。
・所有者自らが設計・掘削・施工 →えええ!凄っ。
・幅員3m、高さ4m →うん、そんなもんですな。
・隧道の上は畑(畑を潰さないように切り通さず隧道とした) →うん、知ってる。
・扁額の文字は「さぎをとん祢る」→「さぎを」だったか~。
・「さぎをトンネル」は「作業トンネル」のこと(雨の日は隧道内で作業をするため) →ええええええ!
ここまでだけで、知りたいと思っていた以上の情報量にビビったが、さらに意匠について。
・正面(ポータル)には「正門」と書かれている →「門」が隠れてたのかーー!!
・扁額のところにあるのは「キキョウor梅」の家紋と平和のハト →ふつうにハトって言っちゃってるよ…
そう、ポータル向かって左上、植生に隠されてしまってるが、実はあそこに「門」の文字があったのだった。リブログさせていただいた記事の中には、植生のないスッキリした姿の写真が掲載されている。
しかし、しかしだ。何よりも驚いた情報があった。隧道内に書かれていたという「詩」の数々のこと。
えええ??そんなのあったの全然気づかんかったんだけど!?
こうして写真を見返しても…って、んんん??
これかーー!!
まあこれは我が両のマナコが節穴だったと言わざるを得ない…けど!ふつうそんなん書いてると思いませんやん…。いや、この見落としは痛恨だった~。
それにしても、「正門」に家紋、そして自作の詩の書きつけと、まさにプライベート隧道の面目躍如。しかもそれを所有者自ら設計・掘削・施工したとか凄い。いやそれ以上に、技術が凄い。家紋やハトなんかも自作されたのか?素人仕事には見えなかったが。
ほぼ間違いなく、隧道の先のあのお宅が所有者なのだろう。いや~、お話伺いたかったなあ。掘ったご本人、ご存命だったらなお素晴らしいな。
話を当日に戻す。
隧道上に上がってみた。
これを残すために隧道掘削が選択されたというその畑は、今も現役で耕作されているようだ。もちろん当日はそうした情報は知る由もなかったわけだが。
現在地は、隧道前からスロープを上がってきたところだが、
擬木できれいに整備された細道が見えた。
さすがにここは私有地感マシマシ、これ以上は進まなかったが、もしかしてこれが隧道掘削前の道の名残りなのかもしれないな~とか思ったり。
隧道掘削時、
この道はまだなかったはず。
今は道に面してぽっかり、って感じだが、
かつては、隧道からさらに続く道もあったのかもしれない。
改めて、素晴らしい物件を教えてくださったハルニチさんに感謝。ありがとうございました!













