2010年5月3日、初めての煉瓦祭り。この日のネタで記事にしてるのは、朝練の際の円興寺トンネル、室池橋梁、甲五の町橋梁。今宵ご紹介するのは、これらよりも後に訪ねた物件。
いきなり、ドン。
いや、ドーン!!
単径間の煉瓦橋梁としては、かなりのデカ穴だ。現在地はここ。
そして、そのお名前が、
黒血川橋梁。
実におどろおどろしいこの河川名、
由来を示す看板が、付近の旧中山道に設置されていた。
内容は各自ご覧いただきたいが、天下分け目の戦いで名高いこの関ケ原の地にあって、それより900年以上も遡った壬申の乱が由来ということで…筋金入りの血生臭さですな。
ちなみに、町名の関ケ原は「ケ」、駅名の関ヶ原は「ヶ」で、大小使い分けないといけないのはご存じだっただろうか。この機会に覚えておくといいぞ(何を偉そうに
まあそんなことは関係なく、
この大口径煉瓦アーチで道路を通すスケール感は、この一帯では随一だ。
そうそう、橋梁なのに、肝心の黒血川はどこいった?って話だが、ここでは暗渠化されて道路の下を流れている。路面左右のコンクリ構造物は、暗渠がらみのものだと思われる。
抜けて振り返り。
入ってきた方もそうだったが、胸壁を支えるゴツイ支柱が目立つ。支えなしだと倒壊する恐れありと見なされての改修だったんだろうか。
この点でも個性を放っている。黒血川橋梁でありました。
以下余談。
そういえば9年前に記事にした、ここからほど近い黒血川デスロード(勝手に呼んでただけ)。
その後間もなく広域農道として開通し、今や未成道ではなくなってる。いや、単に「黒血川デスロード」ってキャッチーなフレーズを書きたくなっただけなんだ、ごめんなさい。
でも現在この広域農道についてる愛称が、「戦国ロード」って、当たらずとも遠からずやったな~と。個人的には、我が命名のほうがイカしてたよな、と信じてる。
以上。





