2023年11月23日、「中国地方TSHO周遊」の初日。この日のネタで記事にしているのは朝イチの大倉隧道、土器セン橋、東切川橋、島村橋。
今宵ご紹介するのは、時系列では土器セン橋と東切川橋の間の、これまた朝方に訪ねた物件。
ためずに、ドン。
低い白塗り欄干がキマってる橋。
サイドアングルではこんな感じ。
あー…意外と面白くないわね。
左の親柱。
ぬあああ、橋名が刻まれてるっぽいが、まるで読めん。
右の親柱も…
「昭」らしき文字は読めるが、お誕生日やはり判読できず!
まあ実際のところ、ここは事前にQ地図様で当たってた物件なので、そのあたりはOK。お名前は弘鶴(こうかく)橋、1936(昭和11)年完成とのこと。
橋上から望む、上流側。
さすがに欄干が低すぎたのか、金属柵?が付加されている。それでもそう高いとはいえない。
こちら下流側。
川の名前は、伯太川。
渡りきって振り返り。
白塗り効果か、軽やかな印象ある。
右側の親柱。
これも判読困難だが、お名前がわかっておれば「橋鶴弘」と読める…気がする。
で、こちら右側親柱の傍らから、
こんな、ちょっと珍しい分岐の仕方で道が延びている。橋のたもとでこういう道の付き方、そう見ないと思うが、どう?
その道からのサイドアングル。
最初のほうで意外と面白くないと書いたのは、橋脚のせい。これが歴史を感じるものだったら、けっこう印象変わると思うけどな~。
さて…前回記事を覚えておられるだろうか。今回はその続きとか言ってたくせに、ここまで一切触れてこないのはどういうことだねキミぃ~。
まあ誰も待ってなかったとは思うが、
回収しておこう。はい、この黄色矢印。
まるで墓石みたいだが、
これこそが前回ご紹介した母里村道路元標である。
道路元標というと、その村で一番メインな辻付近に建てられているイメージなんだが。こういう位置にあるのは初めて見た。なんで?
わたくしの推測では、
元々は、橋西側の辻に面した家屋前にあったのではないかなと。
現在見えているのは、本来はひとつ奥のお宅。辻に面した家屋が取り壊されて更地になり元標が取り残されることになり、結果、橋の袂へ移された、のかも。知らんけど。
改めて見て、
堂々たる橋だ。
村のシンボル的橋だったと想像するのはたやすい。だからこそ元標も「預け」られた?
この後、ここ伯太川沿いにいくつかステキ橋を訪ねた。それらはまた別の機会に。
以上。
思いっきり余談だけどこの記事、1年以上書きかけで放置してた。これのかわりに東切川橋をアップしたんだったな。なんかスッキリした。












