2023年6月24日、「大阪府南部の橋つまみ食い~ちょこっとそれ以外もあるよツアー」にて訪ねた「それ以外」をご紹介。これ、この日のメインターゲットのひとつだった。当日のネタで他に記事にしているのは、ここより前に訪ねた金剛橋と籾山橋。
それにしても今回の記事タイトル…。七つ池隧道?そんなん聞いたことないぞ?という方が大多数だと思う。無理もない。その理由は後ほどわかる。
今回の物件は、思うところあって場所は伏せさせていただく。まあその気になって調べればわかるだろうけど(わたくしも自力で調べた)、調べてまでも行きたい方向け…っていうか、誰にもおススメはしないかな。まあ見て判断いただければよろしいが、完全自己責任にてお願いしたく。
そんなわけで、和泉市某所。
ここを右へと分け入っていく。
そこは、池沿いの道。
車でも入って来れた感があるが、まあいい。
ほどなく、車道の終わり。
展開できるスペースはあったから、ここまで来てもよかったかな。
右奥方向にのびていく道。上の写真で道が見えなくなるその手前あたりで
左を向くと、こう。…あれか。
少し接近すると…
見 え た 。あれが目指す七つ池隧道に違いない。
この物件をどこでどうやって知ったのだったか、もはや記憶にないのだが、わたくしが事前に持っていた情報を先に披露しておこう。引用元を明示しないのは心苦しいが、和泉市K町町会様のサイトからの情報である。
”宝永10年(1710年)に発生した火事によってこの隧道(トンネル)がつくられたとされます。当時、水不足に悩まされていた地域の皆さんは、T立池からO池までつづく隧道の建設を決定し、ツルハシやノミを使った手掘りの堀突貫工事が行われました。隧道の壁には今もその掘り跡を見ることができます。”(イニシャル化は筆者による)
そう、この物件はなんと江戸期の素掘り隧道。建造のきっかけは火事だったとの言い伝えだが、農業用の水路隧道がその正体である。大多数の方がおそらく聞いたことなかろうというのはこれが理由なのだった。そんなものが大阪に!?ってところだろう。
というわけで訪問時、なんと完成から313年!これが見たかった。そしてあわよくば、潜りたかった。
だが、同じ引用元の別項において、さらなる情報も目にしていた。それは…
”宝永10年に造られた延長500mにも及ぶ七つ池隧道(農業用素堀トンネル)は、今でも使用されており、その内部には作業用に使われたノミの跡が無数に残されていて、当時の苦労と農業を営む先代の『水』への思いが忍ばれます。”
これは正直ハードル高いよね~、と思いながらここへ来た。で、現地で状態を確認し…「今でも使用」されているようには見えなかったんだな。少なくともこの日この時には。水も流れていないし(これが大きかった)、これなら様子見しつつのチャレンジはできると判断した。
そうとわかれば、直ちに行動。
上の引き写真ではサイズ感がわかりにくいが、
接近したらもっとわからんな。
かなり窮屈そうなサイズに見えるかもしれないが
実際入洞してみれば、この感じ。
身長173cmのわたくしが普通に立って撮ったものだ。農業用の水路隧道としては規格外にデカい穴であることが伝わるだろうか。
だが…奥に向かっては急速に窄まっているのがわかる。果たしてどんなサイズか。
振り返っての、鉄板の構図(最近多いな)。
このデカさよ!
さて、どうなるこの先?
【2】に続く。