年始の干支ネタ第二弾。期せずしていずれも我がホーム・滋賀の物件となりました~。2014年4月27日、よととさんと宮川さんの師匠2名とともに巡った「煉瓦祭りシバキ残し総ざらえ」にて訪ねた物件、その名も「龍ケ池揚水機場」であります。
ちなみにこの日のネタで記事にしているのは、えつた川橋梁と錦川橋梁。
まずはこれ。現在地はこちら。
非常に流麗な筆致で、「龍ヶ池」と刻まれている。これは知ってないと読めないレベル。
この龍ヶ池揚水機場は、わが国で初めての、蒸気ポンプを使った地下水汲み上げ施設(のひとつ)である。1909(明治42)年夏に記録的な干ばつに見舞われたのを機に、地主有志は2つの池を掘り、蒸気ポンプ)によって地下水を揚水する計画を立案。それがここ龍ケ池と、ここから北へ800mほどのところにある砂ケ池であり、これら二つの揚水機場が1913(大正2)年に竣工したもの。それぞれが現在も現役で稼働しており、2014年(奇しくも我々が訪ねた年)、土木学会の選奨土木遺産に選定されている。
まあ今回は干支ネタなので砂ケ池揚水機場は割愛するが、同じ日に訪ねている。こちらはいつかの機会に。
ちなみにこれら二つの揚水機場、新幹線の車窓からも見ることができる(龍ヶ池はちょい遠いが)。座席は三人掛けの窓側、Aをお選びください(笑)。
接近すると、まず目を引くのは、
この煉瓦塔。
隣接する建屋が蒸気ポンプ室だったと思われるので、排気(換気?)塔なのかと思われる。これ、実によくな~い?
で、なんといってもこの、
モルタル?で象られた「タツガイケ」の文字が素晴らしいのだ。
頭頂部には、
デンティル(櫛歯)装飾。このあたりのみ焼過煉瓦が使われている。
また基壇部近くには、
ひっそりと隠れるように、煉瓦アーチ。この下を揚水された水が通っている…のだったかどうか忘れた(笑)。
その水はこのように、
塔のそばから地上の水路へ。
訪ねたのが4月下旬だけあって、
豪快に水が出ておりました。
これ…どっちかっつうと夏向きの画ヅラかもですな。
水が出てない季節に来るよりは、断然こっちが良かったはず。ラッキー!
で、肝心の揚水施設だが、
「池」という言葉から想起する概念とはかけ離れていた。こんなんなってんのかいな!
深く深く掘り下げられた「池」から鉄管が上がってきて、建屋の下部に接続されている。やはりあれがポンプ室に違いない。
建屋には扁額が掲げられていて、
そこにも達筆で「龍ケ池」と。
左端に書かれてるのは揮毫者か?「北冥顕」とあるようだが、調べてもなんだかよくわからなかった。
建屋に正対。
おっと、下まで降りて行けそう。行ってみよう。
つうか、現在は知らんけど、
この当時、立入禁止的な表示は全然なかったように…思うけど…(笑)。
仮に今も立入フリーだったとして、
現役施設だけに節度ある態度で訪問するのは当たり前のこと。まあ同業者には釈迦に説法だけども。
階段を降りると…
おおおう。これ…なんか凄い…。
頭の悪そうなコメントしか出てこないが、
こんなとこまで見せてもらえるの?っていう驚きが強かったな。
さらに最下部まで降りられる階段もあったが、さすがにこれ以上の接近・降下は憚られたので、
ここで撤収。
おまけ…というと失礼だが、
揚水機場の敷地内に、「雨井神社」なる小社が鎮座していた。
詳細は不明だが、新幹線と近江鉄道を挟んだ西側、みんな大好き豊郷小学校旧校舎にほど近い八幡神社の境内社という扱いのようだ。その名前からして、揚水機場整備の際に恒久的な水の供給を願って勧請したものなのかもしれない。知らんけど。
最後に、ちょっと引きで北側より。
こっから見ると。あんな深い「池」は想像できないな。
改めて最新のストビューで現場を見たが、ほぼ10年前のこの写真と変わってないようだ。またいい季節に再訪してみたくなった。
干支ネタはこれにて終了。通常進行に移行いたします。