【3】より続く。
んんん~?おおっ、あれは!
左岸でわたくしの目を捉えたのは、ほぼ完全な形で残った炭焼き窯(…だと思うけど、そうですよね?)。
かつて、ここからそう遠くない林道樫山小匠線にて、同じようなものの完全体(屋根もあり)を見つけたことがあった(この記事参照)。地域や年代により炭焼き窯って少し見た目が違うようだが、どうなんだろう。わたくしはこれを炭焼き窯と判断した。根拠は後ほど。
開口部は
野趣あふれる造りになっていて、
非常に粗いけど、
石を組み合わせて固めた、これも一種の石アーチ。
深緑の内壁が美しいが、
石組みの上からなにかで覆われていたような印象。
これが、わたくしが炭焼き窯と判断した理由。窯とするにあたって内壁を何だかの土で覆う…とどこかで見たか聞いたか、そんな気がしたので。うぅ~ん、根拠薄弱(笑)。
でもこういう部分を見ると、
赤土のようなもので固められていたらしいことが、よくわかった。
いや~、
屋根をつければ住めますな(笑)。
脱線してたのはたかだか1~2分ほどだったが、いいアクセントになった。遡上再開。
炭焼き窯のすぐ上流で
川床を進むのが厳しそうだったので、左岸にエスケープ。
するとそこには
ちょっと広く拓かれた平場があり、
このような
ちょっとした生活の痕跡があった。
先ほどの炭焼き窯とも至近の位置だし。かつてここに簡易な作業小屋でも掛けられていた時期があるのじゃないだろうか。建物の基礎などはなかったので、極めて簡素な小屋だっただろうが。まああくまでも推測に過ぎない。
この平場を過ぎると、
こういう感じのへつり道でクリアする。まあ、注意は要するが、大したことはない。
いろんな難関を予想してきたが、ここまでそれっぽいのはここだけ。もしかして、案外さくっと到達しちゃったり?
で、このへつり道の対岸にも…
明確に見えてるんですな、「例の平場」が。
もしかして、わたくしが「業界的な病」(笑)で勝手にアレを道認定してしまってるだけなのかもしれない。けど、常にあのあたりの極めて「ええ感じ」の位置で続いてるんだもんな~。
ここまであの道を全然辿らずに来たことでもわかるように、普通に考えればあんな危険そうなところを通らなくても、両岸の木立の中にたやすく道をつけられそうなもの。しかし、かつての中野川の様子は今とは違っただろうし、一概にそうとも言い切れない。
あるいは、材木を流す筏師たちが、材木から目を離すことがないように一貫して流れに沿って道をつける必要があった、なんて可能性もあるのかも。
少なくとも現在ではまったく用無しの道だが、かつては筏師たちが軽々と行き交ったのか?なんかいろいろ、浪漫ですなあ。知らんけど。
さて、
こんな可愛らしいミニ滝?に出会ったあたりで、「プチ難所パート」は終了。
そしてー
行く手がパーッと広がっているのが見えた。おおっと、これは…到着したか?
…の前に、上の写真の左側をチェック。
あの暗がり…中野川に流入してくる枯れ谷である。
これが道ならば、
なんとなく隧道に向かいそうな感じだが(笑)、まあここは目指すブツには関係ないだろう、とパスした。
さてさて。
あれが「千人場」か?
【5】に続く。