【19】およびスピンオフより続く。
10時42分、タキマタ谷出合を後に出発。
狂小屋への道中で、
ワラビやゼンマイがぎっしり詰まった袋が木に掛かってるのを発見。
さっきのミスターたちのものだろうなきっと。そういえばウェーダーを借りたおっちゃんたちにも、ワラビでも採って帰れ的なことを言ってもらったっけ。忘れてた。
10時55分、
狂小屋へ復帰。
改めて、
例の溜池?跡を観察。うーーむ…。
【追記】
うーーむ…のままで記事を〆ていたのだが、いつも貴重な情報をくださるnotodonさんのおかげで、ここが溜池ではなく遺跡調査の痕跡…かもしれないと判明した。
実は先日一度目のご指摘をいただいた時点では、正直いささか懐疑的だった(スミマセン)。確かに、いろいろ調べる中で「いじま遺跡」なる遺跡の名前も出てきていたりしたんだが、どうやらそのいじま遺跡は扇谷のもっと下流左岸側、今では水没してしまったエリアにあったようなので、遺跡ってそこのことだろう?と。
しかし新たに具体名称、その名も「小屋どこ遺跡」ではないか、との情報をいただき、それをもとに調べなおした結果、まさにここ狂小屋に「小屋どこ遺跡」が存在した(している)ことがわかったのである。
場所が確定できた資料は、水資源開発公団と岐阜県文化財保護センターによる、「徳山ダム水没地区埋蔵文化財発掘調査報告書 第4集 戸入村平遺跡発掘調査報告書」(長ぁ)。
勝手に写しを掲載するわけにはいかないので、報告書PDFをご参照いただきたいが、「第1章 遺跡の環境」内の「第2節 歴史的環境」に掲載されている表、そして分布図による。
でも、分布図を拡大してよーーく見ると、正確にはどうも対岸(扇谷右岸側)のようなんだな…。誤差の範囲内なのかどうか。まあ、この「小屋どこ遺跡」そのものの調査報告書を見つけられれば解決するんだが、あいにくそこまでは至っていない。
なんにせよ、改めてnotodonさん、ありがとうございます!
それにしても、「狂小屋」にある「小屋どこ」遺跡って名称、秀逸すぎません?
以前【10】で書いたこの地名の由来が事実だとしたら、それに対するアンサー・ソング的な(笑)意味合いで、「小屋どこ?」ってつけたのだろうか。だとしたら面白すぎる!
ちなみに、この分布図には他にも興味を惹かれる遺跡が載っていて…たまらんな。
【追記おわり】
ここで、思い出のために(笑)動画を撮っておいた。
穏やかないいところだと、思ってもらえるはず。
11時6分、狂小屋に、最後の一瞥。
また来る…かもしれんぞ。その時はよろしくね。
11時14分、
バイクの轍を見てニヤつきながら…
11時17分、
草ヒロ君に、挨拶。そう、崖下の建屋への道を探すのをすっかり忘れてたところだ。
なんかこの道…
3D化したドラクエのフィールドみたい。あっ、「8」っすね。それを最後にプレイしてないから(笑)。
11時27分、
何度使うねん、この写真(笑)。じゃあまたね~、と。
最後の?リバーサイド・ストレート(笑)。
帰りはサクサク歩いたから、速いね~。
11時32分。
見えてきた!今や懐かしい感さえある、土管橋?…の残骸。
なんと帰りは、わずか26分で狂小屋から戻ってきた。サクサク歩けばこんくらいの距離ってことですよ皆さん(謎)。
でー。
ウェーダー、増えとるやーん(笑)。
真ん中がわたくしお借りしたものだが、他の二着は…さっきのミスターたちのか?なんか数が合わんぞ?もう、わけわからん(笑)。
実は、ずっと気になってたのがこのウェーダー。ありがたくおっちゃんにお借りしたときに、「当分ここにいる」から、帰りに軽トラ荷台に置いといてくれればいい、とのことだったが、よく考えたら「当分」ってどんだけやねん、と。
狂小屋へ行く、という言い方をしてしまったけど、実際はそのさらに奥まで、しかも壮大に道草しまくりながらだったから、現時点で4時間以上が経過してしまっていた。おっちゃんたち、まだいるだろうか。もしかして、めっちゃ待たせてしまってるとか?
しかし幸い、こっちから様子を窺うと、
(この写真ではわからないけど)まだ車はあった。とりあえずお待たせしてる感じじゃないっぽくて、ホッとした。
いや、まだもうちょい、返せないし。
お返しする前に、まだやらねばならんことがあるからして。
おわかり?
常世と現世の境を、探りにいかないと。
【21】に続く。