【4】より続く。
果たして、例のアヤシイ窪みはビンゴだった。
これが里耀洞の反対側坑口
…のはずだが、いや~これは…
ほぼ全埋まりですやん。
そしてよく見ると、本来の隧道坑口は数m奥。この埋没したコンクリートポータル含めた手前部分は、言わば暗渠化されたようだ。コンクリートの風合いを見ると、後年の改修でこうなったっぽい。
その、本来の坑口(たぶん)の胸壁となるのがここらへんだが、
特筆すべきものは見つからなかった。
「本来の坑口」前から振り返る、坑口前の景。
埋まっていて見えないが、取水地点からのパイプは写真左の太い木の裏側からこちらに延びてきている。
さて、問題の?コンクリートポータルだが、
いわば暗渠のフタみたいなもんなので、当然扁額もなし。本来どのくらいの断面サイズだったのかはもはやわからず、欠円アーチがのぞくのみだ。
当然内部を確認してみたが、
これは…無理だ~。
果たして閉塞しているのかどうか…ズームしてみた。
…ムム。
もうちょい…。
見える範囲では閉塞はしてないようだ。なぜかいきなり右にカクッと曲がってるようだが、閉塞ではない。それにしては、先ほどあまり空気の流れを感じられなかったのはなぜだろう。途中のどっかで閉塞してるのか?
頭の中で、ざっくりと両側の坑口位置をイメージしてみる。隧道の延長はおおむね…100mほどだろうか。90m以下ではないと思う、たぶん。
隧道を掘ってまで水を引くというのは、いかに切実に安定した水利の獲得が望まれていたか、ということ。以前に記事にした稲山隧洞や明護隧道もそうだったが、「希求」という言葉がしっくりくる重みを感じる。
この里耀洞は特に、掘削そのものもさることながら、並々ならぬ手間をかけて維持管理されてきたことが偲ばれ、その先人たちのたゆみない営みに、しばし想いをはせた。
いや~、隧道について、これ以上確認すべきことはない。大満足で撤収だ。
あとはひとつだけ。最初に隧道から登ってきた、「施業路その3」。それを下って行った先を確かめたい。
赤ラインが今から向かう方向、青ラインを下ると隧道へ戻る。まあ、あくまでオマケだ。
その「施業路その3」は、
羊歯ロードだった(笑)。
だっさいネーミングだが、こんだけ羊歯が繁茂してる道ってけっこう珍しい気がする。
羊歯ロードは、ほどなく中途半端な広場で終わっていた(改めて見れば、ちゃんとあの看板に延長186mって書いてあった)。羊歯以外には特に見るべきものはなかったが、これで完全に思い残すことなし。
羊歯ロードのすぐ下が隧道のある谷なので、
こっから降りてショートカットした。
降り立ったところは、
隧道のある掘割手前の平場だった。送水パイプがあるからほんとわかりやすいわ~(笑)。
ここからは来た道を淡々と戻った。
そして、瀬羅谷川の少ない水ではドロドロの長靴がきれいにならなかったので、
タンクからほとばしる水をお借りして、洗い流させてもらった。
この水こそが、里耀洞を経て山の向こうから引かれてきた水。こういう形で先人の偉業の恩恵を受けるのも失礼かもだが…。
まずは、この物件を知るきっかけとなったソフスプさんの記事「水路隧道を目指せ!」(前・後編)を。素晴らしい土木遺産を教えていただき、本当にありがとうございました。
帰ってから改めてこの里耀洞のことをググってみたのだが、マジで情報がない。そしてソフスプさんの記事以外で唯一見つけたのが、ある動画だった。
路地裏にひとりさんによるこの動画(勝手にリンクさせていただいている)には、宇治田原町史などを丹念に調査されたのか、ネットでは一切調べられなかった貴重な情報がてんこ盛り。それにリスペクトを表すべく、記事内では現地でのわたくしの主観に限定し、ここで知った情報は一切書かなかった。
そしてその情報の価値はもとより、探索という面でもわたくしの上をいく(洞内もっと奥を見られますぞ)非常に良質なドキュメンタリー。わたくしが垂れ流してるような「逝ってきた動画」とは雲泥の差!な素晴らしい内容なので、ぜひご覧いただきたい。
探索時間は、約3時間。
ゆっくりじっくり、年始一発目として最高な、濃密な探索だった。
最後の最後に。ここは危険を伴う可能性があるし、地域に水をもたらす現役のライフラインでもある。万が一場所を特定して訪問する際は自己責任で、また節度ある態度でぜひよろしく。自分を棚に上げるとはこのことだが。
以上、完結…
のつもりだったが、素晴らしい情報をいただいたので、それを最終回【6】としてご紹介する。