2020年2月2日。神奈川の拠点に出張した際の休憩時間に
周辺をうろついていて…
めっっちゃ気になった。現在地はここ。
立派なお屋敷の間に分け入っていく、人ひとりが精一杯の細道。
その入り口には
「白山神社入口」と。
コレは行くしかない。こういうのがあるから街ブラって大好きなのよね~。
つうわけで、
数十m進んでいくと…
その奥にあった!…当たり前か。
なんともささやかな白山神社、
これが全景である。
神奈川県神社庁のホームページによると、祭神は久久理比売神(くくりひめのかみ)と三島明神で、鵠沼の皇大神宮が管理されている。別のサイト様によると、建立は安永3(1774)年とのこと。
余談だが、以前にこの皇大神宮にも参拝したことがあって、そこで見つけた手水舎の看板をなんかの記事で紹介したことがあった…気がするが、見つからない(笑)。
こんなやつだ。
ええよなあ…これ(笑)。
さて、ささやかな社殿の前にはこのような石柱が。
よくよく読んで、オッとなった。
そこに刻まれていたのは、
「南無妙法蓮華経為新田北條一族戦死群靈塔」。
日本史で習った、鎌倉幕府倒幕の立役者である新田軍と滅亡した北條一族。その双方を慰霊するものだったのだが、なぜこんな小さな(失礼)神社に建てられているんだろうか。
ちなみに側面には「昭和五年三月十八日 寶光山日顕 櫻井榮太郎建之」と刻まれていた。調べてみたが、いまいち脈絡が判然とせず、この碑とのかかわりもよくわからないので割愛。
社殿前から振り返る参道方向。
狭さが伝わるだろうか?
ちなみに、この神社で行き止まりではない。社殿脇を少し進むと、
どうやら公園に出るみたい。けど、この道を通る人は少なそうだ。
そこからの振り返り。
この神社を調べた時に拝見したいくつかのサイトで掲載されていた写真では、もっと鬱蒼とした雰囲気だったので、近年に再整備されたようだ。
個人的には以前の雰囲気の時に来てみたかったが、現在でも十分に「向こう側感」(伝わるかなあこのニュアンス)は感じられた。
最後に、戻りながらの一瞥。
うむ、やはり現世とは隔絶してるわ。
以上。
つうわけで、新しく「気になった社寺」なるテーマを作ってしまいました。このテーマでさほどネタのストックがあるわけではないんですが、ポツポツと投下していきます。また、完全素人ですから学術的な掘り下げは皆無です、いつものように(笑)。
また、過去記事でこのテーマに該当しそうなアレとアレ、移動しておきます。