高倉跨線橋を後にして、本来の目的地へと向かった。
そこはもう15年以上前からずっと観察してる場所なのだが、それは電車内から。現地訪問は6年ぶりのことだった。
高倉跨線橋を北側へと降りて、すぐ東側の側道へと折り返す。
右側が高倉跨線橋ですよ、念のため。
年季の入った跨線橋の石積みを愛でながら進むと、
到着。
ドンツキにわだかまる、濃い緑。あれこそが目指す場所。ここのこと、ご存じの方はいらっしゃるかな?
接近してもう一枚。
そんなとこにあってはならない雰囲気を醸し出すこの一角。一体どういう場所だとお思いかね?
それは―
神社…じゃないのか?
いや、今まで神社だと思ってたのだが、6年ぶりに訪ねてみると、
こんな掲示が。
まず、寂蓮寺(通称)ってのが凄い。通称って…。正式な名前が伝わってないって、どういう状態なのか。しかもここ、京都ですよ?
そもそも明らかに鳥居があるのに、「寺」?まあそのあたりは後ほど触れるとして、先ほどの地図の縮尺を最大にしていただくと、「正一位西覚大明神」とある。やっぱり神社。ちなみに「正一位」とはお稲荷さんのことらしい…。
そしてなんといっても「倒壊」ですよ。
平成も間もなく終わり、新時代への扉を開いていこうというこの現代において、「荒れ寺」ですよ。
しつこいけどここ、京都ですよ?
一見して、荒れた雰囲気。
![74eed55b.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/d2/b7/j/o0560031514382055872.jpg?caw=800)
正面に回ってみる。
鳥居には扁額がない(失われた?)けど、
![e5f641be.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/33/bd/j/o0560031514382055874.jpg?caw=800)
これが「正一位西覚大明神」なんだろう。
鳥居に刻まれていた建立年は
![7e6b5cf7.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/c2/b4/j/o0560099614382055876.jpg?caw=800)
大正十三年十月。
正面のお社?には…
![7b82e33a.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/10/c4/j/o0560031514382055883.jpg?caw=800)
おお、やはりキツネ様!確かに「正一位」はお稲荷さんのことみたいだ。
お社の中もまた、
荒れ果てた雰囲気。
守る人が絶えて久しいのだろうか…。古典的お化けのなれの果てみたいな破れ提灯(の残骸)がエグイ。
その横には…
なんだろう、六地蔵?
これまた、お世話する人がいない?
そして、
「老朽化による崩落」。
コッチが例の寂蓮寺(通称)なんだろう。しかし、こいつは非道い。
この崩落にはもう数年前に気づいていた。それまでは、ちゃんと屋根があったのだ。
少しアングルは違うが、これは前回訪問した2012年5月4日の写真。
それでも、まだなんとか自立していたのだったが…。いつだったかな、崩落に気づいたのは。
今では、
廃村にある寺社でももうちょっとキレイに手入れされてるわ、と思えるほどの、この惨状。
事情は不明だが、
ガサガサっと音がしたのでビクッとした。
![60b93f5c.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/87/7b/j/o0560031514382055897.jpg?caw=800)
よく見ると…あ!
ニャーだった。
先ほどの掲示にあったとおり、
![285303fd.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/40/db/j/o0560031514382055899.jpg?caw=800)
これどう見ても再建は無理だろう。
「相続人」なる人物がどういう方なのかは不明だが、一個人なのであれば、私財を投じるなんてのは当然厳しいだろうし。お地蔵様を壬生寺に遷す「準備をさせていただく」というあの掲示が昨年の7月付け。今はどういう状態なんだろう。
いずれにせよ、「雨月物語」や「怪談」にでも登場しそうなこの荒れ寺は、お地蔵様が引っ越しされてこのまま朽ちて行くようだ…。
寂蓮寺(通称)のとなりは、
物置的な小屋があって、
さらにそのとなりは、
![a1a069b1.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/84/dd/j/o0560031514382055901.jpg?caw=800)
塀の向こうがもうJRの線路敷き。
この雰囲気…やっぱ京都駅から200mの場所にあってはならないものだ(笑)。
まあ観光客は誰ひとり気づきもしないだろうが…。
最後に、少し引きで。
写真左側、高倉跨線橋とその下をくぐるJR貨物がわかるだろうか。
今やここは毎日電車で通過するようになった。日々の観察を続け、変化があったらまた訪ねることとしよう。
以上、異色な記事、完結。