京都駅からたった200m!の廃墟、なくなっていました。 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2019年3月12日、以前記事にした衝撃の物件に大きな変化が起こったということで、現地確認に行ってきた。

 

 

とはいえ、いきなり今宵の記事を読んでもサッパリかと思うので、まずは元記事を見ていただくほうがよろしいかと。その名も「京都駅からたった200m!の廃墟訪問」。↓↓

いや~、「リブログ」って、こうやって使うんですな(笑)。

 

さて、予習はお済み?では始めますぞ。

 

でも、すぐ終わるけど(笑)。

 

 

 

 

 

きっかけは2019年1月21日、spt*yさんよりこの記事にいただいたコメント。そのまま引用させていただくと…(その節はコメントありがとうございました)

 

「(前略)私もここのお稲荷さんが気になっていて、京都に寄ったときにたびたびお参りしていたのですが、先日行ったら更地になっていました。移転したのでしょうか?お社が老朽化がひどくて雨漏りしていたみたいなので移転先で綺麗にされていたら良いですね。」

 

 

な、なぬう~。

 

 

通勤電車で毎日横を通過していたものの、そういえばここしばらくチェックしてなかった。さっそく翌日の出勤時に見てみたら…あ~、ホントにないわ。

 

 

さっそく現地確認に行きたかったけど、なんやかんやでなかなか行けず、

ようやく行けたのが3月12日だったというわけで、

 

 

 

 

とっくに視認はしてるんで驚きはないが、

なんか寂しいなあ~。

 

 

 

 

元記事の訪問時(2018年6月5日)のほぼ同アングルがこれなんやけど、

こうして見ると、密林状態やった木たちもバッサリとイカれてしまったんやなあ。

 

そこに見えてる掲示(元記事でも触れている)には、「お地蔵さまを壬生寺へお納めする」準備をしていると書かれていた。それが実現した、ということなんだと思うので、それならめでたいことだ。なにしろもう、いろいろと凄い状況やったからなあ…。

 

ここのウォッチングを始めてから、かれこれ16年経っていた。

 

 

 

ほんと見通しが良くなって。

高倉跨線橋が丸見えや~。

 

 

 

 

かつてここに破れ寺があったことを示すものは、何もなし。しかーし。

わたくしは忘れない。ここにあった「通称・寂蓮寺」のことを。

 

 

この日は他にも過去記事の再訪問ネタがふたつほど。おいおい記事にしていきまする。

 

 

 

 

以上~。