【2009年】篇より続く。
繰り返しになるけど、前回最後のコレ、
「其功以裕」。
そして初訪問時にはなぜか撮り忘れた
「補造化」。
どっちが津市側でどっちが伊賀市側かわからないが、これらが初代隧道の扁額だとのこと。なんで扁額を抜き取ってしまったんだろうか…。
さ、今回もサクサクと進む。
いきなり隧道。
おお~…相変わらず圧倒的な存在感。
前回は書かなかったが、総切石の隧道というのは、全国的に見るとなかなか希少。有名なのは「伊豆の踊子」で知られる天城山隧道だが、あちらは明治37年製。こちらは明治18年と、19年も古い。
Nagajis先生の「旧道倶楽部」様によると、この初代長野隧道、日本土木学会発行の「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2000選」において、「国内に現存する石隧道の中で3番目に古い」とされているという。
ひとつ思いつくのは、我が滋賀県は湖南市にある大沙川隧道(明治17年製)だが、あとひとつはどこだろうか。旧伊勢神も明治30年だし…。
というわけでこの隧道、土木学会選近代土木遺産Bランクとなっている。
いや~、変わらぬ姿で…って、変わってるやん!
めっちゃ埋まってるやん!
実はこの頃、長野峠の上の方に風力発電用の風車が建造されて、その影響か隧道上からの土砂の流下が激しくなっていた。おかげで、前回よりも優に1mは地面が高くなってしまっている。コレはヤバいんじゃ…?
でも、その副産物として、
要石がこんな至近に!
なんと、手を伸ばせば届いたくらいだった。
あー、手で触れている写真とかあれば、このデカさが伝わるのに!正味の話、この要石のタテの長さ、確実に1mは下らないと思われる。見たことあります?そんなドデカ要石。
そして、前回と違っているところが、もう1ヶ所…。
完全水没!
アーンド…
フェンスできてる!
うーん、こうなると初訪問時に入らなかったことが悔やまれる…けど、どうせ当時のわたくしじゃ、入る勇気はなかった(笑)。
そして…
鉄板の構図。
しかし、これ水平にカメラ構えてんですよ?土砂の堆積ぶりが激しい…。
最後に、このアングル。
まるで城塞のごとく。
このゴッツイ坑門を支えるには、なるほどこんだけのピラスター(付け柱)が要るよなあ…。
それにしてもこの巨石っぷり…。明治18年という時代に重機があるはずもない。人力で、この坑門だけでなく洞内全てを巨石で巻き立てまくった、マゾヒスティックなまでにストイックなこの仕様は、一体なんでそこまで?感をかき立てる…。
いや、満足した。
この後、二代目昭和隧道を堪能し、続いて前回には行けなかった伊賀市側探索へと移行した。
そちらはどうも無残なことになっているらしかったが…?
【伊賀市側】に続く。