【2010年・津市側】篇より続く。
伊賀市側にまわってきた。さっそく初代明治隧道を…と行きたいところですが、
先にお見せしたいものがありまして…
「道路開鑿紀念碑」。
これは二代目・昭和隧道の伊賀側坑口の100mほど手前に鎮座しているもので、
裏面には
いろいろな情報が刻まれている…ものの、画素極小の先代機による写真では、詳細の判読不能。うう…。
しかし、左端に刻まれた「明治二十二季一月建之」はハッキリと読める。初代明治隧道を含む新道が開通したことを記念した碑、ということになるだろう。
傍らに建つ街灯…山の中なのに。
ここはすでに封鎖された道。わたくしらのようなモノ好きくらいしか訪れる者はいない。なのに、健気にもまだ点灯しているじゃないか…。
さ、気を取り直して。
詳しいアプローチは、ネットで調べてちょうだいな(爆)。←ひでぇなヲイ・笑
こっちもタメずに…
うあ~…
わかっちゃいたけど…
ほぼ完全埋没!
…ほぼ?
そう、ほぼ(笑)。コレは入れないわ~。
ここではそれこそ、要石に正対できる。が…これまた大きさが伝わらない~。
しかし…案外誰も触れてないけど、この伊賀市側は要石の形が五角形になってるんですな。そして、盾状ではない通常の迫石によるアーチ環。そして、ピラスター(付け柱)もない。いわゆる「普通の」石ポータルだった。
やはり津市側がメインで、あっちには特に意識して意匠を凝らしたのだろうか。
一応のぞいてみたけど…
即、閉塞!
それでもここに入る変態方も多いようだが(笑)、わたくしは入らなかった。
実は、この伊賀市側最大の見どころは、コレ。
ポータル向かって左に設えられた、かつての排水工。
精緻な切石積みで丸く整えられた、この滑らかな溝。芸術だ、こいつは。
撤収。
この8ヶ月後、2010年9月19日の夜に仲間の皆様と夜の隧道詣でを行ったっきり、ここへは「参拝」できていない。無沙汰が過ぎたな…。
無残に埋められた伊賀市側のように、津市側も埋まってしまうんじゃ?と危惧されたが、あちらは行政がそれなりに価値を見出してくれたようで、現在では土砂も撤去され、排水のための溝も設置されるなど「適切に」整備されているみたいだ。ありがたい。
そろそろいい加減に参拝しなさい!と、長野隧道非公式管理人(笑)からの声が聞こえそうなので、今年こそは詣でたい所存であります。
以上、完結。