【3】より続く。
洞内滞在約10分、
東側(熊野側)へと抜ける。
抜ける手前の側壁部分。
水没区間を除けば比較的乾燥していた洞内だが、このあたりは岩盤から水がしみ出していた。
さー、抜けて…振り返り。
初代・土場隧道、東側(熊野側)坑口。
そうそうこれ。この写真が「廃道をゆく」に小さく出てたのよね~。石で巻き立てられていた西側に対し、この東側は完全素掘り。そして、崩落の痕跡もほとんどなく、安定している。こうして見ると、まるで洞窟みたい。
石で巻かれていたこと、坑口上から崩落していたことを考え合わせると、やはり西側の方がいささか地質が悪いんだろうな~。
隧道を抜けた旧道は、
すぐさま右へターンし、先へと伸びていた。この写真は、先ほどの坑口写真撮影位置からそのまま左へ90度向いたところだ。
もちろん、追いかけてみた。
路外をチェックしてみると…
見事な石積み!
この見えている範囲に関しては、まったく綻びが見られない。凄い技術やなあ…。
少し進んだところで、
派手な倒木と小規模な崩落が行く手を阻んだ。
もちろん、この程度なら突破して進んで行けた…が。
いつものようにわたくし、すっかり満足してここまでとした。今思えばこの先も見ておけばよかったとプチ後悔はしているが、この日この場では、すっかり満ち足りた気分(笑)。まあまた再訪しよう、ここは。
ここで路外を見下ろせば、
(わかりにくいが)ほぼ真下に、隧道を抜けた現道が見えた。西谷橋の取り付きあたりだ。
考えてみれば、コッチ側の旧道の行く末の方が断然気になるよなあ…現道とは明後日の方向へ離れて行ってるし。どういう線形でどう決着していたのか…。
なぜ満足した、あの日の自分よ(笑)。
まあ過去は変えられない。
もちろんもう一度隧道に潜り、
石アーチ部分では
改めてホレボレと名残り惜しく鑑賞し、
撤収開始から14分で、
ノートさんの見えるところまで戻ってきた。
【1】で書いたように、戻る際にはうっすらとしたつづら折りの踏み跡を見つけたので、そこを降りてきた。だいたいこの写真あたりの位置に踏み跡があるので、もし行かれる方はご参考に。
2018年2月の訪問は、まさかの「早く着きすぎて真っ暗」というオチだったが、新トンネルも気になるし、ここはマジで再訪したいと思っている。そうだ、摺子とセットで…
あっウソ撤回。しんどいからイヤ(爆)。
以上、完結。