【2】より続く。
初代の土場隧道へと潜入完了。
これより洞内を進み、反対側へと抜ける。
その初っ端は、
いきなり水没。
石の巻き立てがなくなった正にその場所で崩落が起こっていて、巻き立ての有効性を立証する形になっていた。その瓦礫と坑口前の瓦礫、両側でせき止められた区間が、池のようになってしまっている状態。
右端には先人の苦心の突破の痕跡であろう、直線に並べられた石が。思わずニヤニヤしてしまった。わたくしは長靴なので苦労はない。
前回ちょい見せしたように、
当初より貫通は確認できていて、気は楽だった。
瓦礫を乗り越えて、振り返り。
コチラ、雰囲気重視ヴァージョン(笑)。
そしてコチラ、
フラッシュ・オン。
洞内天井と巻き立ての間には、ぎっしりと石が詰め込まれていた。改めて、アーチという形状の強靭さを思い知る光景。
明治に竣工した当時から巻き立てが存在したかどうかはわからないが、一般的に石での施工というのは、煉瓦よりもさらに時代を遡るとされている。新しく見積もっても、優に100年以上は経過しているだろう。
改めて向き直り。
マグライト、暗ァァ!(笑)
棄てちまえこんなモン(笑)。
当時使ってたマグライトは確かに貧弱だったが、ここまで暗かったか?よく憶えてないが、電池切れ寸前?まあ肉眼ではもう少しは明るかったはず。
まあ、雰囲気重視のわたくしとしては、さほど不便を感じてなかった、ってことで…(笑)。
で、コチラは
フラッシュ・オン・ヴァージョン。
こっから先は崩落は見られず、比較的安定して見える。幅員は普通車でギリくらいだが、この隧道の出自としては、恐らく車道隧道ではなかったのではないか。少なくとも掘られた当初は。
根拠は…ない(爆)。
ただ、この山間立地と明治時代という古さから、車道はまだなかったんじゃないかと…。
うーん、やっぱり、
ノンフラッシュが好きだねあたしゃあ(誰
たまりませんな、この剥き出しの岩盤の風合いは。
抜ける手前右側のこの岩盤、
スパッと切れ落ちている。
こういう素掘り隧道、案外珍しいかも。なかなかに圧迫感がある。
ここで振り返り。
結局のところ、延長はどのくらいだっただろうか。60mくらい?
現役時代には、照明などはあったんだろうか。碍子などの遺構は見当たらなかったと思うが。
なんだかんだで、洞内に滞在すること約10分。
陽当たり良好な、東側(熊野側)へと。
【4】に続く。