【2】より続く。
第一隧道の確認を完了、少し車で奥山田方へ移動して、これより第二隧道の探索に入る。
ところでこの場所は、いくつかの過去記事と関わりを持っている。これから第二隧道探索に向かう方向は、まあ…その…アレな場所で(笑)。この探索当時には、このような心温まるポエムが何点か掲示されていたのだった。ただわたくし、ゴミ捨てに来たわけでも窃盗犯でも強盗犯でもないので、通らせていただいたわけだが(笑)。
そしてもうひとつ。
アップした時にはほぼ反応なし(笑)だったものの、なぜか頻繁に検索ワードに登場して読まれている、国道307号線奥山田バイパスの記事。これのスタート地点が、ほぼ今記事の「現在地」と同じ場所である。
そう、奥山田バイパス。
(今記事執筆時点で)ナンダカンダでまだ開通していないっぽいこの奥山田バイパスが供用開始されれば、この地には三代の車道と三代の隧道が併存することになる。
めんどくさくって、作り始めて後悔した(笑)概念図がコチラ。
まあ!なんてわかりやすい!
明治道だけは二本の隧道でもって抜けている。そして昭和、平成と時代が下るにつれ、一本づつ南の谷筋へと道路が移動しているのが興味深い。
素人目には現道のルートで最初から隧道を掘った方がいろいろよかったように思える。だって奥山田隧道、延長93mってことで、明治でも掘れなくはない長さなのに。
まあでも、そこはほら、「土木に偶然なし」って言うからね(知らんわ・笑)。なにかよんどころなき理由があったのだろう。
で、文字ばっかで全然進まないのだが(笑)、
その現道・奥山田隧道にも敬意を表して、西側(宇治田原側)をご紹介しておこう。
扁額。
まあ普通に、「奥山田隧道」と。
ちなみに昭和36年建造と、「皇服嘉賞門」(笑)よりも6年古い。つまりは、第二および第三隧道が一線を退いたのも6年早いわけだ。
さあ!いい加減に第二隧道へ行こう。
先述のようにアレな場所(でもホントは893さんとかではないと思うけど)なんで、写真なし。
資材置き場的な土地の、その奥に…
おおおおお!!
ついにキタ、煉瓦ポータル!
奥山田第二隧道・宇治田原側坑口…
なんやけど…またして古タイヤかよ。てか、それよりも!?
ポータルの非常に大事なところが
欠損!?
洞内を見ると…
古タイヤ&土砂アーンド、
アーチ環の根元が浮いてる!?
なんでこんな無残なことに!?
隧道データベースに残された永冨氏の見解によれば、アーチ根元を化石を含む層が走っており、その採取のせいで破壊されたのではないか?とのこと。わたくし自身では地層も確認していないし、真偽のほどは定かでないが、まあ何にせよとんだテロ行為、破壊行為だコレは。やった人間には、久々に
「可及的速やかにそれなりの天罰が下っちゃいなよ、メーン!」
の言葉を贈りたい。
まあそれでも、だ、
この装飾に満ちた煉瓦ポータルの気品は、隠しきれないわ。
扁額はないものの、特筆すべきは要石。ヘボイ写真で恐縮だが、なんと五角錐に成型されている。さらに良く見ると、この変則な形の要石をはめ込むために、周囲の煉瓦に丁寧な仕事がなされている。素晴らしい!
重厚さはないものの、存在を主張するピラスター(付け柱)。
そして、笠石下の、見事なデンティル(鋸歯)。関西圏の煉瓦ポータルを持つ隧道でも屈指の装飾性だと思われる。
まぁ…実は未だに池田隧道(大阪府)に未訪問なんで、どっちが上かは申しかねるが。
この第二隧道もまた、進入はしなかった。危険なように見えたし、ポータルで充分に満足したので。
かくして、第二隧道の宇治田原側でようやく煉瓦ポータルを確認。続いては奥山田側を…となるのだが、最初に示した概念図でもわかる通り、第二隧道を抜けずに回り込むということは…
先に第三隧道にご対面することになる。
実は第三隧道には…この半年ほど前に、すでに出会っちゃってるのよね…(笑)。
【4】に続く。