2016年3月23日、観音坂隧道へのお別れを済ませたその後。
我が最愛の隧道へ、3年3ヶ月ぶりの「参拝」。そう、
滋賀県の誇る至宝・横山隧道に。
それ以来「参拝」できなかったが、その間の状況がずっと気になっていた。ましてや観音坂隧道が残念な最期を迎えることが確定、別れを告げてきたこの日に、どうしてもそのお姿を確かめに行きたかったのでありました。そして、
不覚にも知らなかったものを発見することに。
旧道入口。
非常にきれい。簡易な通行止めこそなされているが、完全に管理されているようだ。うっそうと生い茂っていた現トンネル上の植生も、すっかり刈り払われている。
「通行止め」とは書かれていない。あくまで無用の進入を抑止するためのもの。わたくし用が大ありなので(笑)、管理してくださっている方々に感謝しつつ、通らせていただいた。
向かって右に見えてきたのは、
【2009年篇】でチラ見せした、「横山隧道創始者 高森慶多郎之碑」。
今回は裏側の碑文も紹介しておこう。
高森慶多郎氏はこの菅江の出。その曾孫にあたる方を中心に、隧道の保存・活用を推進する活動をされている、という嬉しい話を2012年篇の最後で紹介した。これだけきれいな旧道も、それらの方々のおかげなのだろう。心より感謝。
それで、ですね。
隧道が見えてきてるが、その前に別のものが…マジ?
な、何アレ!?
何って、巨大な石碑だよな…(笑)。
とってもきれいに刈り払われているこの一帯だが、以前は鬱蒼とした激藪。あんなものがあったなんて、まったく気づかなかった!これまた、管理してくださる方々のおかげ!感謝が止まらない~!(爆)
さっそく斜面を登って接近。
うわ…
デカ…。オーラが凄いぞ。
背後から接近したので、まずは裏面。読み取りにくいが、
「大正十二年五月建 坂田郡東黒田村」。
そして、正面から。
「碑道隧山横」。
観音坂隧道と同じく、非常に立派な隧道碑。
てか、この横山隧道でも鳥羽上側(反対側)にある立派な隧道碑は【2012年篇】で紹介したが、この菅江側にもこんな立派なのがあるとは…嬉しい驚き、正にそれ。
内容の詳細は書かない。デカイ画像で貼ったので、ご覧くださいませ。
隧道碑の左隣りにあるのは、
「名芳志篤費工」。
やはり必ずこれが出てくるなあ…。隧道建設の予算確保は、やはり相当に大変なことだったのだろう…。しかしわざわざもう一基別の石碑を建ててまで、ってのは初めて見たな。
個人的に非常に響いたのが、コレ。
ピアノで言えば「猫足」ってのがあるが、それと同じようなテイストの、洒脱な金属製の飾り。非常に素敵だ!
菅江集落への見晴らしがスッキリと良くなって、
隧道碑もなんだか嬉しそう…(笑)。
そして隧道とのツーショット。…遠いけど(笑)。
改めて、この隧道碑の際立つ立派さが伝わるだろうか?よほどの歓喜を持って迎えられた隧道だったのだろうなあ…。
正直、あの観音坂への惜別の後だけに、ちょっと泣きそうになったよ…。
道へ降りる前に
初めてこんな角度から鑑賞してみたが…
驚愕の状態の良さ!いささかの綻びも見られない。
やっぱり、「俺たちの横山隧道」(笑)は別格だ。
次回【2】、感動の再会(笑)。