【1】より続く。
菅江側で発見した(させていただいた)隧道碑を堪能したあと。
改めて対峙する、我が最愛の隧道。
神々しくて眩暈が(笑)。
遠目から確認できていたが、心配していた隧道の状態はこれ以上ないほど!もとより、大正12年の完成以来ほとんど無改修(改変)という奇跡的な隧道だったのに加え、地域の方々の温かい保存・保全活動によって、廃隧道どころか驚愕の良コンディション!
コレはもうね、本気で感動した。くどいようだが(笑)観音坂隧道との悲しい別れの後だっただけに、泣きそうだった(笑)。
と同時に、一線を退いた後の境遇・その明暗に。
注目したいのは、やはりコチラ。
この見事な排水溝システム。
もちろん、きれいに掃除してくださってるから、というのが大きいが、
完全な姿で、変わらず排水という機能を果たし続けていた。
実際この時も、隧道上からの水が流れていた。なんと素晴らしい!
大正12年、春。時の滋賀県庁土木技師、希代の「隧道アーティスト」・村田鶴の手によって完成した、最初の隧道。それがこの横山隧道である。
機能性と装飾性と芸術性の三権分立(笑)。それが村田の真骨頂。その美点がこの最初の「作品」から炸裂しているのは、当然というべきかさすがというべきか。
見たか!これが「俺たちの横山隧道」だ!キマッタ…。
あー、すみません、言ってみたくて…(笑)。
ちなみに、村田作品で最初に着工したのは彦根市の佐和山隧道だが、完成はコチラ横山隧道のほうが少し早かった、というのが正確な順序。
おんなじ隧道を3回も記事にすりゃ、もう能書きも残ってない。
久々の再会、心ゆくまで鑑賞した。迫石に頬ずりしたり、隧道正面で座ったり寝転んだりもしたけど、まあ普通ですよね(ヲイ
そして、
【3】に続く。