児捨川橋 (宮城県白石市福岡深谷地蔵堂~福岡深谷児捨川向) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2010年12月22日、第二次宮城県探索。この日のネタで記事にしているのは、月山池隧道(仮)上原隧道(仮)深萱隧道
 
 
この日はかつての我が荒天伝説を象徴するような日で、ドエライ土砂降りの一日だった。12月の宮城県としては観測史上最大の雨量を記録した、というのは後で知ったことだが、改めて調べてみたら、今もそのレコードは破られていないようだった(気象庁公式データはコチラ)。
 
いきなりの余談、失礼しやした~。
 
 
 
 
で、時系列では上原隧道(仮)と深萱隧道の間で出会った橋をご紹介。
 
ちょっと驚いた、
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このビジュアルには。
 

場所コチラ→https://www.its-mo.com/z-136890983-506279093-15.htm


今いるのは橋の北詰で、並行する橋は国道4号の現道。ここを通った時に、いかにも旧道らしい道にあるこのへんてこな橋に思わず目を剥いて(笑)、急きょ戻ってきた次第。
 
 
橋そのものは、古めかしい普通の橋なのだが、874bd68c.jpg
 
親柱の上にある巨大こけしが、独特な雰囲気を醸し出していた。
 
 
 
 
で、橋のお名前を見た時には、思わず唸った。
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「児捨川橋」。
 
「児捨(こすて)川」。これは、いかにも悲しげな謂われのありそうな…。
 
 
 

右の親柱には、お誕生日。

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昭和十一年三月竣功。
 
まさか、巨大こけしもオリジナルなんだろうか?いや、さすがにそれはナイよな~…と思ってたものだが、記事を書くにあたってちょっと調べてみたら、あるブログにて、そこの管理人様が子どものころに設置された、との記述があった。もちろんその方の年齢は不明だが、後付けであったことは確かなようだ。
 
 
 

橋上から望む、児捨川下流方向。

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この天候も相まって、なんか物悲しいものを感じてしまったのは、先入観ゆえかな~。
 
あ、この橋にいる間は、雨は幸いにもほぼ止み状態だった。貴重な時間帯。
 
 
 

渡って振り返り、

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こちらも、やはり巨大こけしがいた。
 
橋そのものに目を向けると、堂々たる幅員が「いかにも旧国道」っていうステイタスを感じさせてくれるような。イイ橋だった。
 
 
 
で、気になるこの橋の、いや、この川の名前の由来だが…。実は、最初の写真の場所、橋の北詰に、一枚の解説看板があった。
 
画素数極少の初代機での撮影ゆえに、判読しづらいと思われるので、

 

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ちょっと長くてめんどくさいが(笑)、以下に転載する。

 

 
白石地方の白鳥伝説について
 
遠い昔から、この地のひとびとは、白鳥を神として祀り、祈りや願いを込めていた。そうした思いが、いくつかの伝説となった。
 
伝説1:
日本武尊は、宮の地に王子を残して帰京されたが、村人は王子の偉貌とその能力を恐れ川に捨てたが、王子は白鳥と化し、村々に災いをもたらした。村人はそれを悔いて、白鳥を神として祀ったという。(刈田領神社縁起)
 
伝説2:
武尊は、姫と王子を残して帰京された。姫は尊を慕い「白鳥となって都に飛んでいく」と、王子と共に川に身を投げ、二羽の白鳥となったという。(白石市史)
 
伝説3:
用明天皇の若き日、尊と玉依姫は都への途中、王子を出産。姫は長旅を想い別離、悲しみのあまり、王子と共に川に身を投げ白鳥に化したと、伝える。
 
地方の人は、この川を児捨川と命名した。これらの伝説は、今も忘れがたく伝えられている。
 
 
平成14年3月 白石市
 
 
…ということで、なんとヤマトタケルノミコト伝説まで登場する、由緒ある名称だった。
 
 
 
んで、このこけしだが、
 
一説には「子消し」「子化身」とも書かれるとかで、「児捨川」という名前との悲しい相関もあるやに思われた。
 
が、実際のところはこれはいわゆる俗説で、「木」で作った「芥子(ケシ)の人形」説が有力なんだとか?
 
 
ただ、この児捨川を遡っていったあたりには、多くのこけし工房が存在しているのは事実。なかなかに興味深いことだ。
 
 
 
最後にもう一つ。
 
 
並行する現・国道4号の橋もかつては「児捨川橋」という名前だったそうだが、「児童虐待をイメージさせる」という声があって、十数年前に時の白石市長の指示で「白鳥橋」と名称変更されたのだとか。確かにわからんこともないが、うーん、なんかモヤモヤするな…(笑)。
救われるのは、改称後の名前も、伝説にのっとった、まあまずまずの名称だったこと。「ふれあい大橋」とかだったら、激萎えだったが(笑)。
 
 
で、幸いにも、旧道の橋はこのとおり、「昔の名前で出ています」。うん、パッと終わるネタをチョイスしたつもりが、まあまあ掘ってしまったじゃないか(笑)。
 
 
以上、完結。