朝鮮通信使をたどる 命がけの航海 | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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朝鮮通信使をたどる 命がけの航海



江戸時代に12回訪れた朝鮮通信使

その功績の陰には惜しくも命を落とした人たちがいます


朝鮮通信使が日本に向かう前には日本(対馬藩)と朝鮮の打ち合わせが何度も行われます

1703年(徳川綱吉・粛宗の時代) 朝鮮の訳官使108名と対馬藩士4名をのせた船は

対馬を目前にして天候が悪化し全員が亡くなりました


1991年彼らの冥福を祈り 対馬に朝鮮国訳官使殉難之碑 が立てられています


 




夜泊日比
国立中央博物館にて  第10回朝鮮通信使に随行した絵師が書いた日本の日比港



朝鮮通信使は大阪からは船を降りて江戸に向かいましたが 下官や水夫たちは船に留まりました

この間 病人が出ることもあったようです

 

1748年(徳川家重・英祖の時代) 第10回朝鮮通信使がやって来た時には

大阪の船番奉行が船に残された人たちのために竹林寺で宴を用意したそうです





1764年(徳川家治・英祖の時代) 第11回朝鮮通信使に随行した踊り手の金漢重(キム・ハンジュン)

彼は途中で病にかかり大阪の竹林寺で手厚い看護を受けますが 亡くなってしまいました

現在も竹林寺には彼の墓が残っています 

釜山・朝鮮通信使歴史館にて


彼の遺体は朝鮮に戻ったためここに彼が眠っている訳ではありませんが

竹林寺では現在も法要を行っているそうです



朝鮮通信使の陰には事前準備をした訳官使、随行した下官や水夫など

名前の残らない功労者たちがいました


조선통신사의 뒤에는 이름도 모르는 많은 공로자들이 있었습니다



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